チームの名前。

2004年2月6日 野球
よくある質問。
「プロ野球はどこのファン?」
と訊かれれば、私は
「“ホークス”です」
と答えることにしている。
世間一般で言われるところの“ダイエー”という表現は
私はできるだけ使いたくないのである。

産まれた時から筋金入りの、というわけではないが、
高校時代からなぜか“南海ホークス”の試合を
よく観るようになって以来のファンである。
私の場合の“ホークス”のルーツは、
あくまでも緑のユニフォームにある。
しかし、“南海ホークス”という大阪のチームではなくなっても
引き続いて“ホークス”を応援している。

“ダイエー”という会社に抵抗を感じているわけではない。
しかし、その会社そのものを応援しているわけでもない。
言ってみれば、“ホークス”が存在していれば
親会社なんてどこだって良いのである。
プロ野球の球団は一企業によって私物化されるべきものではない。
“ホークス”の選手は“ダイエー”の社員ではないのだし。
よって私は、プロ野球チームに関してはできるだけ
ニックネームでの表現をするように心がけているつもりである。

昨年、関西でホークスを応援している人々によって開催された
祝勝パーティーでのこと。
ゲストの諸口あきらさんがこんなことを言われた。
「“ダイエー”というプロ野球チームは、無いのです。
あるのは“ホークス”というチームなのです。」
球団関係者が列席している中でのこの発言に、
私は心から快哉の拍手を贈ったものだ。

バファローズの命名権売却騒動は、
昨日近鉄側が撤回を表明したことで白紙に戻った。
みっともない話やなぁとも思ったが、
正直言って少しだけホッとした。
明らかに宣伝目的の企業等の名が表に出るような、
しかもそれが数年ごとに変わるような事態が避けられたこともあるが、
やはりバファローズは近鉄でなければしっくり来ない。
パ・リーグのやること為すことを眼の敵にし、
プロ野球を私物化するかのような発言をして憚らぬ
あのオーナーが真っ先に噛み付いたのには腹が立ったけど。

世界の恋人。

2004年2月5日
聞くところによると、日産自動車のCMソングばかりを集めたCDが出るらしい。
最近のものでは、「ファラミコシャッペン、ミコシャッペン・・・」と聞こえる奇妙な?曲が耳に残るのだが、
私にとって日産の曲と言えば『世界の恋人』である。

社会人野球の都市対抗や日本選手権の本大会では、
スタンドで賑やかな応援風景が繰り広げられる。
エール交換の際に歌われる社歌や応援歌の類を
何度も耳にするうちに覚えてしまったチームもそれなりにある。
その中で、日産はたぶん応援歌の数が多いほうだと思う。

主に学内向けのものではあるが、大学によっては
校歌、応援歌などのCDが作られており、私も何枚か所有している。
(ちなみに関西学院はABC楠淳生アナのナレーション入り)
日産のように応援歌の多いところも作ったら面白いやろなぁ、
と思ったことはあったが、
『世界の恋人』だけはどうやらCD化が実現するようだ。

家でラジオを聴きながら仕事をしていた母の影響か、
私は物心つく前からラジオに親しんでいた。
当時、ABCラジオで『ポップ対歌謡曲』という番組があり、
そのテーマが『世界の恋人』のインスト。
よって、聴くとは無しに耳にそのメロディーはこびりついていたのである。

それから20年後ぐらいになるだろうか。
グリーンスタジアム神戸で行われていた社会人野球日本選手権、
日産自動車九州の試合でその生演奏を初めて耳にして、
おまけに歌詞までわかって妙に感激したものだ。
というわけで、極端な言い方をすれば『世界の恋人』1曲のために
このCDを買うことになると思う。
果たして、店へ行ってすぐに見つけられるようなシロモノだろうか・・・?

