満足。

2004年3月24日 野球
休暇を取って、午後から甲子園へ行った。
お目当ては第三試合、一関一(岩手)vs拓大紅陵(千葉)。
組合せが決まってからこの試合だけはどうしても観ておきたかった。
観たいと思う動機の半分は両校の応援ぶりなのだが。

第二試合の途中から、三塁側の特別自由席(雨なので銀屋根の下)で観戦。
そのままの視線で一塁側・一関一高の応援席を見ることができ、
三塁側・拓大紅陵の演奏をわりと近い距離で聴くことができる位置である。

一塁側アルプスは気が付けば満員に近くなっていた。
最上段のほうでは、“K”と白く染め抜かれた紫色の旗が何枚も乱舞している。
その振られかたが見事なまでに美しい弧を描いている。

スタメン発表のときは勿論、投手がストライクを取るたびに
地響きのような歓声が起こる。
甲子園から遠く離れたところにある高校のものとは思えない。
和太鼓が使えないことで取り入れられたブラスバンドの応援も、
始まってみればさほど違和感は無かった。
良い音が響いていたし、曲も個性的だった。
早稲田の『大進撃』のファンファーレから『軍艦マーチ』につながるとは予想外だったが(笑)
ちなみに、同じ岩手の盛岡一高の校歌のメロディーは『軍艦マーチ』だが、
一関一高でも応援歌のひとつになっているのかも。
『ジャングル大帝』のテーマも良かった。

一関一高の木村正太投手は右の本格派。
雨の中で球が高めに浮くこともあったが、140km台の速球をしばしば記録している。
球に威力があるのか、拓大紅陵の打者からは快音があまり聞かれなかった。
木村投手の投球を見ていて、ふと関大一高時代の久保康友投手(松下電器)を思い出した。
久保投手もクレバーな右のオーバースロー。
満員のアルプスからの大声援を受けて投げる姿が、被って見える。
あのときの関大一高アルプスも凄かった。

4回は四球と失策がもとで2点を先制され、
5回は3連続安打でさらに2点を追加される劣勢の中、
木村投手はまさに孤軍奮闘。
8つの三振は前評判を裏切るものではなかったと思う。
来年は神宮の六大学で投げているかも、と思うのは早すぎるか。

拓大紅陵の伊能英孝投手はそれほどスピードがあるようには思えないが、
四球は1回のみと制球が良く、気が付けば打ち取っているタイプの投手に思えた。
6回の打席で頭部に死球を受けるアクシデントも気にするもとなく、
終わってみれば完封勝利。

拓大紅陵の応援は久しぶりに球場で聴いたが、
レパートリーにオリジナル曲がさらに増えたような気がして、非常に楽しめた。
ひょっとして『コパカバーナ』以外は全部オリジナルではないだろうか?
千葉の決勝で拓大紅陵vs習志野などという対決になったら、
それはそれは想像を絶するような応援合戦なんだろうな、と思う。

6−0という点差でゲームは終わったが、
木村・伊能両投手の持ち味を楽しみ、
そして両校アルプスの応援も眼と耳で楽しんで、
充分満足して甲子園をあとにした。
昨日(18日)の夜、日記をまとめながら『白い巨塔』の最終回を見ていた。

だからと言うわけでもないが(笑)、昨夏に入院していた病院へ
3ヶ月ぶりの診察に行った。
今、私の左足には骨折手術の際に埋め込まれた固定具が入っており、
それをそろそろ抜こうか、という話である。
「急ぐ必要はないけど、1週間ぐらい休める時ならいつでも・・・」
と言われた。
えっ?そんなんでええの?
「○月○日頃から入院して抜きましょう」
のような言葉が出てくると思っていたのに、意表を突かれた。
「う〜ん、日程はちょっと考えさせて下さい」
と返事を保留した。
今年は対象外だと思うが、もし人事異動があれば4〜5月は難しそうなので、
6月頃になるかも知れない。
昨夏みたいに、高校野球も都市対抗も観に行けないと辛いしなぁ。

