←第二試合の始球式にて
三塁寄り・姫路市長の後ろに居るのは、“はばタン”。
“のじぎく兵庫国体・のじぎく兵庫大会”のキャラクターです。
応援ステージでも大活躍?(笑)
2夜連続タクシーで帰る午前様、
なんて生活はふだんではまず考えられないのだが。
1年で数日ぐらいはそんな日があっても良いわな、と
自分を納得させる間もなく昨晩(というか今日未明)は宿でバタンキュー(笑)
ドームよりも先にモノレール浜松町駅のロッカーに荷物を預けに行こうと思えば、
やっぱりちょっと早めに起きなきゃなぁ、と。
水道橋から秋葉原まではともかく、
山手線・京浜東北線のラッシュにぶつかるのを覚悟して、8時前にチェックアウト。
タクシーだといくらぐらいかかるんだろう・・・?
浜松町(大門)まで来たついでに、
泉岳寺附近を散歩してから9時30分頃に東京ドーム入り。
◇第77回都市対抗野球大会 第4日・1回戦◇
《第一試合》 千葉市・JFE東日本 17−1 京都市・日本新薬
J 4 0 0 1 0 0 2 0 10=17 H16 E0
N 0 0 0 0 0 0 0 0 1= 1 H8 E1
JFE東:中嵜、塩田−畑 新薬:田中、塩満、村田、貴志、加藤−堂前
【HR】佐藤(JFE東・1回3ラン)、畑(JFE東・9回2ラン)、落合(JFE東・9回3ラン)
昨日、師匠から今年の新薬というチームについて尋ねられたときに、
私は「田中大介次第ですね」と答えたはず。
先発するのは間違いないだろうが、
13日の日生千里山での壮行試合が頭をよぎる。
1回表、その田中の立ち上がり。
JFE東のトップバッター・落合成紀への初球がセンターの頭を越える三塁打に。
和田貴範(かずさマジック)に死球を与えたかと思えば、
田浦英仙に適時二塁打を許し、佐藤毅明に左越3ランで4点を失いまだノーアウト。
冒頭から客席で頭を抱える私(苦笑)
2回、3回とちょっと立ち直ってきたか、と思っていたが、
結局7イニング7失点で降板。
初回の4点で戦意を削がれたわけではないだろうが、
新薬打線は走者を出しても得点につながらず、
結果的にJFE東の中嵜良博を助ける形になってしまう。
9回表には本塁打2本を含む7本の長短打で10点。
その裏に森川欽太の犠飛で1点を返して完封は免れたが、
私が観た直近の2試合で計32点を失うことになろうとは・・・。
今後が非常に心配である。
《第二試合》 姫路市・新日本製鐵広畑 7−3 高松市・JR四国
J 011 000 010=3 H8 E0
S 100 000 24X=7 H13 E0
JR四:中郷、土居、岩井−松谷 広畑:池田、大西−小畠
【HR】庄野(広畑・8回ソロ)
私が社会人野球を球場で熱心に観戦するようになったきっかけは、
新日鐵広畑の応援であると言っても過言ではない。
『青春デンデケデケデケ』の“ちっくん”がベンチャーズの『パイプライン』をきっかけに
ロックに目覚めたように、
1995年10月7日のグリーンスタジアム神戸で耳にした広畑の『ヒットコール』は、
私にとって神の啓示に近いものであった。
それ以後も広畑は都市対抗に出ることはあったが、私は観ていない。
今回初めて東京ドームで広畑の応援を見ることになる。
広畑の応援でお気に入りがもうひとつ。
これは試合前のかなり早い時間にしか聞けない曲なのだが、
バンドのメンバーが揃ったところでまずは演奏される応援歌『勝つぞ広畑』。
間奏のサックスパートの演奏などに昭和の雰囲気が漂う名曲である。
もちろん、今は広畑でしか聞けない『新日鐵応援歌』も。
東京では八幡の応援席に潜り込んで歌ったことが懐かしい(笑)
1点をリードされたJR四国は、2回表に山下徹(四国銀行)、3回表に上野翔が
それぞれソロ本塁打で2−1と逆転。
広畑は先発の池田強志を諦め、4回から大西雅之(三菱重工神戸)に後を託す。
JR四国の先発・中郷大樹は1回裏に内野ゴロの間の1点を失ったが、
後は走者を出しながらも要所を締めていた。
久々の本大会勝利へ向けて、テンポの良い投球が続く。
広畑は7回裏、1アウト二塁で大嶋将也がセンターオーバーの適時二塁打。
続く代打の米田真樹がまたもやセンターへ運ぶと、