社会人野球の応援歌でCDとして発売された曲は、
私が知る限りひとつだけある。
それは『新日鐵堺応援歌』。
『キダタローのすべて』という2枚組のCDに収録されている。
私はまた別の目的でこのCDを買って、偶然発見したものだ。
今、応援スタンドで聞くことができないのが残念である。

気まぐれ。

2004年2月4日
昨日の夜からどうもPCの調子、
というかネット接続の調子が悪く、
結局昨日は日記をトバす羽目になった。
まぁ、もともと「気が向けば・・・」と公言しているので、
毎日書かねばいけないこともないのだが。

今日も帰宅してから立ち上げても、
PC本体にはなにごとも無いようだが
肝心のネットとメールが全然ダメ。
重要なメールが来ていたらどうしよう、と心配にもなる。
プロバイダのサポートセンターの電話受付は6時までなので
それまでに帰宅できるはずもなく、
FAXで今回の件を伝えようと文書を作っていた。
以前に別のトラブルがあった時もFAXで助けを求め、
すぐにではなかったものの丁寧な回答を頂戴したので今回も、
と思ったが。
作った文書をプリントアウトして改めて読み直しているうちに
復旧してしまったではないか。なんやねんな。
メールは来ていたが別にたいした内容ではなく、ひとまず安堵。

というわけでしばらく様子を見ることにして、
今回作った文書は次回のトラブルのためにとっておく。
ちなみにまだ本調子ではなく“気まぐれ”な状態なので、
画面に向かってブツクサ言っていることには変わりはない。

巡礼。

2004年2月2日
プロ野球は昨日キャンプイン。
ホークスは今年からキャンプ地を宮崎アイビースタジアムに移した。

プロ野球のキャンプには今まで一度も行ったことがない。
昨年までは高知でキャンプをしていたので、
夜行バスやフェリーでも使って行ってみようかな、
と思ったことはあってもいつも計画倒れ。
今度の宮崎アイビーは昨年オープンしたばかりの真新しい野球場。
ジャイアンツ二軍のサンマリンスタジアムと同じ宮崎市だが、
ちょっと不便なところにあるらしい。

中堅122m、両翼100mクラスの野球場を新たに造るとなると、
どうしてもより郊外の場所を選ばざるを得ない。
倉敷マスカットスタジアム、松山坊っちゃんスタジアムのように
駅から徒歩圏内にできることはまず珍しいのではないか。
中には路線バスが近くを走っていればまだ良いほう、という野球場もある。
まだ行ったことのない野球場へ1箇所でも多く行きたい、
という思いで毎年観戦予定を組んでみたりするが、
そこへたどり着くまでの公共交通機関をあれこれ探っているうちに
「う〜ん・・・」と考えこんでしまうこともこれから多くなりそうだ。
野球場に一番近いと思われる停留所までバスに乗っていると、
「おいおい、どこへ連れて行かれるんや?」
と思うような景色に遭遇することがあるのもひとつの楽しみだが。
自分の足で苦労して行った野球場は、その往復だけでも思い出に残る。

よくよく考えて見れば、西国三十三ヶ所などの“巡礼”と似ている気がする。
今シーズンはいったい何ヶ所の野球場を巡礼することになるだろうか。

散歩やさかい。

2004年2月1日
大阪府知事選挙の投票に行ったその足で、
特に用も無く堺まで散歩がてらに足を伸ばしてみた。
新今宮から久しぶりに南海電車に乗った。

堺駅からバスに乗って八幡町という停留所で降りると、
新日本製鐵堺製鉄所が目の前である。
製鉄所の敷地内には、かつては新日鐵堺野球部、
今はNOMOクラブが汗を流している野球場があり、
隣には柔道場、さらにその奥のほうには体育館がある。
今日、野球場では少年野球チームが試合をしていた。
体育館ではバレーボールV1リーグの女子大会が行われていて、
入ってみるとアクアフェアリーズとトヨタ車体の試合だった。
(フルセットまでもつれた結果、アクアが勝利。)
入口には、ここで練習している堺ブレイザーズのポスターが貼られている。

ここの野球場、見るからに狭そうな球場なのだが、
一応選手の名前が入る大きめのスコアボードもあり、
ネット裏にはちゃんとしたスタンドもある。
その点では枚方の松下球場よりも良いかも知れないが、
社会人の公式戦が行われるような気配はない。
都市対抗の阪和一次予選ででも使えば良いのに。