昨年末の診察時点で今日の予定は決まっていたので、
早くから堂々と“休暇”のしるしを自分の机のカレンダーに付けていたが。
あにはからんや、NOMOクラブとバファローズ二軍の交流戦がその日藤井寺であることが判明し、
病院の帰りに観に行けるかも、という可能性が幸いにも出てきた。
果たせるかな、試合開始10分ほど前のスタメン発表に間に合った。
アナウンスだけで、スコアボードには選手の名は出なかった。

NBC
000 000 200=2
110 000 000=2
バファローズ二軍

NBC:樋口新緑→笹村浩介
Bu:谷口悦司→宇都格→栗田雄介→近藤一樹→朝井秀樹

NBCは昨日、サーパス神戸に勝っている。
出来て間もないクラブチームがいきなり(二軍とは言え)プロと対戦するなど、
失礼ながら少々無謀ではないか、と思ったがそれは違っていた。
勝ちは勝ちである。

NBCの先発・樋口は野茂ばりのトルネード投法だったがどうもピリッとせず、
2イニング2失点で降板。
3回から投げた笹村は、毎回のようにヒットを打たれながらも無失点に抑えた。
直球になかなか威力があり、変化球とのコンビネーションも良かった。
6回まで3人の投手から2本しか安打が出なかったが、
近藤が登板した7回2アウト、四球の走者が出てから単打・四球で満塁の好機。
代打出場の武良鉄也がセンター前へ2点適時打で2−2の同点になった。
しかし近藤は立ち直ったのか後続を断ち、8回も3人で片付けた。
NBCの勝ちがなくなった9回ウラ、先制点を挙げた前田忠節が安打で出塁するも
続く下山真二が三振に倒れて引き分け。

あくまでも交流戦なので本来の実力はどうか測り得ないところがあるが、
今日の試合を観た限りでは、都市対抗の台風の目には充分なるように感じた。
近畿で言えば、大和高田クラブのような強豪クラブチームと試合をさせてみたい気がする。

NBCの或る内野手が守っているとき、
「声出して行こうぜ〜!」
と、大西ユカリで聞きなれたフレーズを発していた。
“レッドdeハッスル・OSAKA”のバファローズが相手なだけに面白かった。
プロ野球経験者が、社会人野球チームに選手あるいは指導者として
登録されることが増えてきた。
ライオンズ→サンワード貿易→ファイターズの渡邉孝男のように、
プロ野球の世界に復帰した選手も居る。

先日見つけたのが、広島の専門学校チームにコーチとして登録された榊原聡一郎。
カープ→ホークス→カープという球歴だが、
ホークスにはシーズン途中に入団して、
シーズン途中にカープへ移籍したはずの選手。
そのホークス在籍中に、一軍の試合で打った唯一の本塁打が記録されている。
1990年7月4日、大阪球場のバファローズ戦。
バファローズ主催ながらホークスのかつての本拠地で行われたゲームで、
私はレフトスタンドの木製の座席に腰掛けてその瞬間を見たことになる。
どんな選手だったか、という記憶はおぼろげではあるが、
その長いフルネームと大阪球場で打った本塁打が一軍で最初で最後だった、
という結果がその名前を記憶させている。

一昨年、ナゴヤドームで大越基のプロ入り初本塁打を見た。
まさかそれが、榊原と同じく一軍での最初で最後の本塁打になるとは思わなかった。
黒いストッキングをたくし上げて元気に動き回る“背番号0”大越の姿は、今年のホークスにはない。
将来指導者になるべく勉強中だという大越が、
再びユニフォームを着てグラウンドに帰ってくる日を私は心待ちにしている。
センバツ高校野球の組み合わせが今日決定した。

東邦(愛知)vs広陵(広島)のような春に強い伝統校同士の対戦もあれば、
済美(愛媛)vs土浦湖北(茨城)のように初出場ながら地区大会を制した高校同士の対戦も。
二松学舎大附(東京)vs大阪桐蔭(大阪)も地区優勝校同士。
明徳義塾(高知)vs桐生第一(群馬)の強豪対決は98年夏の開幕戦と同じカードで、
東北(宮城)vs熊本工(熊本)も過去に甲子園で対戦があったはず。
で、以前から気になっていた一関一(岩手)は、2日目第3試合で拓大紅陵(千葉)と対戦。

一関一高のバンカラ応援については過去の日記の中でも触れたが、
拓大紅陵の応援も曲が個性的で楽しみにしていただけに、
この対戦に関してはちょっと複雑な心境である。
雨天順延がなければ24日、午後からでも休暇を取って観に行きたいところ。
でも、行けたとしたらどの席で観戦しようかな・・・?