三塁コーチャーズボックスで松下大彌の腕がこれでもかとばかりに回る。
大嶋は快足を飛ばしてついに逆転の本塁へ達した。
JR四国も負けじと、8回表に田中祥映(四国銀行)のソロ本塁打で再び同点。
しかしその裏、今度は庄野圭昭(三菱重工神戸)がバックスクリーンへ放り込む。
頼りになるベテランの意地の一発で勢いがついたか、
広畑は攻撃の手を緩めることなくこの回4点。
西雄友昭の3安打目となる2点適時二塁打がとどめを刺した。
私は、予定ではこの第二試合途中でドームを離れることになっていた。
羽田を出るのは18時だから、少し余裕を持って16時過ぎぐらいと
周囲の友人らには言っていたのだが。
予想外のスピーディーな展開に、もう少し、もう少し・・・。
8回表が終わった時点で時計は16時を回っていて、直後に庄野の本塁打が。
「このまま素直に終わってくれ〜」というのがその時の正直な気持ち(苦笑)
ところが広畑は打者一巡、16時23分。
或る友人いわく「福岡さん(仮名)、今、とても悩ましい状況ですよね」
まさにそのとおりでございます(汗)
9回表、大西が先頭の松谷基央を四球で出したときには本当にヒヤヒヤもの。
しかし後続を3人で終えて16時31分終了。
ちょうどキリの良いところで帰れる嬉しさで思わず小さくガッツポーズ。
気持ち的にはどちらにも勝たせたかったが、広畑の勝利は嬉しかった。
モノレール浜松町17時発の快速は当然逃したが、
出発20分前に羽田空港第2ビルに入るというタイミングの良さ。
結局飛行機の手配の遅れで予定よりも離陸は遅れたが、
こうして今年の都市対抗遠征は幕を閉じた。
今年も、東京ドームの球場内及びその周辺で多くの友人知人にお目にかかった。
再会も2年ぶり、1年ぶり、数ヶ月ぶり、1週間ぶりとか(笑)
ご挨拶だけになってしまった方から3日間ともご一緒して頂いた方まで。
お世話になりましたこと、この場を借りて感謝申し上げます。
今度は11月の大阪ドームでお待ちしております。
三塁寄り・姫路市長の後ろに居るのは、“はばタン”。
“のじぎく兵庫国体・のじぎく兵庫大会”のキャラクターです。
応援ステージでも大活躍?(笑)
2夜連続タクシーで帰る午前様、
なんて生活はふだんではまず考えられないのだが。
1年で数日ぐらいはそんな日があっても良いわな、と
自分を納得させる間もなく昨晩(というか今日未明)は宿でバタンキュー(笑)
ドームよりも先にモノレール浜松町駅のロッカーに荷物を預けに行こうと思えば、
やっぱりちょっと早めに起きなきゃなぁ、と。
水道橋から秋葉原まではともかく、
山手線・京浜東北線のラッシュにぶつかるのを覚悟して、8時前にチェックアウト。
タクシーだといくらぐらいかかるんだろう・・・?
浜松町(大門)まで来たついでに、
泉岳寺附近を散歩してから9時30分頃に東京ドーム入り。
◇第77回都市対抗野球大会 第4日・1回戦◇
《第一試合》 千葉市・JFE東日本 17−1 京都市・日本新薬
J 4 0 0 1 0 0 2 0 10=17 H16 E0
N 0 0 0 0 0 0 0 0 1= 1 H8 E1
JFE東:中嵜、塩田−畑 新薬:田中、塩満、村田、貴志、加藤−堂前
【HR】佐藤(JFE東・1回3ラン)、畑(JFE東・9回2ラン)、落合(JFE東・9回3ラン)
昨日、師匠から今年の新薬というチームについて尋ねられたときに、
私は「田中大介次第ですね」と答えたはず。
先発するのは間違いないだろうが、
13日の日生千里山での壮行試合が頭をよぎる。
1回表、その田中の立ち上がり。
JFE東のトップバッター・落合成紀への初球がセンターの頭を越える三塁打に。
和田貴範(かずさマジック)に死球を与えたかと思えば、
田浦英仙に適時二塁打を許し、佐藤毅明に左越3ランで4点を失いまだノーアウト。
冒頭から客席で頭を抱える私(苦笑)
2回、3回とちょっと立ち直ってきたか、と思っていたが、
結局7イニング7失点で降板。
初回の4点で戦意を削がれたわけではないだろうが、
新薬打線は走者を出しても得点につながらず、
結果的にJFE東の中嵜良博を助ける形になってしまう。