今日は行き帰りとも南海バスで堺駅との間を往復した。
堺駅からの便は日中1時間に1本のペース。
高野線堺東駅からは少しだけ本数が多いらしいが、
あくまでもほんの少しのようだ。どちらも210円。
製鉄所からしばらく歩いて浅香山通まで出れば、
住之江公園までの大阪市バスがあり、こちらのほうが便は多い。
市バスは乗継を使うとなんばやあべの橋まで200円で行けるので、
NOMOクラブのオープン戦など観に行く機会があれば、
いずれは試してみようと思う。

牛。

2004年1月31日
BSEの影響で、牛丼屋のメニューから牛丼が消えつつある。
替わりに用意した焼鳥丼などの鶏肉メニューも、
鶏インフルエンザの影響で危うい状態である。
弱り目に祟り目。大阪弁では“いかれこれ”と言う。

さて、我が家は生協の組合員である。
毎週注文のチラシが届くのだが、その中に時々『吉野家の牛丼の具』(冷凍)があり、
購入しておけば自宅で昼食を済ます時など非常に重宝する。
しかし、今回の騒動で生協のメニューからも『牛丼の具』が一時姿を消すことになった。
で、今日の昼食は自宅で牛丼。
なぜか『なか卯』の冷凍だった。(いつ注文したん?)
まだ冷凍庫に在庫はあるが、
「今ある分なくなったら今度いつ食べれるんやろ?」
と思いながら食べたことは、今まで無かったことである。
バファローズ戦で連敗が込むと「牛食うてゲン直しや」とばかりに、
球場へ行く前に食べに行ったりしたものだが・・・。

そのバファローズ。
大阪が本拠地で近鉄が経営することには変わらないようだが、
球団の命名権を売りに出す、という。
昨年、『グリーンスタジアム神戸』が『ヤフーBBスタジアム』になったのと同じ例で、
TVのニュースでは「球団の名前としては初めて」と伝えていた。
初めて?ちょっと待ってくれよ。
戦前の田村駒治郎オーナーの『ライオン(歯磨)』とか、
高橋ユニオンズにおける『トンボ』とか、
西鉄から経営が替わった福岡野球株式会社の『太平洋クラブ』『クラウンライター』とは違うケースなんか?

パシフィック・リーグ結成以来のチームで、唯一変わらなかった『近鉄』の名が来年のシーズンからなくなるとしたら、
どんな球団名になるのだろうか?
それより、5年以上の契約に乗ってくるような企業が、このご時世に果たしてあるのか?
『大阪バファローズ』でええやん、と思うのだが。
センバツ高校野球の出場校が今日決まった。

“21世紀枠”“希望枠”も含めて32校。
選考に対しては毎年のようにどこかで批判が続出し、
「自分の町の高校が選ばれないのはおかしい、訴えてやる」かのように意気込むお偉い方まで出てきたりするほど。
センバツはあくまでも招待の大会であって、各地方大会は甲子園への予選ではない、
という位置づけはされているようだが、秋に行われる地方大会の成績が重要な“参考資料”と
なっている点では、地方大会が実質上センバツの予選と思われても仕方がない。
しかし、選考委員会とやらの御眼鏡に適わない限りは、
昨年の福井商業のように例え地方大会の決勝に進出しても選ばれないのである。

その選考の是非はともかくとして、
夏の大会ではまずお目にかかれないかも知れない高校が
甲子園に出場するのは個人的には楽しみである。
県によっては近年或る高校で夏の甲子園を独占しているところもあるし、
(そんな高校が今回も選ばれているのは何となく・・・)
言い方は悪いが、観客の立場で言えば珍しいモノ見たさに近い感覚がある。
でも、選手たちにとっては甲子園のグラウンドに立つことは、
この上ない経験になるはずだと思う。
春は招待で出ることができた甲子園に、
夏は実力で勝ち抜いてまた帰って来ようと思う、
その気持ちがきっと成長の糧になるだろうから。

今回の出場校で私が気になる高校のひとつが、
“21世紀枠”の一関一高(岩手)。
ユニフォームには“KANKO”とある。
エースの木村投手は、旧チームから評判の高かった速球派右腕らしい。
それに加えて、岩手の伝統校に今でも数々見られるバンカラ応援の高校であること。
一関一高そのものには全く縁もゆかりもない私だが、
校歌のメロディーだけはなぜか知っている(^^;
日程の都合が良ければ観に行きたいものだ。