今のところは、6日目の観戦がほぼ確実。
報徳学園(兵庫)の片山投手が見たい。

NBC初観戦。

2004年3月14日 野球
NOMOベースボールクラブのオープン戦を観に、新日鐵堺グラウンドへ行ってきた。

新日鐵堺での観戦は初めてである。
スタンドに入る階段の脇に“新日鐵堺野球部”のメンバー表が休部当時のまま残されており、
現・ライオンズの後藤光貴の名も(内野手として)見える。
地元での初試合、しかもおだやかな天候の日曜日とあって、
観客もよく入っていた。
TV局の取材陣も来ていた。

スコアボードのチーム名には“NBC”とあった。
他の球場ではどのように略して書かれるのだろう、と思ったが、
非常に収まりの良い書き方である。これからそう略そう。
どこかの放送局みたいだけど。
選手名、守備位置は出なかった。当然場内放送も無し。
こんな場合、大学の試合だと背番号だけで判断しなければならないので、
スコアを付けるのに少々苦労する。
ましてや春のオープン戦。誰なのかほとんどわからない。
頼りになるのはベンチから呼びかける声と、
選手交代を告げる審判の声。
一応近畿学生リーグの昨秋のパンフを持ち込んで、背番号が変わっていないことを前提にほとんど“仮名”でスコアを付けた。
それでも最後までわからなかった選手も居るわけで・・・(^^;

得点経過は以下のとおり。

阪南大学
000 000 101=2
101 010 01X=4
NBC

阪南大:#26→#17→#19→#29→#18(谷垣大輔?)
NBC:小縣由明→柏木康介→笹村浩介

NBC先発の小縣は、昨年まで阪南大のエースだった。
5イニングスを投げ無安打2四球の好投。
1回裏の先制点は二死満塁の場面で柳田殖生の適時打。
以後、毎回のように走者は出すが、大量点には結びつかず。
守備、走塁とも記録に表れないミスが時折あった気がする。
公式戦だとそのミスが試合を大きく左右することもあるので少し気になった。
風がやや強く、両チームともに外野手が目測を誤る場面もあった。

NBCは、先週和歌山で行われた奈良産業大学とのオープン戦で、
10安打ながら1−2で敗れたという。
今日地元で初勝利を挙げたが、あくまでもオープン戦。
勝ち負けよりも今後の課題を確認するための場だと思う。
でも、これからが楽しみなチームであることには間違いない。
鳴尾浜球場へ、タイガースvsホークスの二軍の試合を観に行ってきた。
ウェスタンの教育リーグである。
結果から先に言えば、4−1でホークスの勝ち。

ホークスの先発投手は新外国人のグーリン。
どこか捉えどころのない変則的なフォームの長身左腕で、
上からと思えばサイドから投げて打者を惑わせる。
さほど制球も良いとは思えないが、つい引っかかってしまうような感じである。
7イニングスで、2回ウラ中村豊の三塁打による1失点だけとまずまず。
8回から田中総司が登板。
かつての立命館の左腕エースもプロ5年目、未だに鳴かず飛ばず。
まともに打たれたのは沖原佳典の二塁打1本のみ、と言えば聞こえは良いが、
“フルハウス”の連発はなんとかしてもらいたいところ。
投げる前、頭の後ろでの左手の動きが何か変で気になる。

タイガース先発は、かつての同志社のエース・細見和史。
昨年はライオンズに居て、今年テスト入団。
1、2回は無難だったが、3回表山崎勝己に初安打を打たれてからは苦しい投球。
落ちる球が何度もワンバウンドして、捕手の浅井良が四苦八苦していた。
3回表は北野良栄の二塁打+中継ミスで3点を挙げてホークスが逆転。
走者を出すと出さないでこれほど投球に差がある投手だったのか、細見は・・・。

