吹奏楽と野球・大阪桐蔭の場合。
2006年8月24日 音楽
8月6日の日記で、
大阪桐蔭の吹奏がレベルアップしていることについて
少しだけ触れた。
確かに昨年夏に比べて人数も増え、
音も良くなったと思う。
それでも6日の試合を観ながら、
やや物足りなさを感じたのである。
大阪桐蔭が初めて甲子園に出場した、1991年のセンバツ。
その初戦、和田友貴彦(東洋大→東芝府中)のノーヒットノーランで
仙台育英に勝った試合を外野席から観ていたのだが、
当時の応援では天理の『ワッショイ』(と呼ばれる曲)にも似た感じの曲が
チャンスになると演奏されていた。
最初はゆっくりと重々しく、そして徐々にスピードを上げて行くその演奏は、
とても強烈な印象を残してくれたものだった。
(夏はそれよりも山本リンダの『どうにもとまらない』がよく使われた気もするが)
それからしばらくして、大阪桐蔭は何度か甲子園に出場する機会を得たが、
私の知る限りではありきたりな応援パターンで、
91年のチャンスの曲は演奏されていなかったはず。
大阪桐蔭に正式な吹奏楽部が創設されたのは、実は昨年のこと。
それまでは甲子園に出場するたび、系列校などの吹奏楽部の助っ人を得て
甲子園で応援していたことになる。
もちろん91年もそうだったのだが、しばらく出ない間に応援が変わったのは
高校野球大阪大会での規制が大きく影響していると思われる。
大阪大会では、吹奏楽を使っての応援は当然のこと、
太鼓や笛と言った鳴り物の持ち込みは禁止。
メガホンも使って良いのは1個だけ、というどうしようもない規制がある。
(その規制の話は機会があればまた書くことにします)
大阪に限ったことではないかも知れないが、
大阪の代表校は地方大会での応援演奏を経験しないまま、
甲子園のアルプススタンドに臨まねばならない。
センバツなら1ヶ月近い準備期間があるが、夏はまさにぶっつけ本番。
PL学園のように過去の蓄積でパターンが確立しているところは、
あったとしてもほんのわずかなはずである。
これは千葉の話だが、
千葉大会決勝に残った拓大紅陵吹奏楽部のシャツには、
背中に“日本一の野球応援”と書かれていた。
野球応援を集めたCDも作成していて、毎年のように新曲も作られる。
また、同じ千葉の習志野の吹奏楽部は100人近い編成を組み、
個性的な応援パターンでスタンド全体を巻き込むような応援を繰り広げる。
実際のところどうかはわからないが、
この2校の応援にはライバル関係が存在し、お互いを高めあっていると思う。
その結果、どちらが甲子園に出てもその存在が際立つような応援ができる。
ひとつの文化と言っても良いだろうが、
現 在 の 大 阪 で は 絶 対 に そ の よ う な 文 化 は 生 ま れ な い 。
話を大阪桐蔭に戻そう。
大阪桐蔭には、“?類”と呼ばれる体育・芸術クラブ必須のコースがある。
野球部やラグビー部はこの“?類”に属していて、
昨年からその中に吹奏楽部も加わった。
つまり、吹奏楽部は強化クラブ的な存在と言って良いと思う。
(ちなみに、茨城・常総学院の吹奏楽部も同じような位置づけがされている)
それが功を奏してか、24日の第56回関西吹奏楽コンクール高校A部門では
金賞を受賞、しかも明浄学院(大阪)、明石南(兵庫)とともに代表に選ばれている。
演奏がレベルアップしているのも当然の話だ。
では、何が物足りないのか。
率直に言えば選曲と構成である。
どこかの高校の応援で聞いたことのあるような曲ばかり。
1イニングを1曲で通していても打者が替わるたびに妙な間が空く。
確かに、中田翔の打席での『We Will Rock You』は良かったとは思うが、
PL学園が以前から応援に使っていたことを考えれば、
単に曲の流用をしただけとも言える。