セも。

2004年1月29日 野球
セントラル・リーグ公式戦の詳細日程も発表された。
とりあえず切り抜きはしておく。
ただし、パシフィック・リーグほど熱は入らない。

関西に住んでいるとセ・リーグの試合と言えば甲子園のタイガース戦になるが、
観戦の優先順位としては低くて例え行ったとしても年に1、2試合程度。
昨年は日本シリーズ第5戦の1試合のみで、
セ・リーグの公式戦には全く行っていない。

タイガースは別に嫌いではない。
ただ、大騒ぎするファンが多く見られるあの雰囲気が、
どうも好きになれないのである。
昨年の日本シリーズ、レフトスタンドに設けられた(名前ばかりの)“ビジター応援指定席”の何とも言えぬ居心地の悪さ・・・。
観に行くとしても、あの喧騒からできるだけ離れた席を選びたい。

限定すれば、リーグ優勝がもう決まった後の消化試合でスタンドに空席が目立つ甲子園(できればドラゴンズ戦)の、
三塁側アルプス席の最上段ならば観に行っても良いぞ、という感じだろうか。

タイガースファンを敵に回すようで何だが、
私にとっての甲子園はタイガースではなく、
高校野球と関西学生野球(関関戦)と甲子園ボウルなのである。

或るバファローズファンの友人いわく、
「阪神の試合観るぐらいなら近鉄の負け試合観てるわ。」
そんな人物が私の周りにはなぜか多い気がする。

500。

2004年1月28日
日記をスタートさせてから4週間が経とうとしているが、
今日カウントが500を越えたようだ。
私の友人の中でこの日記の存在を知っているのは10人もいないはずなのに。
私の知らないところで読んでくれている方が居られることを思えば、なんとなく嬉しいものである。
感謝します。

実は、今日書こうと思っていたネタがある。
またもや音楽に関する内容だったのだが、
疲れているせいか?文章を考えているうちにまとまらなくなってきたので、
気持ちを切り替えて後日執筆予定にしようと思う(^^;

メガネ。

2004年1月27日
仕事中、メガネをかけている。
やや乱視が入っているものの、別にかけなくても新聞の活字ぐらいならば楽に読める程度の視力なのだが、
かけることでON/OFFの切り替えをするような感覚である。
とは言え、今の仕事は細かい図面やPCを前にすることが多いので、
視力減退の要因にはこと欠かない。

風邪がまだ続いているので、最近ずーっとマスクをしている。
ということは、メガネをかけていなくても両耳には何かがひっかかっているのである。
昼休みが終わって、再び図面を広げたところ何か線が歪んでいる・・・?
メガネをかけるのを忘れていたのだ。
帰りはメガネを外さずに帰ろうとするし・・・。

マスクをしたままメガネをかけていると、
鼻息がマスクの内側に跳ね返ってメガネを曇らせることがある。
そのままのど飴を舐めていると、爽やか過ぎる匂いが鼻を刺激する。
何をやってるんだ、ワタシャ。

メガネをかけたり外したりを繰り返すことは、
眼にとってあまり良いことではないらしい、
とはわかっていても。
かけっ放し、というのはどうも性に合わないので、
そのような生活を10年以上続けている。

ちなみに、仕事以外でメガネをかけるのは、
家でPCに向かってこんな日記を書いたりしている時と、
大阪ドームで“スコアを付けながら”野球観戦している時だけである。

帰りぎわに見たメガネ越しの空には、雪雲らしきものがあったような気がする。
冬の寒さはまだ続くんやなぁ。
昨日の日記、最後の一文を書いたところで突然ユーミンの曲が聴きたくなり(『春よ、来い』)、
およそ5年前に出た『ノイエ・ムジーク』というベスト盤を引っぱり出してきた。
私はコンサートへ行くわけでもなく、アルバムを集めているわけでもなく、
たまに聴く程度のヤワなファンである。
(中島みゆきのコンサートには行ったことがあるが)

