秀山祭@南座。

2012年3月17日 趣味
秀山祭@南座。
京都・南座で『秀山祭(しゅうざんさい)三月大歌舞伎』を観て来ました。
“秀山”とは初代・中村吉右衛門の俳名で、
初代の生誕120年を記念して2006年9月に歌舞伎座で行われたのが始まり。
東京以外での公演はこれが初めてだそうです。

南座は松竹座と違って“幕見”が無いので、
年末の『顔見世』以外で歌舞伎を観に行くことはおそらく10年以上ぶりのこと。
当代の中村吉右衛門演ずる『俊寛』が観たかったので、
意を決して?チケットを購入(3階席の最上段)しました。


その『俊寛』の話。


平家打倒の企てが平清盛に知られたことで、
鬼界ヶ島に流刑となった俊寛僧都、丹波少将成経、平判官康頼の3人。
以来3年、細々と島で暮らして来て、
成経には島の海女である千鳥という恋人が出来ています。

或る日、都から赦免の使者を乗せた船が鬼界ヶ島へやって来て、
使者の瀬尾太郎兼康が赦免状を読み上げますが、
都へ帰ることを許されたのは成経と康頼の2人。
清盛の俊寛に対する憎悪の念があまりに深かったため、俊寛だけ残されることに。
同じ罪によって同じ場所へ流されたのになぜ自分だけが、と嘆く俊寛でしたが、
あとで現れたもう一人の使者、丹左衛門基康が清盛の長男・重盛の意として、
俊寛も船に乗って備前まで戻ることになりました。

これに喜んだ3人は、千鳥を伴って船に乗り込もうとしますが、
瀬尾は千鳥の乗船を許しません。
千鳥を乗せられないなら4人揃って島に残る、と言い出したのを見て、
丹左衛門が俊寛らの願いを聞いてやろうとするものの、
瀬尾は「罪人を船に乗せて帰すのが我々の仕事、あとは知らん」とばかりに拒否。
さらに俊寛に向かって、俊寛の妻が清盛に殺されたことを告げます。

妻を殺されて都へ戻る希望を失った俊寛は、
自分は島に残るから千鳥を船に乗せてやってほしいと瀬尾に懇願しますが、
瀬尾は頑として受け付けません。
思い余った俊寛、瀬尾の刀を引き抜いて瀬尾に斬りかかります。
斬られた瀬尾は船上の丹左衛門に助けを求めますが、
丹左衛門は「罪人を船に乗せて帰すのが我々の仕事、あとは知らん」というわけで、
その場面をじっと見守るばかり。

瀬尾を討ち取った俊寛。
その思いを丹左衛門は汲み取って、俊寛の代わりに千鳥の乗船を許します。
船は浜辺から島を離れ、俊寛は船に向かって手を振り続けますが、
島に残る決心をしたとは言え思い切れずに船の後を追ううちに波に戻され、
岩の上へと這い上がって去りゆく船を見送るのでした・・・。


『俊寛』は吉右衛門の当たり役、と各方面から評されています。
歌舞伎というのは言わば“様式美”の世界ではあるのですが、
『俊寛』や『曽根崎心中』など近松門左衛門の作品はどれも人間描写が豊かで、
役者もそれなりにリアルな表現が要求されます。
それでいて現代劇ではなく歌舞伎ならではの演出を表に出すわけですから。

俊寛が遠ざかる船を必死で追おうとしているところで、
浄瑠璃が「思い切っても凡夫心(ぼんぷしん=平凡な人の心)」と語り、
花道から波の模様がスルスルと舞台に向かい俊寛の行く手を阻む。
やっとの思いで岩に上がって、遠ざかる船を万感の思いで眺める。
このシーンだけでも涙がじんわり滲み出て来るぐらいで、
鬼気迫る演技、とはまさにこのことかと思います。


また、今回の秀山祭では、
中村歌昇改め三代目中村又五郎、中村種太郎改め四代目中村歌昇、と
親子同時の襲名披露がありました。
夜の部にその“口上”もあったのですが、
いつもの芝居がかった口調だけではなく役者さんの“素”も出たりするので、
これもなかなか楽しかったです。

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