甲子園では和太鼓が使えないらしい。

今年のセンバツ高校野球に出場する一関一高の応援はブラスバンドではなく、
和太鼓のみを使用している(はずである)。
ところが、付近の住民との取り決めとかで和太鼓の使用が禁止されているとのこと。
これによって、一関一高では和太鼓の応援を洋太鼓に替えて、
ブラスバンドも導入した応援を考えているそうだ。
あらかじめ決められていることなら仕方無いが、ちょっとガッカリ。
和太鼓の代替はともかく、ブラスバンドは要るのか?
1997年のセンバツ準優勝の中京大中京は、ブラスバンド無しでも洋太鼓だけでしっかりした応援ができていたのだが・・・。

甲子園に出ることになったが、吹奏楽部が無いので他の学校などに応援演奏を依頼するのはよくある話である。
で、応援にその高校独自のカラーを出すのは容易でないから、
誰もが知っているようなヒット曲やプロ野球選手のテーマを何曲か集めてきて演奏する。
コールは「かっとばせー○○、○○、○○」。
これで一応高校野球の応援のカタチにはなるわい、
という感じでやっているような高校の応援にはあまり良い印象は持てないのである。
校歌以外はどこの学校なのかがわからないところに限って、
エールの交換がロクにできないように思うのは気のせいだろうか。

甲子園のスタンドに居て、試合に集中していれば応援は気にならないだろうとは思うが、
演奏している曲に全く個性が無く、おまけにリズム感がまるで無いような応援には少々辟易したりする。
そんな試合のあとで例えば横浜高校の応援団が入って来れば、
大太鼓をひとつ鳴らすだけでそれまでの澱んだ空気が一瞬にして引き締まるように思えるのである。
良い意味での“甲子園慣れ”いやそれ以上に“応援慣れ”を感じる。
横浜高校も甲子園では一部他校の吹奏楽部が入っているようだが、
甲子園だからと言ってヨソ行きの応援はせず、神奈川大会での普段どおりの応援スタイルを披露している。
横浜に限らず他の神奈川の高校、そして静岡の高校の応援には特に“応援慣れ”を強く感じる。

1999年夏、軟式高校野球全国大会に同じ岩手県の盛岡一高が出場。
名物のバンカラ応援を見ようと、私はわざわざ明石球場まで行ったものだ。
和太鼓は今回同様使えなかったようだが、それでも非常に個性的な応援だった。
軟式の場合は実質応援団と野球部の控えだけだったので甲子園とは勝手が違うが、
明石に居ながら岩手大会での応援の様子を容易に想像することができたほど。
その2年後、和太鼓付きの本格的な応援を花巻球場まで雨の中観に行くことになろうとは・・・(^^;

今回、和太鼓が使えないことでヨソ行きの応援をせざるを得なくなったであろう一関一高応援団。
甲子園ではどんな応援のスタイルになるのかはわからないが、
できる限り岩手大会で披露しているものに近い応援を見せてほしいと思う。

どこや?

2004年3月1日
或る友人からの情報で、関西地区5大学リーグのうち阪神大学リーグの春季の日程がだいたいわかった。

開会式は4月3日だが、2部・3部の試合はそれより前に始まっている。
2部では高槻市の萩谷球場、3部では三木市営球場が昨年から開催球場に加わったが、
今年もどこか新しい球場が、と思った途端に飛び込んだのが“龍間(たつま)”の文字。
大阪府大東市の山沿いにある地名である。
大東市営のグラウンド(グリーンフィールド)のことだと思うのだが・・・。
確か大産大のグラウンドも龍間じゃなかったか?と思うので定かではない。
大学のグラウンドなら“摂南大グラウンド”のように明記されているから、多分市営のほうだろう。
どちらにしてもクルマでなければ難しい場所である。
ちなみに龍間の試合は4月1日と2日。平日だしおそらく行けない。

1部リーグ開幕戦は万国博球場。
ここはスタンドが全部芝生席で、のんびりした雰囲気の球場。
観戦していると足元から虫がよく這い上がってくる。
阪神リーグの場合、わざわざ本部席まで行ってパンフレットを入手しているが、
万博の本部席は(舞洲や南港に比べて)入るのにちょっと勇気が要るので、あまり好きではない。
1冊だけでなく友人の分も合わせて求めるものだから、いつも連盟の学生諸君には迷惑をかけているだけに尚更である。
開幕戦を観に行くとはまだ決まっていないが。

(阪神リーグの日程は、桃山学院大学野球部のサイトに掲載されています。)

行けぇ〜!

