土佐日記。

2006年3月19日 旅行
土佐日記。
みませ
みせましょ
浦戸をあけて
月の名所は
桂浜
(『よさこい節』)

・・・昼なので月は見えませんが。


まさかこの日記を読んでいる方は乗っていなかったとは思うが、
18日に利用したのはANA1603便(伊丹8時10分発)。
私にとっては初めてのプロペラ機である。

搭乗口から飛行機までバスで連れて行ってもらうのだが、
乗ったは良いがなかなか出発しない。
機体に整備箇所が見つかった関係で遅れるとの知らせがまずあり、
やがて別の飛行機を持って来ることになったとのこと。
その整備や機内清掃などでさらに出発が遅れ、伊丹を飛び立ったのは9時。
当初の予定では、もう高知に着いてバスに乗ろうかという時刻だ。

   後日談。
   今日(19日)11時40分頃、伊丹から新潟へ向かっていた飛行機が、
   機体の異常感知で伊丹へ引き返したというニュースがあった。
   “ボンバルディアDHC8−402型”という機種で、
   大阪〜高知便にも使われている。さもありなん。

昨日の私の場合は、一旦飛んでまた帰ってくるよりはマシだったのだが・・・
物騒な話だ。
飛行中のトラブルでまかり間違えば、私はこの世の人ではなくなっているかも
知れないわけだし。
天候の関係でかなり揺れたが、遅れの原因が原因だけに生きた心地がしない。

高知龍馬空港に到着したのは9時40分頃。
外は小雨。
気象予報では午後から降るとか言っていたはずだが。
球場まで行って中止だったらやだなぁ、と思いつつ朝倉行きの空港バスに乗る。
これだと高知市営球場に近いバス停(グランド通)にも停まってくれる。

知寄町のあたりから土佐電鉄の路面電車が合流してくるのを見て、
高知に来たことを実感する。
名鉄カラーの電車が通り過ぎて一瞬「あれっ?」と思ったりもしたが。
岐阜が廃止になってから高知まで来たのか。

バス停を降り、鏡川にかかる橋を渡ろうとすると、
球場からアナウンスが聞こえてきた。ひとまず安心。
試合の内容は18日の日記を参照。
あえて追加すると。

・四国連盟の人は一般客に大会のパンフレットを渡したくないらしい。
 作ってるんだったら1冊いくらかで売ればいいのに。

・私の後方で、地元のオッちゃんらがネイティブの土佐弁で野球談義。
 「松坂の弟が何ちゃらかんちゃら」など、四国アイランドリーグの話が多かった。

・第一試合終了後もスタンドに居た観客は、10人もなかったと思われ。


13時30分頃に球場を出て、グランド通からはりまや橋まで電車に乗る。
そこからはバスに乗って桂浜へ向かった。
大学時代に一度行ったことがあるので、10数年ぶり。
はりまや橋からバスで30分ぐらいかかるし、本数もそれほど多くないはずだが、
往復しても私が乗る帰りの高速バスの出発時刻(17時14分)には
まぁ間に合うだろうと。

止んでいたはずの雨が、桂浜行きのバスを待つ間にまた降ってきた。
そしてバスに乗っているうちにそれがだんだん強くなってきた。
ちょっと強めの雨が降る中、桂浜到着。
坂本龍馬の銅像を見て、海岸を歩いて、太平洋を眺めて。
しかし歩きにくい。

近くには高知県立坂本龍馬記念館もある。
前回高知を訪れた10数年前は記念館設立の動きが上がっていた頃で、
私はなぜか当時のポスターを持っている(謎)
桂浜からは石段の遊歩道をのぼって行くことになるのだが、
傘を差して息を切らしながらやっとの思いでたどり着いた。
しかし次のバスまで30分を切っている。
これを逃すと間に合わないかも知れないので、急ぎ足で手紙などの展示品を見る。

今度は晴れたときにゆっくり見よう。
それだけの値打ちはありそうだし。

再びはりまや橋に戻ってきたは良いが、あまり時間的な余裕が・・・
少々早いが夕食を済ませようと思っても店を探すだけの時間がない。
(実は昼食も摂ってなかったのだが)
しかたなく、バスの中で食すべくおにぎりなどを調達する羽目に。
わざわざ高知まで行ってもロクなものを食ってないとは(呆)


大阪行きのバスは、夜行でも使われている3列シートの車だった。
お客さんも半分ちょっとしか乗っておらず、余裕たっぷり。
夕方でしかも雨なので、どこを走っているのだかまったくわからないまま、
休憩場所である上板SA(徳島県)まで来た。
バスは快調に飛ばし、難波OCATには30分ほど早く到着。
はりまや橋からちょうど4時間だった。

飛行機なら伊丹から1時間もかからないが、
やっぱり高知は遠いところである。

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