PLの真似をしているだけでは、PLを超えることはできない。
他の出場校で言えば、
智辯和歌山は今大会に合わせて『ラララ』という新曲を用意した。
(8月10日の毎日新聞・地域ニュース(和歌山)に詳細が載っています)
今でこそ大流行の『アフリカン・シンフォニー』も、
智辯学園や智辯和歌山がその流行の先鞭を付けたようなものであり、
他の応援ではあまり耳にしない曲をうまく使って個性を存分に出している。
応援のスタイルは違うが、駒大苫小牧もその姿勢は共通していると思う。
試合の状況を見ながらどういう応援をすればチームを後押しできるか。
そして、「この高校もこの曲か」と思わせないような選曲ができるか。
演奏の巧拙以上に、応援に対する姿勢を感じ取る観客は少なからず居るはず。
多くの一般客を味方に付けるような応援は、最高のBGMになり得るのである。
大阪桐蔭の場合、12日の早実戦でその気配をほんの一瞬感じた。
6日の横浜戦では決められた曲を演奏するだけで手一杯に思えたのだが、
2回の攻撃前に何か演奏しようとしているような雰囲気があった。
それが何やらわからないままいつもの選手別テーマに入ったのだが、
3回の攻撃前、91年に耳にしたあのフレーズが、やや遠慮がちに聞こえてきた。
そして6回には、その曲を攻撃が終わるまで演奏していたのだった。
これが今後、大阪桐蔭の(甲子園での)応援の定番になるかどうか。
使いかたによっては強力な応援になるはずだし、使わないのはもったいない。
大阪桐蔭が吹奏楽部の強化に乗り出したその意味は、私の知るところではない。
しかし、応援演奏の形で野球とリンクさせるつもりならば、まずは歓迎したいと思う。
他校の真似から脱却して独自の応援スタイルを作り上げられるかどうか。
12日の6回表がその呼び水となってくれれば。
大阪桐蔭ならそれができる、と思いたいのだが・・・
希望的観測に過ぎるだろうか?
大阪桐蔭の吹奏がレベルアップしていることについて
少しだけ触れた。
確かに昨年夏に比べて人数も増え、
音も良くなったと思う。
それでも6日の試合を観ながら、
やや物足りなさを感じたのである。
大阪桐蔭が初めて甲子園に出場した、1991年のセンバツ。
その初戦、和田友貴彦(東洋大→東芝府中)のノーヒットノーランで
仙台育英に勝った試合を外野席から観ていたのだが、
当時の応援では天理の『ワッショイ』(と呼ばれる曲)にも似た感じの曲が
チャンスになると演奏されていた。
最初はゆっくりと重々しく、そして徐々にスピードを上げて行くその演奏は、
とても強烈な印象を残してくれたものだった。
(夏はそれよりも山本リンダの『どうにもとまらない』がよく使われた気もするが)
それからしばらくして、大阪桐蔭は何度か甲子園に出場する機会を得たが、
私の知る限りではありきたりな応援パターンで、
91年のチャンスの曲は演奏されていなかったはず。
大阪桐蔭に正式な吹奏楽部が創設されたのは、実は昨年のこと。
それまでは甲子園に出場するたび、系列校などの吹奏楽部の助っ人を得て
甲子園で応援していたことになる。
もちろん91年もそうだったのだが、しばらく出ない間に応援が変わったのは
高校野球大阪大会での規制が大きく影響していると思われる。
大阪大会では、吹奏楽を使っての応援は当然のこと、
太鼓や笛と言った鳴り物の持ち込みは禁止。
メガホンも使って良いのは1個だけ、というどうしようもない規制がある。
(その規制の話は機会があればまた書くことにします)
大阪に限ったことではないかも知れないが、
大阪の代表校は地方大会での応援演奏を経験しないまま、
甲子園のアルプススタンドに臨まねばならない。
センバツなら1ヶ月近い準備期間があるが、夏はまさにぶっつけ本番。
PL学園のように過去の蓄積でパターンが確立しているところは、
あったとしてもほんのわずかなはずである。