2004年2月29日
今日の日曜出勤は予定通りに終わった。
しかし、第一試合の後半開始には間に合いそうもない。
電車の中で、
「前半終了 トヨタ24−7三洋 広瀬大ボケ」
というメールが友人から届いた(笑)

雨上がりの花園に着いたのは後半15分ごろ。
バックスタンドで見つけたその送り主に
「広瀬がどうかしたの?」
と訊くと、
「相手のおるところにまともにキックするもんやから・・・あれは三洋が取ったトライとちゃうで。」
とのこと。
でも私が花園入りしてからの広瀬はトライもゴールもしっかり決めていた。

40分近くになって、広瀬から替わった山崎のキックが非常に良いところに飛び、
それに向かって難波が一直線に突っ走ってくる。
どう言うわけか、私と友人がほぼ同時に
「難波〜!行けぇ〜!」
と叫ぶ中、難波がそのボールをナイスキャッチ。
そのまま滑り込むようにトライ。
「このシーンはリプレイで見たいよなぁ!」
と思わず口走るほど興奮してしまった。

友人も私もトヨタの熱心なファンではないが、
トップリーグ初年度にその名前が無いことに寂しさを感じていた。
マイクロソフトカップ4強の三洋電機相手に、
30点の差を付けての快勝は素直に嬉しかった。
応援の小道具が小旗からチアスティックになっていたのはちょっと残念だったけど。

第二試合はクボタ32−14日本IBM。
地味な試合だったけど、“オファフェンガウエ兄弟対決”が一瞬あったからまぁええか(^^;
IBMラグビー部が“BBB”(Big Blue Beat)と呼ばれているのは初めて知った。
小旗のカラーはIBMというよりも大阪ガスみたいに見えた。

市バスに乗って。

2004年2月28日
難波の高島屋の前から、天保山行きの大阪市バスが出ている。
市バスの系統の中ではまぁまぁよく乗るほうに入る。
大阪ドームへ行くときに使うこともあるし、
南港中央球場からの帰り、乗り継ぎで利用することもある。
私が入院していた病院もその沿線にある。
本数も多く、私が乗るときはだいたい座席が埋まっている。
今日、その天保山行きに乗って行った先は、朝潮橋の中央体育館。
バレーボールVリーグ男子のファイナルラウンド二日目である。

開始1時間少し前に体育館入りしたが、先乗りしていた友人2名がわりと良い席を確保していてくれた。
先週の八尾に比べれば、中央体育館は適当な会場である。
スタンド席は空きもあったが、アリーナはよく入っていた。
第一試合はJT3−0サントリー、第二試合は堺3−1松下電器。
JT・サベリエフ、サントリー・ジルソンの打ち合いは観ていて楽しかったが、今日は集中力の差がJTのストレート勝ちという結果に出た気がする。
松下も些細なミスがもっと少なければ勝っていたかも知れないが、
コートに一度は倒れながら再びそのパワーを示した堺・杉山マルコスの奮闘が大きかった。

我々よりもちょっと下段のアリーナで、松下のメンバーが第一試合を観戦していたが、
色紙やカメラを持ったファンがひっきりなしにやって来てちょっとした行列ができるほど。
第二試合のコートに松下のメンバーが入ろうとするとズラーッと花道ができ、盛んにフラッシュが焚かれる。
えらい人気やなぁ。
試合中はその選手たちが座っていた席の通路で、カントル(松下)のお嬢ちゃんが応援席のチアリーダーそのままの振り付けで踊り、周辺の観客の注目を集めていた。

帰りの朝潮橋駅は一瞬改札制限をするほどの混雑ぶり。
最寄り駅はここしか無いからしゃあないけど。
最近色々あってちょっと気持ちが沈み気味だったが、
今日はバレーの試合と友人から元気をもらった。サンキュ。
時々、無性に博多へ行きたくなる。
誰かに会いに行くわけでもなく。
ただ足のおもむくまま街を徘徊したい。
玄海灘の潮風に吹かれたり。
ラーメンのスープの香りにまとわりつかれたり。