その曲を初めて耳にしてから、しばらく期間をおいて改めて聴いてみると、
最初は見過ごしていた(聴き過ごしていた、ともいうべきか)歌詞が不思議なほど心に沁み込んでくることがある。
『春よ、来い』もNHKの連続テレビ小説のテーマソングだったなぁ、としか思わなかったものだが、
今頃になって噛み締めるように聴いてしまった。

そして、これは毎年のことだが、
ラグビーシーズンが終わりに近づくと『ノーサイド』を聴きたくなる。
昨日でトップリーグの全日程が終了、神戸製鋼コベルコスチーラーズが初代王者になった。
その一方で、近鉄ライナーズは42−42という壮絶なスコアでロスタイムに突入、
最後はペナルティーゴールが決まって逃げ切った。
長いリーグ戦をしめくくるキックがゴールをそれなかったお陰で、
自動降格をまぬがれたわけである(^^;
トップリーグ唯一の大阪のチームだけに、
近鉄ライナーズには頑張ってほしいのだが。
昨日のゲームは大分で行われたが、CSの中継がなかったのが非常に惜しい。

そう言えば今年は3月までラグビーシーズンが続くんやなぁ。
月が代わればマイクロソフトカップトーナメント、
そしてリニューアルされた日本選手権。
(私だけかも知れないが)仕組みがよく理解できていないままシーズンが進んでいる。

延期。

2004年1月25日
当初の予定では、今日行われるプロ野球マスターズリーグ最終戦(大阪ロマンズvs東京ドリームス@大阪ドーム)を観戦して、
今年の“野球始め”とするつもりであったのだが、
急遽所用が舞い込んできたため“野球始め”は延期になった。

マスターズリーグが始まってから、12月や1月でも野球観戦ができるようになった。
でも1月に観戦しに行ったのは一昨年の1試合だけで、
あとはずっと3月スタート。
社会人野球で言えば東京スポニチ大会の開幕あたりになる。
これで今年も“野球始め”は3月でほぼ確実だが、
今年のスポニチ大会は平日の間に終わるだろうから、対象ゲームはプロ野球のオープン戦になりそうである。

そう言えば、今週末にはセンバツ高校野球の出場校も決まる。
球春よ、はよ来い。

よどこう。

2004年1月24日 音楽
大阪府立淀川工業高校吹奏楽部のコンサートを観に、
肥後橋のフェスティバルホールへ行ってきた。

高校吹奏楽の世界では全国有数の実力を有する“淀工”の演奏は、
高校ラグビーや高校野球の開会式、昨年は大阪ドームで開催された
『3000人の吹奏楽』で聴いたことはあるが、
演奏会は(チケット入手が難しいらしく)行ったことがなかった。
昨年、ある友人から「家族と淀工のコンサートに行った」という話を聞き、
盛んに羨ましがっていたら友人の親御さんが
今回のチケットを手配してくれた。

3部構成だったが、第1部からすでに圧倒されっぱなし。
コンクールの課題曲から歌謡曲のメドレーまで多彩なラインアップ。
間にゲストの箕面自由学園高校チアリーダー部の演技があり、
これがまたすごいのなんの。
チャイコフスキーの『1812年』では、
2階席からOBが演奏に加わる仕掛けに驚くなど、
最後まで飽きさせなかった。

アンコールでは、指揮者の丸谷先生に声を掛けられた
ABCの道上洋三アナが客席から登場。
淀工バンドの演奏で『阪神タイガースの歌(六甲颪)』を歌ったが、
二番と三番の歌詞がごっちゃになっていた(笑)
しかし、応援団のトランペットとは違う本格的な演奏の『六甲颪』は
実に溜息モノである。

高校野球の大阪大会では、楽器を使った応援が禁止されているので、
近畿大会か甲子園にでも出ない限り、大阪の高校の演奏付き応援を聴くことはできない。
淀工野球部が仮に甲子園に出場できたとしたら、
どのような応援のスタイルになるのだろうか?
と想像したくなる。
できればありきたりなレパートリーはやって欲しくないなぁ。
で、5回終了後のグラウンド整備の間には『バイエルン分裂行進曲』(アンコールのラスト。淀工得意の定番曲らしい)を演奏したりして。

