日本一の夏。

2005年8月20日 野球
日本一の夏。
←この夏最後の校歌を歌い終え、

歓喜に沸く三塁アルプス席へ向かって走る

駒大苫小牧ナイン。


昨年は外野席から駒苫初優勝の瞬間を観た。
甲子園に着いたときにはすでに試合が始まっていたが、
どうにか外野で観ることができた(2004年8月22日の日記参照)。

今年はせめてもうちょっと良い位置で観たい、ということで
試合開始の5時間前(午前8時)に自宅を出た。
昨日から来ている東京の友人から、券を買うために並んでいる旨のメールが
8時45分頃に届いた。
甲子園に到着すると、すでに長蛇の列ができている。
友人は三塁特別自由席の列に並んでいたので、
後から来る他の友人の分も買ってもらうようにお願いした。

開門は予定よりも30分早くなり、9時30分。
その10分後に入場することができた。
駒苫ベンチの真上、中段あたりを確保。ここならしばらくは日陰。
試合開始1時間前には外野もほぼ埋まり、やがてギッシリ満員に。

《決勝戦》 
駒澤大学附属苫小牧高校(南北海道)5−3京都外大西高校(京都)

京外西 100 000 200=3 H7 E2
駒大苫 100 011 20X=5 H9 E2

京外西:北岡、本田−南本   駒大苫:松橋、田中−小山

1回表裏、ともに失策絡みで1点ずつの取り合い。
駒苫は室蘭地区大会から続けていた無失策がここで途切れたことになる。
3回裏、4回裏と先頭打者を安打で出しながら、
犠打が決められず併殺に倒れるなど思うような攻撃ができず。
京都外大西も走者は出すものの決め手に欠けていた。

5回表、京都外大西は2アウト満塁で4番西下文也が凡退。
その裏駒苫がまたもや相手のミスを突いて待望の追加点。
6回裏は青地裕司の適時打で2点差とした。

京都外大西は7回表に五十川英洋の二塁打などで同点に追いついたが、
駒苫も負けじと攻め立てる。
7回裏1アウト二、三塁から辻寛人の内野ゴロの間にまず1点。
岡山翔太の内野安打でさらに1点。
この回出た3本の安打はすべて内野安打で、運も味方に付けるかのようだった。

5回裏途中から登板した背番号11・田中将大が9回表のマウンドに。
前の打席で二塁打を打った1番高原正明からの好打順を物ともせず、
二者連続で三振を奪う。
ここで野手がマウンドに集まり、
昨年のように揃って人差し指を天に突き上げるポーズを見せた。
田中は3番寺本一貴に粘られはしたが、気迫の投球で空振り三振。
駒苫が昨年夏に続いての全国制覇を達成した。

選手権大会での連続優勝は、1947(昭和22)年、1948(昭和23)年の
福岡・小倉中学(旧制)〜小倉高校以来57年ぶりの快挙。
ちなみに1947年、小倉中学の初優勝のときには、
深紅の大優勝旗が初めて関門海峡を渡ったわけで。
昨年の駒苫が“津軽海峡越え”と言われたのを思えば、奇遇な話である。

駒苫への声援が渦巻く三塁側でずっと観ていたのだが、
関西圏に住む者としては京都外大西にも勝って欲しいという思いもあった。
京都大会を制した瞬間も観たことだし。
しかし、ここまで来るとどちらに肩入れするなどというのはどうでも良くなっていた。

駒苫の演奏が拍手の大きさのあまり途切れ途切れに聞こえたり、
(グラウンド整備の間の演奏は今日は無かったように思うが・・・)
京都外大西の演奏がいつも以上のボリュームで対面から響いてきたり。
中盤からは夏の太陽をほぼ正面に浴びながら、
決勝戦独特の雰囲気を味わっていた。
祭りのあとの寂しさが、嫌でもやって来るとはわかっていても。

この夏に敗れた瞬間から、新しいチームでの戦いが始まるのが高校野球。
秋季大会がスタートしているところもある。
全国4137のチームの中で、唯一敗れることがなかった駒大苫小牧。
そして、全国で最も遅い敗戦を味わった京都外大西。
勝ち負けの結果はともあれこの両チームは、
日本で一番長い夏を過ごした高校の硬式野球部であることに変わりはない。

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