亡き父の故郷だった熊本はともかくとして、
ホークスが福岡へ行くまでその街のことは全然知らなかった。
1990年の夏、初めて平和台球場へ行って以来毎年1度は訪れている。
移動というのはだいたい体力を消耗するものだが、
特に博多へは元気をもらいに行っているような気がする。

大阪、そして関西の中にドップリ浸かっていると、
そこを離れてみるだけで新鮮な気分になれたりする。
まもなく3月になろうとしているが、まだ一度も関西を出ていない。
私の中にある“旅人の魂”がうずきはじめているようだ。
今月中は無理なので、来月は日帰り程度でちょっと遠出をしてみよう、と考える。

『博多学』は昨年夏に買ったのだが、私のカバンの中にまだ入っている。
時折引っ張り出しては、博多の気分を味わっている。
ちゃんとした感想は、いずれ書くことにしよう・・・と思う。
嗚呼、博多へ行きたい。

アタマ痛ぇ。

2004年2月26日
先週の日曜日(15日)は休みにも関わらず朝から出勤。
夕方まで仕事のはずが土壇場のキャンセル発生でお昼前で終了、
その足で花園へ向かって、神戸製鋼がNECに敗れた試合を前半10分頃から観た。

そのキャンセルになった仕事がまた日曜日に入ったとのこと。
今度は午前だけらしいが、どうなることやら。
終わってから花園の日本選手権へは行けるのだろうか。
そんな4年に1度の2月29日はどうやら雨らしいし。

ただでさえ仕事関係のややこしい話が頭の中を渦巻いているのに、
家に帰れば帰ったでまた新たな頭痛の種が出現していた。
ったく、人の気も知らないで・・・。
自分に関することだから、自分で解決するよりほかは無いのだけれど。

あれぇ・・・?

2004年2月25日
日記を書く前に、ネットサーフィンを楽しんでいる。
と言ってもだいたいは定期的なサイトの巡回。
今のところは社会人や大学のオープン戦でひとつでも行けそうなところはあるか、と探してはみるものの未だ該当無し。
HPを作っていないチームもあるが・・・。
いきなりグラウンドに行って何もやってなかったら嫌だしなぁ。

東京スポニチ大会の組合せが昨日発表になったが、
今年は月〜金の間で終わりそうなので行く予定はない。
大阪も兵庫も春季大会はオール平日。う〜ん・・・。
四国は土日で組合せも出たが、徳島蛇王球場はちょっと遠すぎる。
同じく20日から行われる京都の組合せが早く出ないかな、と思う。

その京都でちょっと気になったのが、いつの間にかチームが減っていたこと。
休部したならばその旨日本野球連盟のHPに出ているはずだが、
或る日忽然と姿を消したチームがある。
(どこのチームとは言わないけれど)どうしたんだろうか・・・?

気になる。

2004年2月24日
25日リニューアルの『アクエリアス』(写真は今日現在のパッケージ)のCMソングが最近気になる。
運動会でお馴染みの『クシコスの郵便馬車(クシコスポスト)』。
ラテン調の軽やかなパーカッションとトランペットの音色に何となく引き付けられる。
演奏しているのは誰なんだろう?

亡き父が若かりし頃、社交ダンスを嗜んでいたせいか、
ラテン音楽には子供の頃から少々親しんでいた。
私のお気に入りは“マンボの王様”ペレス・プラード楽団。
ペレス・プラード自身はすでに故人だが、生前最後の?大阪公演をフェスティバルホールへ観に行ったことがある。
何かの手違いで楽団員が全員集まらないままステージの幕が開き、
そのままで演奏を始めたのでお客さんが舞台に上がって抗議をして、
全員集合してからもう一度開演するという事態になった。
当初開演予定よりも数時間遅れてコンサートが再開され、
結局は通常の約1.5倍ぐらいの演奏を1日で楽しむことができた挙句、
主催者側から代金を返してもらうという珍しいコンサートになったのを覚えている。

高校野球の応援演奏で、『テキーラ』や『エル・クンバンチェロ』など、ラテンのナンバーが流れるとついそちらのほうに耳が傾く。
常総学院の『マンボNo.5』は特に出色だと思う。
『クシコスの郵便馬車』は・・・ラテンではないが、東海大相模がセンバツで優勝した時(2000年)に演奏していたな、確か。