我が母校の吹奏楽部の定番曲は『川辺を下る』というデキシーランドジャズのナンバーで、
高校野球の全国軟式大会に出場した際、グラウンド整備の間にそれをしっかり演奏していた。
母校の場合は音量だけがとりえだったが・・・。

最後に、今日エスコートしてくれた友人と、
私の分も手配していただいたそのご両親(夜の部に行かれたらしい)に感謝。
来年も行きたいなぁ。

予定は未定。

2004年1月22日 野球
パシフィック・リーグ公式戦の詳細日程が発表された。
これで4月〜9月のだいたいの観戦予定を立てることができる。
社会人野球もおおまかな日程はすでに発表されているので、
あとは各大学のリーグ戦待ち、ではあるが・・・。

昨年はこれから夏の高校野球だ、都市対抗だと思っていた矢先に大怪我をしてしまい、
およそ2ヶ月を完全に棒にふった。
今年は、左足に入っている固定具を抜く、という“昨年の後始末”をまず考えなければいけないので、
ちょっと計画が立てにくい面がある。
その後始末のためにいつ、どのくらい入院することになるのか、まだ決まっていない。

ということは、今年は福岡へ行けるかどうかも怪しい、のである。
昨年同様、5月の社会人九州大会開催期間中に福岡ドームで試合が組まれているのでまずはそれを目標にしたいところ。
遠征用不定期積立金の残高はそれほど心配する必要はないのだが・・・(汗)

とりあえず、札幌ドーム初観戦は今年は無理そうだ、という結論だけは先に出た。
早く観ておきたいんやけどなぁ。

どうする?

2004年1月20日
声はなんとか出る。
しかし起き上がるのがやっとの状態。
1日寝ておけばなんとかなると思っていたが。
風邪で2日以上連続して休むのは何年ぶりだろうか・・・?
情けないったらありゃしない。

布団の中で聴いていたラジオで、
佐々木主浩がマリナーズを退団したことを知る。
日本球界に復帰するらしいが、どこへ行くのだろう?

ううっ。

2004年1月19日
昨晩から何かおかしい、と思っていたが。
咽喉をやられてしまったようで声が出ない。
熱もあったし、思い切って仕事を休んだ。

風邪気味の時にいつもお世話になっている医院へ、
およそ1年ぶりに行った。
昨年は風邪引きかけの時も、突発的に熱が出た時も
正月に貰った薬が残っていたからそれで何とかなったが、
もうなくなってしまったので行くことにした。

朝のうちは会社へ電話する時も声を出すのに一苦労だったが、
午後になると持ち直してきた。
一応飯は食えるからさほど重症ではないようだが、
こじらせてもいけないので、今日は大人しくしていよう。

今週末には数年来毎月定期的に通っている某病院へ行く予定がある。
しかし、いったい今何人のお医者さんに世話になっているんだろう?
仲良くなっておけばいろいろ便利なことには違いないが・・・。

大丈夫か?

2004年1月18日
なんだこの暖かさは。
昨日とは全然違うやんか。
日によって気候がこうコロコロ変わられては体調の維持が難しい。
コートを着て歩くとちょっと暑いぐらい。
でも日曜日はウララカなほうが良いに決まっている(『ウララカ』by大瀧詠一)。

昼過ぎに家を出て、ラグビートップリーグを観戦に花園へ行った。
第一試合・クボタ近鉄戦の後半15分あたりにバックスタンドに入ると、
今日の穏やかな日和のせいか、第二試合の神戸製鋼目当てかまぁまぁの入りである。
神鋼はリコーとの対戦。
ジャージの色で言えば“赤黒対決”。
失礼な言い方になるが、強かった頃の神鋼はいったいどこへ?と思うような内容だった。
前半はおろか、後半も残り10分過ぎまでリコーにリードを許していた。
ラインアウトが取れない。
選手の離合集散がスムーズでない。
パスがどうもつながらない。
神鋼を応援している人の「神戸〜!」という叫びが悲鳴にも聞こえるぐらいで、
「神戸なにやってんねん!」と怒鳴る人も。
フランカー斉藤祐也のトライなどで逆転勝ちはしたが、危なっかしい試合だった。
リコーと言えば、信野や月田はどうしたんやろ?
今日のメンバー表のリザーブにも入ってなかったのだが。