今日はホークスの3番・捕手の北野が元気で、二塁打3本の5打数3安打3打点。
5回・7回の二塁打はいずれも初球だった。

タイガースで今日出場したメンバーを改めて見てみると、

《先発出場》
萱島大介(ローソン)
庄田隆弘(シダックス)

《途中出場》
竹下慎太郎(三菱自動車川崎→大分硬式野球倶楽部)
伊代野貴照(ローソン)
沖原佳典(NTT関東→NTT東日本)
早川健一郎(日産自動車)

と、何故か関東の社会人チームOBが目立ってしょうがない。

鳴尾浜球場へは、甲子園駅から阪神バスに乗って行くのが一般的なようだが、
今日は阪神の武庫川団地前駅から15分ほど歩いて行った。
団地の横をずっと歩くと、鳴尾浜臨海公園の中に入る。
ここには、1983年の第65回全国高校野球選手権記念大会を機に設けられた『白球の森』がある。
臨海公園内にも照明塔付きの野球場はあるが、
タイガース二軍の鳴尾浜球場はもう少し先なのでお間違えなく。

やっとかめ。

2004年3月7日 野球
名古屋弁では「久しぶり」のことを「やっとかめ」と言う。
漢字で書けば「八十日目」となる。
今日名古屋へ行ってきたのだが、名古屋の土を踏んだのは昨年6月以来だから80日どころか、えーと・・・まぁええか。

今年最初の野球観戦はナゴヤドームのオープン戦、ドラゴンズvsマリーンズ。
オープンしてから5回ぐらいは行っていると思うが、
名古屋駅からどうやって行くかをいつも考えてしまう。
地下鉄には“ナゴヤドーム前矢田”という駅があるのだが、
“ドーム前”のわりにはちょっと距離があるような気がするし、
(大阪環状線大正駅〜大阪ドームよりも遠く感じる)
名古屋駅からだと乗り換えが1回あるし、260円かかる。
地下鉄の駅ができるまではJR中央線千種駅から市バスに乗って行ったこともある。
で、今回は名古屋駅から市バスに乗ることにした。
専用レーンを走る“基幹バス”という系統で萱場まで乗れば、
ナゴヤドームの屋根が近くに見える。
地下鉄よりも時間はかかるが、乗り換え無しで200円と安い。

ドーム内の『大幸横丁』で味噌カツ定食を食べてから三塁側内野席へ。
日曜日だけにスタンドの入りは良い。
ドラゴンズの先発投手は平井正史、マリーンズはミンチー。
落合監督になってユニフォームをモデルチェンジしたドラゴンズだが、
前、横からはまだ見慣れないものの、真後ろから見ればそれほど違和感がない。
むしろ井上一樹の“9”谷繁元信の“27”に違和感を覚える。

平井は5回を投げてマリーンズ打線を1安打に封じる好投。
しかし6回から登板した紀藤真琴から小坂誠が三塁打で出ると、ベニーがタイムリー二塁打でマリーンズ1点先制。
7回には代打里崎智也のタイムリーで追加点。
ドラゴンズは走者を出すも併殺に取られるなど拙攻で得点できず、2−0でマリーンズの勝利。

元ホークスの浜名千広が二塁手で先発出場していたのは嬉しかったが、
グレーのユニフォームを着て伏目がちに打席に入る姿がビジョンに映し出されるのを見ると、
「なんかえらい地味やなぁ、せめて正面向けよ〜」
と思わずにはいられなかった。

終盤、ドラゴンズの二塁に酒井忠晴が入ると、レフトのマリーンズファンからも大きな拍手と歓声が起こった。
打順が回ってくれば、ライトレフト両方のスタンドから
「かっとばせー、酒井!」
の大声援。
オープン戦ならではのシーンに思わず笑った。

帰りの電車までまだ時間に余裕があったので、百貨店や地下街を散策。
最近の報道で、名古屋という街の元気さがよく伝えられているのがなんとなくわかる。
大阪に比べてどこか華やかな雰囲気を感じる。
近鉄特急に2時間乗ればそこは別世界、とは言い過ぎかも知れないが。