さて、明日になれば冒頭の私の謎は解決されるのだろうか・・・。
日記にプロフィール機能がつくようになったが、
100問は多いのでセレクトして半分にしてみた。
自分という人物を知ってもらいたい気持ちはあるものの、
多くの質問に答えることで特定されてしまうのも困る。
考えすぎかも知れないけど。
でもこの手のQ&Aは結構好きなので、いろんな人のものを見て楽しんでいたりする。

とりあえず用意されたものを半分削っただけだが、
それでも答えについてはちょっと考えてしまう。
そのうち自分なりの質問を設定することも考えているので、
これが“ファイナルアンサー”ではないので念のため。

“アクセス元表示”もなかなか興味深い。
先週、自宅のネットに不自由していた時、会社から何度か日記にアクセスしてみたが、
その記録も(会社のドメインで)きちんと残っていた。
誰がアクセスしたかよりも、どこから辿り着いたのかが気になる。
某出版社HPからのアクセスにはさすがに「ほぉ〜」と声が出てしまったが。
近頃は“一関一高”“バンカラ”で来られる方が多い。
(一度しか書いていないのに)
折角来ていただいてもこちらは単なる感想がほとんどなので、
検索者の希望にかなうようなことは書かれていないと思う。
まぁ、これが今のところ私の日記のスタンスなので。
面目ないが。

探し物は何ですか。

2004年2月22日
とある資料を探しに、難波近辺の大きな書店を4軒ハシゴしていた。
気のせいではないと思うが、以前に比べて難波の書店の数が減っている。

近鉄難波ビルと御堂筋グランドビルにあった『ヒバリヤ書店』、
新歌舞伎座前の商店街入口近くにあった『難波ブックセンター』、
短命に終わった高島屋東向かいの『リブロ』、
心斎橋まで足を伸ばせば、ブックカバーが好きだった『駸々堂書店』、
OPAの中にあった『紀伊國屋書店』。

規模が大きく、品揃えが豊富な書店がドーンと1軒あるのはそれはそれでありがたいことではあるが、
この店になければあの店か、それとも・・・という選択肢が少なくなったのは寂しい。
何かの必要に迫られて探すでもなく、ただ単に書店のハシゴをする楽しみが最近の難波からはなくなりつつある。
学生時代よく出入りしていた大阪球場の古書街も思い出の彼方に・・・。

これは、と思うものが結局見当たらなかった替わりに、『JTB時刻表』の3月号を(ダイヤ改正号なので)購入。
3月13日の九州新幹線開業が大きなトピックのひとつだが、
それに伴って“西鹿児島”駅が“鹿児島中央”駅に改称されるのはどうもピンと来ない。
八代から川内までの在来線が『肥薩おれんじ鉄道』という第3セクターになるのも、なぜかしら「大丈夫か?」と思ってしまう。
まぁ、鹿児島まで行くことは当分ないだろうが、九州に縁のある身としてはどうしても気になるのである。

それにしても、書店巡りは飽きることがない。
探すのを止めた時、見つかることもよくある話で。
また時間に余裕のある時にハシゴしてみよう。
今日は久々の日記なのでちょっと長めです。

今週初めから自宅でネットの接続がほとんどできなかった。
PCか?モデムか?電話回線か?
どれが不調なのか全くわからない状態で、会社のPCからプロバイダに質問のメールを送ったところご丁寧な返事をいただいた。

そのメールを持って帰っていろいろ原因を探ってみたが一向に改善せず、電話で聞いてみることになった。
受付時間終了間際にもかかわらずこれまた丁寧な受け答え。
結局モデムを新しいものと交換することで話がまとまった。

ところが、である。
その電話を終えて1時間ほどしたら、何日かぶりでADSLが反応するでやんの。
エエ加減にせぇよ。
でもまた10分ぐらいで切れてしまった。

今日お昼前、新しいモデムが来た。
ちょうど出かける直前だったので、帰ってきてから設定することに。
で、やってみたら・・・おぉ、ちゃんと反応してくれるやないの。
やっぱりモデムが原因だったらしい。
が、まだ信用できないのでしばらく様子を見ることにする。

今日は友人と八尾市立総合体育館でバレーボールVリーグ女子のファイナルラウンド二日目を観戦。
パイオニアが久光製薬に、東レがNECにそれぞれ3−0のストレート勝ち。
NECが1セットも取れずに敗れるとは予想だにしていなかったが、25−22、25−22、25−23といずれもかなりの接戦で、3セットで終わったわりには息詰まる試合だった。
東レの選手の喜び方はストレート勝ちしたとは思えないような感じに見えた。