今日は愛知方面から友人が奥さんともども花園へ来ていて、およそ1年ぶりの再会となった。
帰りの近鉄電車がラグビー談義の場となったことは言うまでもない。
『青春18きっぷ』で在来線を乗り継いで名古屋まで帰るらしい。たいしたもんだ。

雪の朝、酒の夜。

2004年1月17日
朝からチラチラと雪が舞っていた。
積もるほどでもなく、雨混じりの雪。
TVで見る奈良公園は、うっすらと雪化粧していた。
今日みたいな天気の日には、例えば雪の金閣を見に朝から京都へ行きたいと思ったものだが、
近頃は足の具合もあって少々億劫になっている。
寒さの厳しい朝はけっこう辛いのである。

で、結局はTVでラグビー大学選手権の決勝を見てしまうのであった。
前半は早稲田がボールを支配していたように見えたが、
関東学院のディフェンスが堅く、0−0のままハーフタイムを迎えた。
後半が始まってみれば、それまで辛抱していた関東学院が一気に5つのトライを決めて圧倒。
早稲田は終了近くにやっと1トライを挙げただけ。
TVで見る限りだが、今日の国立霞ヶ丘競技場は空席が目立ち、大学選手権の決勝という感じがしなかった。

今日は夜から観戦仲間との新年会。
仕事で大阪出張中である遠来の友人を交え、
梅田の片隅で呑む。
最初は以前行ったことがある某居酒屋へ行くつもりだったが、
あるはずの場所に見つからない。
おっかしいなぁ、と思っていたらリニューアル中のため一時休業との張り紙が。
そう言えば今世紀に入ってから行ってなかったんや・・・(汗)
というわけで予定を変更して別の店へ。
私含め5人で、野球話は勿論のこと市町村合併の話題まで、幅広くしかもマニアックな楽しい宴となった。
しかし、呑めなくなったなぁ・・・。

9年の歳月。

2004年1月16日
その日、自宅の二階に寝ていた私は、
大きな揺れを感じて飛び起きた。

何分か経って、兄から「無事か?」と電話があった。
トイレの壁がバラバラと崩れていた以外、
たいした被害はなかった。

電車のダイヤは乱れていたが、定時出勤できた。

そして、神戸が大変なことになっていることを知った。

親戚は大丈夫だろうか。
友人は無事だろうか。
その日は連絡が付かず、翌日安否が確認できて胸を撫で下ろした。

阪神間を結ぶ三本の鉄道が全て途中で分断された。
高速道路が崩れ落ちた。
TV画面に映し出される、おびただしい煙、そして炎。

1ヶ月ぐらい経って、当時神戸在住の友人に会いに行った。
阪急電車と代行バスと地下鉄を乗り継いで
どのぐらいかかっただろうか。
たいした見舞いもできなかったが、
「来てくれただけでも嬉しいわ」
という言葉に救われた。

今までは味わえなかった神戸までの“距離”を感じながら、
3月にはグリーンスタジアム神戸へオープン戦を観に行った。
一時はどうなるかと思っていたが、
また神戸で野球が観られることの喜びが、
まだ肌寒いスタンドを包んでいたように思えた。

1995年1月17日。
断片的な記憶であるが、あれから9年の歳月が経ったとは思えないほど鮮明によみがえる場面がある。
それは決して風化することはないだろう。

大雪。

2004年1月15日
ここ最近の大荒れの天気で、北海道は大変らしい。
新千歳空港も閉鎖になっていたという。
台風並みの冬の嵐。とても想像できない。

昨年12月、職場の親睦旅行があり、行先は札幌だった。
もちろん往復飛行機、しかも土日使って1泊2日。
私はその5ヶ月前に左足を骨折。
雪道やアイスバーンの上を歩ける状態ではとてもなかったので早々とキャンセルしたが、
たまたまそんな時に今日のような大雪で帰りの飛行機が飛ばなかったら、
果たして休み明けの仕事はどうなっていただろう?

北海道で言うところの“平年並み”の積雪量であっても、
それが大阪に降ればたちまち大混乱に陥る。
その北海道が混乱している様子なのだから・・・。

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