白雪を忘れない。

2005年2月16日
1999年10月15日、第26回社会人野球日本選手権の準々決勝。
すでに休部を発表していた小西酒造は、日本アイ・ビー・エム野洲に
3−8で敗れ、この試合が最後の公式戦になった。

小西酒造は、兵庫県伊丹市に本社がある。
都市対抗でも“伊丹市・小西酒造”として出場。
“白雪”の銘柄で知られ、野球部のユニフォームにも“白雪”のマークがあった。
(私は“白雪”の濃紺のユニフォームが大好きだった)
三菱重工神戸、新日本製鐵広畑、神戸製鋼などの強豪が競う中で、
小粒ながら独特の存在感を見せていたチームだった。
都市対抗兵庫予選での、キーボードと太鼓だけで明治のチャンスパターンを
やってのけるような応援もまだまだ記憶に残っている。

最後の公式戦の翌日、毎日新聞朝刊・地方面(兵庫)の記事には、
選手24人のうち6人が他のチームに移籍、残りの半数が会社に残り、
半数が郷里に戻って新たな人生を歩む、とあった。
会社に残る選手としては前田顕滋が紹介されている。

小西酒造は、1996年からオーストラリア産の米でも清酒を造り始め、
今は“豪酒”という名で売り出している。
前田は野球をやめ、そのオーストラリアの工場へ行くということだった。


あれから5年余り。
今日(16日)の毎日新聞朝刊・地方面(大阪)に、前田の姿を見つけた。
野球を離れて全く違う仕事がしたい、とオーストラリアに渡ったが、
2年前に帰国。
大阪産業大学附属高校のコーチ兼寮監となって、
今回のセンバツ初出場の瞬間に立ち会ったというわけだ。

小西酒造に居た頃の前田は、何しろ存在感十分なサイズの選手だった。
最後の選手権では2回戦(JR四国戦)で本塁打を打っている。
今日の前田の記事を見て、あの頃の小西酒造を思い出した。
それと同時に、会社の事情で一度は野球から離れた選手が再びユニフォームを着て
野球の現場へ帰ってきていることに、ちょっと嬉しくなった。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索