ここの体育館は私の地元に近いため、期間中1度は行く予定をしていたが、友人から「案内してほしい」という申し出を受けたので今日行くことにした。
(その報酬?は1週間遅れのチョコ。美味かったっす。)
まだ新しくてきれいなのだが、キャパシティが小さい。
男子に比べて観客が少ない女子の試合とは言え、ファイナルラウンドをするにはちょっと不似合いなサイズである。
切符売場が1箇所しかなく、当日券の指定・自由をその1箇所ですべてまかなっているので行列の進み方が遅い。
(昨年のレギュラーラウンド開催時には行列なんてなかったよな・・・。)
行列に並んでいる時に他の友人とも鉢合わせしたりして、スタンド席に入ると席はほとんど全部埋まっていたので仕方なく2試合とも立ち見。
さすがに疲れた。
かと言ってアリーナは高すぎるので最初から座る気は全然無い。

地元近くの人間が言うのもなんだが、
リーグ終盤のシリーズを八尾のような小さな会場でやるなんてちょっとなぁ・・・(^^;
大阪市中央体育館とか、府立体育会館とか、なみはやドームは空いてなかったんだろうけども。
もうちょっと考えてくれぃ。

取り急ぎお知らせ。

2004年2月17日
今会社です。

家のPCの調子が悪いため、当分更新できそうにありません。

(居るのかどうかわかりませんが)楽しみにされている方、

もうしばらくお待ちいただけますようお願いしますm(_ _)m
今日はラグビー日本選手権2回戦(花園)。
寒くて凍えるほどでもなく2月にしては暖かいほうだったが、
かなり強い風が吹いていた。
スタンドに居ながら近鉄電車の走行音が聞こえるのは、あまり記憶にない。
選手もキックにかなり苦労していたのではないだろうか。

今年の選手権はクラブ大会や大学の地区対抗大会の優勝チームも含む22チームによるトーナメント。
大会の最初のうちは今回しか観ることができないかも知れない対戦があったりして、
先週のタマリバクラブは観たかったのだが・・・。
今日の目玉?は『釜石シーウェイブス』。

かつて赤のジャージを身にまとい、ラグビー界にひとつの時代を作った
“北の鉄人”こと新日鐵釜石が生まれ変わったチームである。
野球の『かずさマジック』(新日鐵君津)、男子バレーの『堺ブレイザーズ』(新日鐵堺)と同様、
企業の枠にとらわれることなく地域密着型のスポーツクラブとして
活動を続けている。
シーウェイブスとしては花園初見参、だったと思う。

大阪から遠く離れているにもかかわらず、地元から多くのファンがつめかけていたことは、
今日バックスタンドに居て一瞬でわかった。
大漁旗をデザインした小旗(私も購入したが)を持つ人が多いだけでなく、
本物の大漁旗を振っている人も居る。
加えて、それと無く聞こえてくる観客の会話が明らかに関西弁でも関東弁でもないのである。
地元から愛されているチームなんだ、と肌で感じることができた気がする。

対戦相手の東海大学は健闘を見せたが、後半疲れが出たのか
釜石が怒涛の5トライ。
一度組んでから20mは進んで行く釜石のモールに場内からどよめきが起きる。
進むうちに何かペナルティーが発生したりするものだが、
(こう言っては何だが)いいモノを見せてもらった。
41−29で釜石が3回戦進出。

第二試合は豊田自動織機vs同志社大学。
前後半ともに織機が圧倒、後半は織機がトライを決める度に
お客さんが次々と席を立って行く光景が見られた。
大差がついて選手を一度に5人を入れ替えたり、
終了間際に負傷退場が出て14人で戦うなど余裕の勝利。
71−24と完膚なきまでに敗れた同志社だが、
ウィング・正面健司選手の走りに“華”を感じたのがせめてもの救いだった。

明日はマイクロソフトカップの準決勝が花園で行われるが、
私は休日出勤である・・・(--;

夢って何?