せっかく来たのだから名古屋の味に触れなければ、と夕食は地下街で“あんかけパスタ”にしたが、
「まぁ、こんなもんかな」
という味だった。

チームの名前。

2004年2月6日 野球
よくある質問。
「プロ野球はどこのファン?」
と訊かれれば、私は
「“ホークス”です」
と答えることにしている。
世間一般で言われるところの“ダイエー”という表現は
私はできるだけ使いたくないのである。

産まれた時から筋金入りの、というわけではないが、
高校時代からなぜか“南海ホークス”の試合を
よく観るようになって以来のファンである。
私の場合の“ホークス”のルーツは、
あくまでも緑のユニフォームにある。
しかし、“南海ホークス”という大阪のチームではなくなっても
引き続いて“ホークス”を応援している。

“ダイエー”という会社に抵抗を感じているわけではない。
しかし、その会社そのものを応援しているわけでもない。
言ってみれば、“ホークス”が存在していれば
親会社なんてどこだって良いのである。
プロ野球の球団は一企業によって私物化されるべきものではない。
“ホークス”の選手は“ダイエー”の社員ではないのだし。
よって私は、プロ野球チームに関してはできるだけ
ニックネームでの表現をするように心がけているつもりである。

昨年、関西でホークスを応援している人々によって開催された
祝勝パーティーでのこと。
ゲストの諸口あきらさんがこんなことを言われた。
「“ダイエー”というプロ野球チームは、無いのです。
あるのは“ホークス”というチームなのです。」
球団関係者が列席している中でのこの発言に、
私は心から快哉の拍手を贈ったものだ。

バファローズの命名権売却騒動は、
昨日近鉄側が撤回を表明したことで白紙に戻った。
みっともない話やなぁとも思ったが、
正直言って少しだけホッとした。
明らかに宣伝目的の企業等の名が表に出るような、
しかもそれが数年ごとに変わるような事態が避けられたこともあるが、
やはりバファローズは近鉄でなければしっくり来ない。
パ・リーグのやること為すことを眼の敵にし、
プロ野球を私物化するかのような発言をして憚らぬ
あのオーナーが真っ先に噛み付いたのには腹が立ったけど。
センバツ高校野球の出場校が今日決まった。

“21世紀枠”“希望枠”も含めて32校。
選考に対しては毎年のようにどこかで批判が続出し、
「自分の町の高校が選ばれないのはおかしい、訴えてやる」かのように意気込むお偉い方まで出てきたりするほど。
センバツはあくまでも招待の大会であって、各地方大会は甲子園への予選ではない、
という位置づけはされているようだが、秋に行われる地方大会の成績が重要な“参考資料”と
なっている点では、地方大会が実質上センバツの予選と思われても仕方がない。
しかし、選考委員会とやらの御眼鏡に適わない限りは、
昨年の福井商業のように例え地方大会の決勝に進出しても選ばれないのである。

その選考の是非はともかくとして、
夏の大会ではまずお目にかかれないかも知れない高校が
甲子園に出場するのは個人的には楽しみである。
県によっては近年或る高校で夏の甲子園を独占しているところもあるし、
(そんな高校が今回も選ばれているのは何となく・・・)
言い方は悪いが、観客の立場で言えば珍しいモノ見たさに近い感覚がある。
でも、選手たちにとっては甲子園のグラウンドに立つことは、
この上ない経験になるはずだと思う。
春は招待で出ることができた甲子園に、
夏は実力で勝ち抜いてまた帰って来ようと思う、
その気持ちがきっと成長の糧になるだろうから。

今回の出場校で私が気になる高校のひとつが、
“21世紀枠”の一関一高(岩手)。
ユニフォームには“KANKO”とある。
エースの木村投手は、旧チームから評判の高かった速球派右腕らしい。
それに加えて、岩手の伝統校に今でも数々見られるバンカラ応援の高校であること。
一関一高そのものには全く縁もゆかりもない私だが、
校歌のメロディーだけはなぜか知っている(^^;
日程の都合が良ければ観に行きたいものだ。

