熱球。

2004年12月21日 読書
宇和島東高校(愛媛)が甲子園に出場すると、
アルプススタンドには「熱球 血をすゝりて」と書かれた横幕が張られる。
「必勝 ○○高等学校」のようなありふれた内容ではない横幕を
甲子園などで見かけるとちょっと注目してしまう。

例えば、
・秋田高校「鎧袖一触」(←秋田の横幕でこの言葉を覚えた)
・早稲田実業高等部「去華就実」(←私の座右の銘でもある)
・関西学院高等部「NOBLE STUBBORNESS」(←最初読めなかった)
・盛岡第一高校「振へや杜陵の健男児」(←校歌の一節。大好きです)
など。私の母校の横幕は少なくとも2種類あるらしく、
 「力と誉れと栄光と」
 「鷲のように翼を張って上れ」(←イザヤ書第40章31節)
明石公園ではこれからも見られることがあるかも知れないが、
私が生きているうちに甲子園で見ることはまず無いと思う。 

宇和島東高校の横幕もかなり個性的な部類。
しかも“血”の一文字があるだけでただごとでは無いような連想をする。
「熱球 血をすゝりて」は宇和島東高校の応援歌の一節。
しかし、この応援歌は宇和島東高校だけのものではない。

何年前かは忘れたが、『高校生クイズ』(NTV)の決勝に出場した高校で
「熱球」と書かれた野球応援で使うようなウチワを持っていたところがあった。
その“熱”の文字、部首で言えば“レンガ”の部分が“火”になっていて、
言い方は悪いがオドロオドロシイ書体で書かれていた。
その高校とは山口高校(山口)のことで、「熱球」は応援歌の題である。
重松清がこの本の「文庫版あとがき」で書いているが、
山口高校(あとがきではY高校とある)の「熱球」は、
OBにとっては校歌以上に思い入れのある歌らしい。

ある日、偶然山口高校関連のサイトで「熱球」を聞くことができたのだが、
宇和島東高校の「熱球」と同じメロディーだったのに驚いたことがある。
さらに調べてみると、福岡高校(福岡)にも同旋律別歌詞の歌があり、
元歌は旧制第七高等学校(鹿児島)の応援歌のひとつという。
旧制高校の応援歌の類が、現在でも歌われるケースはたまに見かける。
東京大学のスタンドでは「嗚呼玉杯に花うけて」(一高寮歌)が歌われるし、
一関第一高校(岩手)と福岡高校(岩手)の校歌は、
歌詞は違えども同じ「春爛漫の花の色」(一高寮歌)の曲が使われている。

その学校のためだけに作られた曲では無いにしても、
ひとつの歌が長きに渡って生徒たちに歌い継がれて行くことで
世代を超越したつながりが生まれる。
古くさい伝統、とひとことで片付けられる向きも確かにあるが、
「熱球」のような歌が母校にあるというのは、私はとても羨ましく思う。

山口高校は長い歴史を誇りながら、野球部の甲子園出場は一度も無い。
小説での周防高校もそう。
言い換えてみれば、甲子園にたどり着くまでに負けることを重ねてきた。
しかし、あとひとつ勝てば甲子園というところまで来て、
試合に負けることすら許されず最終学年を終えざるを得なかったことがある。
その事件(もちろんフィクション)が、小説のベースにある。
重松清の優しい視点にすっかり引き込まれてしまった。

山口高校の「熱球」がスタンドでどのように歌われているのか、
見てみたくなったが、山口大会を観に行かなきゃ無理かな・・・。

おみやげ。

2004年4月26日 読書
どこかへ旅行(というか、遠征だな)へ行ったとき、
自宅や職場へおみやげを買って帰る。
帰途につく直前の駅、もしくは空港であれこれ物色しても、
結局は定番のものに落ち着いてしまう。

包み紙を破れば何も書かれていない真っ白な箱で、
さらにフタを開けると菓子の入ったビニール袋の中には、
商品の安全性を示した紙はあっても菓子の由来的なものが無く。
連絡先はフリーダイヤルで製造元販売元の住所が無い。
どこで作られたものなのかわからないくせに、
当地の名物でござい、のような顔で陳列されているおみやげだけは
絶対に買いたくないのである。
“○○へ行ってきました”なんて怪しいよなぁ。

できればその土地でしか売っていないようなもの、
さらに百貨店の物産展にも出そうにないものを選ぼうとするが、
これが難しい。
『萩の月』や『博多通りもん』が期間限定とは言え、
大阪市内の某百貨店で買えてしまったときの複雑な心境と言ったら・・・。
『東京ばな奈』をまだ見ていないのが今のところ救いである。
『舟和の芋ようかん』はたまに見かけるけど。

この本の巻末には、地区限定プリッツ&ポッキーの一覧が
付録(オマケ)として掲載されている。
私は『ジャイアントプリッツ・博多明太子』のファンだが、
小さいほうの明太子味のプリッツが最近売られているのを見つけ、
う〜ん、と考えてしまった挙句、買って食べてみた。
まぁ、いけるんやけど・・・あの味ほどのインパクトはないなぁ。
時々、無性に博多へ行きたくなる。
誰かに会いに行くわけでもなく。
ただ足のおもむくまま街を徘徊したい。
玄海灘の潮風に吹かれたり。
ラーメンのスープの香りにまとわりつかれたり。

亡き父の故郷だった熊本はともかくとして、
ホークスが福岡へ行くまでその街のことは全然知らなかった。
1990年の夏、初めて平和台球場へ行って以来毎年1度は訪れている。
移動というのはだいたい体力を消耗するものだが、
特に博多へは元気をもらいに行っているような気がする。

大阪、そして関西の中にドップリ浸かっていると、
そこを離れてみるだけで新鮮な気分になれたりする。
まもなく3月になろうとしているが、まだ一度も関西を出ていない。
私の中にある“旅人の魂”がうずきはじめているようだ。
今月中は無理なので、来月は日帰り程度でちょっと遠出をしてみよう、と考える。

『博多学』は昨年夏に買ったのだが、私のカバンの中にまだ入っている。
時折引っ張り出しては、博多の気分を味わっている。
ちゃんとした感想は、いずれ書くことにしよう・・・と思う。
嗚呼、博多へ行きたい。

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