9回表には本塁打2本を含む7本の長短打で10点。
その裏に森川欽太の犠飛で1点を返して完封は免れたが、
私が観た直近の2試合で計32点を失うことになろうとは・・・。
今後が非常に心配である。
《第二試合》 姫路市・新日本製鐵広畑 7−3 高松市・JR四国
J 011 000 010=3 H8 E0
S 100 000 24X=7 H13 E0
JR四:中郷、土居、岩井−松谷 広畑:池田、大西−小畠
【HR】庄野(広畑・8回ソロ)
私が社会人野球を球場で熱心に観戦するようになったきっかけは、
新日鐵広畑の応援であると言っても過言ではない。
『青春デンデケデケデケ』の“ちっくん”がベンチャーズの『パイプライン』をきっかけに
ロックに目覚めたように、
1995年10月7日のグリーンスタジアム神戸で耳にした広畑の『ヒットコール』は、
私にとって神の啓示に近いものであった。
それ以後も広畑は都市対抗に出ることはあったが、私は観ていない。
今回初めて東京ドームで広畑の応援を見ることになる。
広畑の応援でお気に入りがもうひとつ。
これは試合前のかなり早い時間にしか聞けない曲なのだが、
バンドのメンバーが揃ったところでまずは演奏される応援歌『勝つぞ広畑』。
間奏のサックスパートの演奏などに昭和の雰囲気が漂う名曲である。
もちろん、今は広畑でしか聞けない『新日鐵応援歌』も。
東京では八幡の応援席に潜り込んで歌ったことが懐かしい(笑)
1点をリードされたJR四国は、2回表に山下徹(四国銀行)、3回表に上野翔が
それぞれソロ本塁打で2−1と逆転。
広畑は先発の池田強志を諦め、4回から大西雅之(三菱重工神戸)に後を託す。
JR四国の先発・中郷大樹は1回裏に内野ゴロの間の1点を失ったが、
後は走者を出しながらも要所を締めていた。
久々の本大会勝利へ向けて、テンポの良い投球が続く。
広畑は7回裏、1アウト二塁で大嶋将也がセンターオーバーの適時二塁打。
続く代打の米田真樹がまたもやセンターへ運ぶと、
三塁コーチャーズボックスで松下大彌の腕がこれでもかとばかりに回る。
大嶋は快足を飛ばしてついに逆転の本塁へ達した。
JR四国も負けじと、8回表に田中祥映(四国銀行)のソロ本塁打で再び同点。
しかしその裏、今度は庄野圭昭(三菱重工神戸)がバックスクリーンへ放り込む。
頼りになるベテランの意地の一発で勢いがついたか、
広畑は攻撃の手を緩めることなくこの回4点。
西雄友昭の3安打目となる2点適時二塁打がとどめを刺した。
私は、予定ではこの第二試合途中でドームを離れることになっていた。
羽田を出るのは18時だから、少し余裕を持って16時過ぎぐらいと
周囲の友人らには言っていたのだが。
予想外のスピーディーな展開に、もう少し、もう少し・・・。
8回表が終わった時点で時計は16時を回っていて、直後に庄野の本塁打が。
「このまま素直に終わってくれ〜」というのがその時の正直な気持ち(苦笑)
ところが広畑は打者一巡、16時23分。
或る友人いわく「福岡さん(仮名)、今、とても悩ましい状況ですよね」
まさにそのとおりでございます(汗)
9回表、大西が先頭の松谷基央を四球で出したときには本当にヒヤヒヤもの。
しかし後続を3人で終えて16時31分終了。
ちょうどキリの良いところで帰れる嬉しさで思わず小さくガッツポーズ。
気持ち的にはどちらにも勝たせたかったが、広畑の勝利は嬉しかった。
モノレール浜松町17時発の快速は当然逃したが、
出発20分前に羽田空港第2ビルに入るというタイミングの良さ。
結局飛行機の手配の遅れで予定よりも離陸は遅れたが、
こうして今年の都市対抗遠征は幕を閉じた。
今年も、東京ドームの球場内及びその周辺で多くの友人知人にお目にかかった。
再会も2年ぶり、1年ぶり、数ヶ月ぶり、1週間ぶりとか(笑)
ご挨拶だけになってしまった方から3日間ともご一緒して頂いた方まで。
お世話になりましたこと、この場を借りて感謝申し上げます。
今度は11月の大阪ドームでお待ちしております。
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