セも。

2004年1月29日 野球
セントラル・リーグ公式戦の詳細日程も発表された。
とりあえず切り抜きはしておく。
ただし、パシフィック・リーグほど熱は入らない。

関西に住んでいるとセ・リーグの試合と言えば甲子園のタイガース戦になるが、
観戦の優先順位としては低くて例え行ったとしても年に1、2試合程度。
昨年は日本シリーズ第5戦の1試合のみで、
セ・リーグの公式戦には全く行っていない。

タイガースは別に嫌いではない。
ただ、大騒ぎするファンが多く見られるあの雰囲気が、
どうも好きになれないのである。
昨年の日本シリーズ、レフトスタンドに設けられた(名前ばかりの)“ビジター応援指定席”の何とも言えぬ居心地の悪さ・・・。
観に行くとしても、あの喧騒からできるだけ離れた席を選びたい。

限定すれば、リーグ優勝がもう決まった後の消化試合でスタンドに空席が目立つ甲子園(できればドラゴンズ戦)の、
三塁側アルプス席の最上段ならば観に行っても良いぞ、という感じだろうか。

タイガースファンを敵に回すようで何だが、
私にとっての甲子園はタイガースではなく、
高校野球と関西学生野球(関関戦)と甲子園ボウルなのである。

或るバファローズファンの友人いわく、
「阪神の試合観るぐらいなら近鉄の負け試合観てるわ。」
そんな人物が私の周りにはなぜか多い気がする。

予定は未定。

2004年1月22日 野球
パシフィック・リーグ公式戦の詳細日程が発表された。
これで4月〜9月のだいたいの観戦予定を立てることができる。
社会人野球もおおまかな日程はすでに発表されているので、
あとは各大学のリーグ戦待ち、ではあるが・・・。

昨年はこれから夏の高校野球だ、都市対抗だと思っていた矢先に大怪我をしてしまい、
およそ2ヶ月を完全に棒にふった。
今年は、左足に入っている固定具を抜く、という“昨年の後始末”をまず考えなければいけないので、
ちょっと計画が立てにくい面がある。
その後始末のためにいつ、どのくらい入院することになるのか、まだ決まっていない。

ということは、今年は福岡へ行けるかどうかも怪しい、のである。
昨年同様、5月の社会人九州大会開催期間中に福岡ドームで試合が組まれているのでまずはそれを目標にしたいところ。
遠征用不定期積立金の残高はそれほど心配する必要はないのだが・・・(汗)

とりあえず、札幌ドーム初観戦は今年は無理そうだ、という結論だけは先に出た。
早く観ておきたいんやけどなぁ。

南海ホークス。

2004年1月9日 野球
今日夕方放送されたABCテレビの『歴史街道』で、
なんばパークス7階にある『南海ホークスメモリアルギャラリー』が紹介されていた。
オープン以来何度か足を運んだことがあるが、
このギャラリーは今の状態でどれだけ続けて行くつもりだろうか、と心配もしたりする。

70年近いプロ野球の歴史の中で、数々のチームが産まれては消えていった。
“身売り”によって親会社が代わり、本拠地が移転したホークスのような例はまぁあるにしても、
このギャラリーのように、企業としては過去の遺物であるはずの球団を顕彰する施設をわざわざ設けることは、私は今まで耳にしたことはなかった。
阪急ブレーブスしかり。
西鉄ライオンズしかり。
東映フライヤーズしかり。
その点は評価して良いように思う。

ホークスが福岡へ移って今年で17年。
それでも、大阪や神戸で試合がある時は未だにスタンドで『南海ホークスの歌』を歌うことがある。
緑のユニフォームを着た人も何人か見かける。
大阪の地でひとつの時代を築いた南海ホークスの歴史は、南海電鉄という企業の手を離れた今でも脈々と受け継がれているのだ。

なんばパークスの敷地内には、ピッチャーズプレートとホームベースをかたどったモニュメントもある。
かつての大阪球場のそれと同じ位置なのだそうだ。
実際その位置に立っても、そこに見えるのは球場を思い起こさせるものではなく、なんばパークスというハイカラなスペース。
しかし、大阪球場の姿は私の瞼の奥にずっと焼きついている。

ちなみにこの私の日記のタイトルは、『南海ホークスの歌』からインスピレーションを得ている。
詳しくはまた後日。

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