2004年2月13日
日の明るいうちに帰ることができたので、
近所の理容店へ散髪に行った。

私が愛用のこの店は、同じ場所で三代続いて営業している。
その三代目は小学校の同級生で、幼稚園〜中学校まで同じ。
メチャメチャ仲が良かったわけではないが、
何かの折にはずっとお世話になっている。

客の込み具合で二代目さん(つまり、彼の父上)に刈ってもらうことが多いが、
私は三代目の刈り方がなんとなく好きである。
同級生だけに相通ずるものがあるのかも知れない。
商売柄かなりの情報が入ってくるせいか、
「何組の○○くんがこの間なぁ・・・」
という具合に、同窓生の消息も知り得たりする。

今日は珍しいことに他にお客さんもなく、店には彼と私のみ。
こんな場面だから、自分の夢のことなどお互いにしかわからないような話もできた。

自分の本当の夢って、いったい何なんやろ?
日々の生活での目標はあっても、もっと長いスパンで考えると・・・?
この年齢になって考えるとは思わなかった。

近い将来、少々厄介なこと?を抱える羽目になるかも知れない事態が、
今私の身に降りかかろうとしている。
それ相当の年齢になったから、ということなのだろうか・・・。

やっぱり疲れてるのかな。
ザ・ハイロウズ『日曜日よりの使者』。

あれは、家にケーブルTVがやってきた頃だから、
4年ぐらい前の夏だったような気がする。
スカイ・Aの高校野球中継のCMで使われていた。
ナレーションはいっさい無し。
映像をバックに「♪しゃららーら・・・」と流れている、
ただそれだけのCM。
初めて見た時にひと目、というかひと聴きで印象に残った。
どんな映像だったかは思い出せない。

今度耳にしたのはホンダのCM。
ASIMOが地下鉄の駅かなんかの階段を上がって
地上に出てくる映像をバックに「♪しゃららーら・・・」。
これもナレーションは無かったと思う。
これもまたお気に入りになってしまった。
「Do you have a HONDA?」
と声が入ったのはケーブルカーに乗り遅れるやつからだったっけ。

女性ボーカル版のCM(これもホンダ)もあった。
女の子がバイクに乗って新聞配達しているバージョン。
「♪きぃみぃはぁ〜、きみこそはぁ〜、にちよぉぉ〜びよりのししゃぁ〜」
とコブシをきかせたようなオープニングから「♪しゃららーら・・・」
一昨年の都市対抗野球、ホンダ熊本(大津町)の試合の合間に
確かこのバージョンが流れて、応援席が一瞬にして手拍子に包まれた。
他のチームで自分の会社のCMが流れた時、拍手が起きることはあっても、
ここまでノリノリだったのは見たことがなくて、とても面白かった。

今回は『ゼブラーマン』という映画の主題歌になっているそうだ。
そう言えば近頃哀川翔がよく出てるなぁ。

何度も耳にしているわりにはまだCDを持っていないので、
カラオケで歌う自信はまだない。

ひねもすのたり。

2004年2月11日
週の真ん中の休日。
良いお天気だったが特に思いつくような行事がなく、
しかもまだ体調が完全ではないので無理せず遠出は避け、
BGMを流しながら手帳や資料の整理など、のんびり過ごした。

通常の手帳とは別に観戦用の手帳を昨年から作りだしたのだが、
一年目の昨年は私の入院のドサクサで未完に終わってしまった。
ふだん持ち歩いている手帳にもホークスの日程や主な大会の日程は書いているが、
観戦用はできるだけ詳細に記入しようと、少々大きめのものにしている。
こまごま記入していると、
「この日は西京極とヤフーのハシゴができそうやなぁ」
などとあれこれ考えたりする。
旅行の日程を考えているようでなかなか楽しい。
でも、今年はシーズン終了までちゃんと付けて行けるのだろうか・・・。

今日流していたうちの1枚は、
竹内まりや『Longtime Favorites』。
すべて外国のカヴァーで、元歌を知っているのも多いが、
私のお気に入りは『THE END OF THE WORLD』。
先日書いた日産のCDはまだ買えていない(^^;
今は大学受験のシーズンである。
私も10ウン年前はあちこち受けまくった。

卒業後の就職に有利な大学とか学部などは全く頭に無く、
自分が好きで勉強できる内容の学部しか受けなかった。

高校時代の成績はそれはそれは悲惨なもので、
クラスの中で科目別上位に入れたのは好きな科目であった
国語(現代文・古典)と日本史だけという有様。
あとは下から数えた方が早かったことは間違いない。

私学で、しかも系列の大学はあったものの
自分に相応しいと思う学科がなく(それでも一応受けたが)、
“国文学科”または“史学科”のある大学を片っ端から受けた。
東京へも受験しに行ったなぁ。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、てなもんや。

