歴史を紐解けば。

2005年8月5日
1915(大正4)年、“全国中等学校優勝野球大会”として大阪・豊中球場で始まり、
今年で87回を迎える全国高校野球選手権大会。

第1回の開幕試合は鳥取中学と広島中学の対戦で、
鳥取中学が14−7で勝利。
鳥取中学は現在の鳥取西高校。
今年12年ぶり22回目の全国大会出場を決めている。
敗れた広島中学は現在の広島国泰寺高校。
翌年以降の出場は無く、現在全国大会の勝利から最も遠ざかっていることになる。

『甲子園グラフィティ』(朝日文庫。絶版?)に掲載されている写真では、
広島中学のユニフォームは胸に“RIJO”とある。
“RIJO”は広島城の別称・鯉城(りじょう)のことである。


大会草創期の写真を様々な書籍で見ていて非常に興味深いのは、
ユニフォームに学校名をそのまま入れていないものが見られることだ。
広島中学の“RIJO”のほか、
秋田中学が“YADOME”、盛岡中学が“TORYO”であったりする。
“YADOME”は秋田市にある久保田城の別称・矢留城のことだし、
“TORYO”は漢字で書けば杜陵で、それはモリオカとも読める。
ここまで来ると判じ物の類である。

学校の略称を用いているところでは、第二京都中学(京都二中)の“KSMS”。
これは“Kyoto Second Middle School”の略。
つまり、第1回の決勝戦は“KSMS”(京都二中)vs“YADOME”(秋田中学)と、
ユニフォームの文字を見ただけではどこだか解らない対戦だったことになる。
当時の流行だったのかも知れない。

ちなみに秋田中学は現在の秋田高校で、盛岡中学は盛岡第一高校。
京都二中は一旦廃校の後、鳥羽高校にその歴史が継承されている。

そんな頃からのデザインを現在も受け継いでいると思われるのが、
佐賀藩の藩校以来の歴史を誇る佐賀西高校である。
佐賀西高校は、高校野球佐賀大会パンフでは最初に紹介されており
ユニフォームの胸には“EIJO”の文字。
佐賀城の別称・栄城(えいじょう)であり、これは同窓会の名前でもあるらしい。
ホークスに居た渡辺正和がこのユニフォームを着て九州大会に出たことがあり、
当時の『報知高校野球』を見て「なぜEIJOなんだ?」と思ったもの。
いろいろ調べて行くうちに“RIJO”など他の例が見つかり、
佐賀西高校はその伝統を守り続けているということが解った。


実は、広島国泰寺高校は今でも“RIJO”のままかも知れない、と
淡い期待を抱いていたのだが。
なぜなら、全国優勝経験を持つサッカー部のユニフォームにある“HF”の文字が、
いかにも伝統を感じさせる独特のフォントだったからという(いい加減な)理由。
『週刊ベースボール』などの地方大会展望号で紹介されているのを見て、
「意外に普通やんか。」といささか期待ハズレ(失礼)ではあったが、
袖の校章の下に“SINCE 1877”と入れているところは、
さすがに伝統校の誇りが感じられた。

春の県大会では準優勝で中国大会に進み期待された今年のチームだが、
広島大会では2回戦で三次高校(こちらも伝統校だが)に敗れ、
第1回大会以来の出場は今年も成らず。
でも、いつかは甲子園にその姿を見せてくれるように思う。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索