藤井寺球場には書きたいと思うことがいろいろあり過ぎる。
何せ、今の会社から最も近い野球場だったから。

4日、5日と藤井寺市の市民フェスタが藤井寺球場で行われていた。
藤井寺球場のさよならイベントのようなものである。
私は4日の夕方、舞洲からの帰りにちょっと寄ってみた。

球場前には露店が軒を連ねている。
まずは正面入口から入ってみた。
両脇には、藤井寺球場の歴史を振り返るような写真などのパネル展示があり、
興味深く見ていた。
戦前の藤井寺の内野席には立派な屋根があり、
甲子園と見紛うほどの威容を感じさせる。
その中の1枚に、戦前の中等学校野球大会の開会式と紹介されていたものが。
三塁側の上のほうから撮られていて、グラウンドには人の列が映っている。
どんな学校が参加していて、どんなユニフォームを着ているのか、
興味津々で至近距離まで近づいて見てみると・・・
これってどう見ても女学生の集団だよなぁ。

正面入口から入っても、ここからはグラウンドには降りられない。
スタンドからグラウンドを眺めると、センター方向にステージが組まれていて
ヨサコイやら何かのダンスやらをいくつかのチームが披露している様子。
音響が騒々しいが、とりあえずネット裏真正面の記者席の前あたりで
しばらくたたずむ。

このスタンドも今日のイベントのために開放された形ではあるが、
背もたれ付きの座席があるエリアに限定されていたようで。
Bu×H戦での私の定位置だったかつての内野自由席(三塁側)にも、
外野席にも入れなかった。
金網越しに写真だけ撮ってきた。

一旦外に出て、グラウンドに出られる三塁側の入口へ。
ここはウエスタンの試合のとき、ビジターチームの選手が出てくるところで
私も出待ちを何度かしたことがあった。

藤井寺の人工芝を初めて踏む。
その感触を確かめ、足に記憶させるかのように、あてもなくゆっくりと歩く。
外野のフェンスにはまだボールの痕が残っている。
レフトの位置からホーム方向を見たり、スコアボードを振り返ったり。
ベンチやカメラマン席にも入ってみたりした。
大阪球場のさよならイベントのときと比べると、
グラウンドレベルでは藤井寺のほうがまだまだ野球場らしかった。
大阪球場の場合は・・・もうグラウンドじゃなかったもんなぁ。

雨が降ってきたこともあり、17時ごろ藤井寺をあとにした。
5日は残念ながら行けず。

野球場がその終焉を迎えるにあたって、
何らかのイベントが行われるのはまだ幸せなほうかも知れない。
最後まで野球の試合が行われるのか、また別の催しなのかは別にして。
しかし、藤井寺球場はその跡地をどうするかがまだ決まっていないし、
直ちに取り壊すわけではない。
野ざらしの状態がしばらく続くわけだ。

だったら、別に何のイベントもしなくて良いから、
取り壊しが始まるまでにスタンドやグラウンドに一般の人が入れる機会を
もっと作って欲しい。
静かにお別れをしたいファンだって少なくないはず。
近鉄はもはやそこまで考えるつもりは全く無いのだろうけど。



選手がベンチから出る、もしくはベンチに戻るときに
頭をダッグアウトの屋根やヒサシなどにぶつけてしまうシーンを見たことが
一度はあると思う。

・・・やってしまいました。藤井寺で。
同時にどこか引っ掛けたのか、気が付けば血が・・・(^^;

6月4日夕方、藤井寺のジャスコでまぶたの横に血を流した痕をつけて
店内を歩いている人物が居たとしたら、それはたぶん私のことです。
思わぬ形で藤井寺球場の思い出を身体に刻み付けてしまったではないか(苦笑)

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索