結局それがひとつだけ当たって、無事大学時代を謳歌することができた。
こじんまりした地味な大学ではあったが、
自宅から通える範囲だったし、友人知人の幅が大きく広がった。

最近たまにあちこちで母校の名前を目にすることがあるが、
スポーツ方面では相変わらず出てこない。
野球部もちょっと1部にいたかと思えばまた2部落ちしたし。
そんな中で昨年夏、野球部OBではおそらく初めて
(大学OBではすでにおられるが)“監督”として
甲子園の土を踏んだ方がいた。
彼の甲子園初采配は見事勝利。
学科は違うし、面識も無いが学年で言えば“後輩”にあたる
彼が率いるチームの勝利は非常に嬉しかったものだ。
ふだん目立たない母校だからこそ味わえる喜びだったかも知れないが・・・。

鳥取県立八頭高校・藤原監督。応援していますよ。

カラー。

2004年2月9日
2月からこの日記の仕様が新しくなったにもかかわらず、
色の設定も何もせずにそのまま放っておいたのだが、
カラーコード表をどこからか引っ張ってきてまさに“色々”楽しんでいる。
自分の日記の色が確定するまでかなり試行錯誤があると思うので、
もうしばらくご辛抱のほどを。

大学の旗や横断幕などを見ていると、各校のスクールカラーがよくわかる。
細かい表現はともかくとして、
紫なら関大、同志社、龍谷、佛大、立教、明治・・・。
エンジなら立命、早稲田。オレンジなら神戸、大商大、法政。
青系統でも京大はダークブルー、阪大は碧青、東大は淡青と
それぞれ異なる。関学の“KGブルー”もある。

しかし、私としてはどうしても外せないカラーがある。
ダークグリーン。
大学で言えば専修や東農大のカラーだが、
私の場合は、過去の日記を読んでいただければその理由は明確である。
今のところは、
ホワイトorアイボリー/ダークグリーン/マゼンタ
の配色を私の考えているとおりにできないだろうか、と思案中。
『球虹日記』というタイトルどおり七色にしてみるとか・・・はないなぁ(笑)

夢の向こうに。

2004年2月8日
スカイ・Aで『夢の向こうに』という番組が放送されていた。
高校の野球部員を対象にしたプロ野球現役選手によるシンポジウムで、
大阪と東京で行われたうちの東京会場の様子である。
時々席を立ちながら(昨日の事態がまだ回復せず)興味深く見ていた。

東日本側の6チームから2人ずつの選手が参加、
バッテリー編での古田(S)工藤(G)の喋ること喋ること。
それがまた非常に説得力があって面白い。
半分お笑いに足を突っ込んでそうな岩本(F)も、
ネタを交えながら?もマジメな話をしていて、思わず「へぇ〜」と感心するほど。
話術はさすがである。

工藤が高校生相手に技術指導している横で、
直立不動に近い態勢で耳を傾けている松坂(L)。
ひたすらメモを取っている古田と岩本。
こういうところにもつい眼が行ってしまう。

古田ほど饒舌ではないが、宮本(S)の話し方もわかりやすい。
同じショートで一緒に舞台に立った小坂(M)を見ていると、
「もっと堂々としててええねんで!」
と声をかけたくなるほどの控えめな態度。
それぞれの選手の個性が滲み出ている。

プロとアマチュアの壁はこれまでずっと取り沙汰されてきたことだが、
プロの選手を前に緊張しながらも一生懸命に吸収しようとしている高校生の姿を見て、
このような機会がもっと各地であれば、と思った。
カテゴリーは違っていても、同じ“野球”というスポーツなのだから、
不要に過ぎる壁はこれ以上作るべきではない。

はぁ・・・。

2004年2月7日
明け方4時頃、どういうわけか胃の痛みで眼が覚めた。
なんか悪いもんでも食うたんかなぁ・・・いや、そんな覚えはない。
時折下痢と吐き気が襲う異常事態。
今日行く予定だったラグビー日本選手権(花園)観戦は断念。

近くの医院に行くと、
「風邪の治りかけの時にこういう症状が出るんですよ」
と言われた。
先週までマスクをしながら仕事に行くほどの風邪で、
今週に入ってからはもう治った、と思っていたのだが。
熱は高くないが、溜息ばかりの一日。
土曜日で休日なのが唯一の救いであった。

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