舞洲→西京極。

2004年10月24日 野球
昨日の午後、神宮球場にて。
友人からのメールで、日本新薬がニチダイに敗れて
選手権本大会に出場できなくなったことを知った。
台風による日程変更がなければ、今日は同立戦だけを観戦予定だったが、
“ニチダイvs中山硬式野球クラブ”という代表決定戦の組合せになり、
「これは行かなあかんなぁ」
と思った。
ただ、同立戦は例え途中からの観戦になってもこれだけは外せない。
結局、舞洲と西京極のハシゴを決行することに。

社会人野球日本選手権・近畿代表決定戦(7)@舞洲

ニチダイ(ND)6−2中山硬式野球クラブ(NS)
*ND、NSは帽子&ユニフォームのマーク

NS 000 002 000=2 H10 E1
ND 121 110 00X=6 H8 E0

NS:窪田、井上雅−飯田   ND:松本、坂元−松尾

【本塁打】田中教(ND・3回ソロ)

先日の台風の影響で、スコアボードの一塁側チームの選手名が
5番のところだけ表示できなくなっていた。
そのあおりを受けた(笑)のは、ニチダイの三塁手・田中教次だった。

1回裏1アウト一、二塁でその田中教の内野ゴロが失策を呼び、
まずニチダイが先制。
2回は西村英二の2点適時打、3回は田中教の本塁打、
4回田中学の適時二塁打、5回も相手バッテリーミスでここまで毎回得点。

中山クラブは松本修の前に5回まで3安打に抑えられていたが、
6回表2アウトから橋本卓、高倉啓司、飯田尚人、梅田泰央(代打)が
4連続安打で2点を奪い、劣勢を跳ね返すかのような反撃を見せた。
なおも一、二塁に走者を置いて松本はここで降板。
2番手で登板した坂元聡は暴投もあったが、山田利光を三振に取り
中山クラブの反撃をストップさせた。

近畿代表最後の枠に滑り込んだニチダイは、日本選手権初出場。
4月30日の日記でも書いたが、
ニチダイの勝ち試合はこれまで一度も観戦したことがなかった。
私が初めて観た勝ち試合が、ニチダイにとっては
記念すべき試合となった、ということになる。

ここから西京極へ移動。
舞洲でベルトが切れてしまったので、歩きにくくてしかたがない(汗)

関西学生野球・第9節《同立戦》@西京極

立命館大学1−0同志社大学

立命館 001 000 000=1 H5 E1
同志社 000 000 000=0 H4 E1

立命:金刃−中井   同大:染田−桑原

4回だっただろうか、駅から公園の入口に入ると
「♪そ〜ら〜に浮かんだ〜でっかい太陽〜」
と立命館の応援歌(青春の息吹)が聞こえてきた。
隙間から垣間見えた一塁側同志社応援席が、よく入っている。
最初から観ていた友人が居たので助かった(何が?)
途中からの観戦でも、両エースの息詰まる投げ合いが続いていたことが
よくわかる展開。
優勝がかかった大一番らしい空気が、途切れることなく球場を覆っていた。
8回、9回と同志社は得点機を掴んだがあと一本が出ず。
明日の2回戦で勝ったほうが優勝。さぁどうなる?

以前から
「一度は“同立戦”も観においでよ」
と声を掛けていた友人も遠方から観に来ていたので、
試合後3人で京都駅まで出てお茶飲み話。
楽しんでもらえただろうか。

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