まず最初に言っておきますが、
私は“野球留学”については「まぁあっても良いんじゃないの」という程度の、
どちらかと言えば肯定派であります。

小学校6年、中学校3年の義務教育を修了したとは言え、
15歳の春はまだまだコドモ。
親の存在を鬱陶しく感じていてもやはり頼らざるを得ない、
そんな時期が私にもありました。

私の場合、自宅から歩いて通える公立高校を志望していましたが、
大阪の公立高校の入学選考は試験に加えて内申書が重視されるもの。
(現在はどうか知りませんが)
実技系の科目において音楽以外で点を稼げなかったことが災いしてか、
その志望校=公立高校受験を諦めざるを得ない状況になりました。
ランクを落とすことを考えなかった私は、一発勝負の試験に賭けて私学に合格。
自宅からわざわざ1時間近く掛けて高校へ通う生活が始まったわけです。

私のことを少々長く書いてしまいましたが・・・
中学校までずっと地元で通学していたものが、
自宅から通うことは変わらなくても電車通学をするようになる、というのは
それなりに決断が要ったわけで。
自宅を離れて寮生活を送るのは、
つまりそれ以上の決断を15歳の春にして迫られることになるのかと。
よほどの強い意志がなければできないことのように思えます。

私が“野球留学”を定義するとしたら、
自宅から通うことが不可能、もしくは非常に困難な場所にある高校へ進んで、
寮か下宿で生活をして野球部活動をする、ということになります。
府県の境をまたいで通学することは“留学”とは呼べません。
(これの例は後述します)

で、あとは心情的な要素が絡む話になります。
例えば医学を志す人がドイツへ、オペラを学ぶ人がイタリアへ行くというのは、
その本場で揉まれて来るというイメージがあります。
いわゆる“武者修行”のようなものでしょうか。
野球に例えれば、大阪や神奈川などの大会規模が大きくて
強豪揃いの地区にある高校へ行くことがそれに当てはまると思います。

しかし、高野連の硬式加盟校が190校近い大阪の場合、
夏の甲子園に出ようと思えば、少なくとも7試合を戦わねばなりません。
一方で下手すれば4試合で甲子園へ行ける地区もあり、
そこを“甲子園への近道”と考えて進学するケースが数多く見られるのも確か。
どちらも“野球留学”であることに変わりはないですが、
私個人としては、例えば大阪桐蔭高校の中田翔のように、
敢えて“武者修行”の道を選んだほうに好感を持つのです。
考え方が古いのかも知れませんが。

この続きはまた日を改めて。
(たぶんあと2回は続くと思います)

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