これは千葉の話だが、
千葉大会決勝に残った拓大紅陵吹奏楽部のシャツには、
背中に“日本一の野球応援”と書かれていた。
野球応援を集めたCDも作成していて、毎年のように新曲も作られる。
また、同じ千葉の習志野の吹奏楽部は100人近い編成を組み、
個性的な応援パターンでスタンド全体を巻き込むような応援を繰り広げる。
実際のところどうかはわからないが、
この2校の応援にはライバル関係が存在し、お互いを高めあっていると思う。
その結果、どちらが甲子園に出てもその存在が際立つような応援ができる。
ひとつの文化と言っても良いだろうが、
現 在 の 大 阪 で は 絶 対 に そ の よ う な 文 化 は 生 ま れ な い 。
話を大阪桐蔭に戻そう。
大阪桐蔭には、“?類”と呼ばれる体育・芸術クラブ必須のコースがある。
野球部やラグビー部はこの“?類”に属していて、
昨年からその中に吹奏楽部も加わった。
つまり、吹奏楽部は強化クラブ的な存在と言って良いと思う。
(ちなみに、茨城・常総学院の吹奏楽部も同じような位置づけがされている)
それが功を奏してか、24日の第56回関西吹奏楽コンクール高校A部門では
金賞を受賞、しかも明浄学院(大阪)、明石南(兵庫)とともに代表に選ばれている。
演奏がレベルアップしているのも当然の話だ。
では、何が物足りないのか。
率直に言えば選曲と構成である。
どこかの高校の応援で聞いたことのあるような曲ばかり。
1イニングを1曲で通していても打者が替わるたびに妙な間が空く。
確かに、中田翔の打席での『We Will Rock You』は良かったとは思うが、
PL学園が以前から応援に使っていたことを考えれば、
単に曲の流用をしただけとも言える。
PLの真似をしているだけでは、PLを超えることはできない。
他の出場校で言えば、
智辯和歌山は今大会に合わせて『ラララ』という新曲を用意した。
(8月10日の毎日新聞・地域ニュース(和歌山)に詳細が載っています)
今でこそ大流行の『アフリカン・シンフォニー』も、
智辯学園や智辯和歌山がその流行の先鞭を付けたようなものであり、
他の応援ではあまり耳にしない曲をうまく使って個性を存分に出している。
応援のスタイルは違うが、駒大苫小牧もその姿勢は共通していると思う。
試合の状況を見ながらどういう応援をすればチームを後押しできるか。
そして、「この高校もこの曲か」と思わせないような選曲ができるか。
演奏の巧拙以上に、応援に対する姿勢を感じ取る観客は少なからず居るはず。
多くの一般客を味方に付けるような応援は、最高のBGMになり得るのである。
大阪桐蔭の場合、12日の早実戦でその気配をほんの一瞬感じた。
6日の横浜戦では決められた曲を演奏するだけで手一杯に思えたのだが、
2回の攻撃前に何か演奏しようとしているような雰囲気があった。
それが何やらわからないままいつもの選手別テーマに入ったのだが、
3回の攻撃前、91年に耳にしたあのフレーズが、やや遠慮がちに聞こえてきた。
そして6回には、その曲を攻撃が終わるまで演奏していたのだった。
これが今後、大阪桐蔭の(甲子園での)応援の定番になるかどうか。
使いかたによっては強力な応援になるはずだし、使わないのはもったいない。
大阪桐蔭が吹奏楽部の強化に乗り出したその意味は、私の知るところではない。
しかし、応援演奏の形で野球とリンクさせるつもりならば、まずは歓迎したいと思う。
他校の真似から脱却して独自の応援スタイルを作り上げられるかどうか。
12日の6回表がその呼び水となってくれれば。
大阪桐蔭ならそれができる、と思いたいのだが・・・
希望的観測に過ぎるだろうか?
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