都市対抗兵庫代表決定戦@ヤフー。
2004年7月4日 野球昨日の続き。
都市対抗野球兵庫二次予選 5日目第2試合
《代表決定戦》 三菱重工神戸10−0新日本製鐵広畑
スコアボードの略称では“三菱”となっていたが、
ここでは“神船”と略させていただく(神戸造船所の略)。
第一試合が終わって、友人らと第二試合の先発予想をしていた。
広畑はまぁ管家修一だろうと(予想通り)。
神船は渡辺辰徳か、松田克也か、はたまた大西雅之か・・・
フタを開けてみたら、木林敏郎だった。
いや、別に木林の先発を望んでいなかったわけではなくて。
何年か前までは神船のゲームと言えば木林が投げているような感じが
していたものだが、今や木林もコーチ兼任。
そうそう先発で出て来ることはないだろう、と思っていたのである。
さすがにベテラン、味のあるピッチングを見せてくれる。
3回表、広畑が2アウト三塁と先制のチャンスを得たが、
藤野一弘を見逃しの三振に切ったところなどは木林の真骨頂を見た気がする。
その裏の神船、四球の光武徳起を一塁に置いて、
今日第一打席でも安打を打っている義積司がセンター頭上を越す三塁打。
続く宮田和真もライトへ適時打を放って2点を先制した。
ここからは神船のペースでずっと試合が進む。
4回裏は光武の適時二塁打で1点追加。
5回裏は簡単に2アウトを取られてから、
盛田祥次の打球が相手の失策を誘って出塁。
大川広誉(これもコーチ兼任なんやなぁ・・・)の二塁打では還れなかったが、
高墳幸司の中前適時打で二者生還、本塁への中継の間に高墳も二塁へ。
管家は粘り強く投げていたが、ここでマウンドを降りることになった。
しかし二番手宮井努が制球定まらず、4連続四球で森田泰明に交替。
宮田に今日2本目の適時打を浴びてこの回だけで広畑は6点を失い、
中盤で9点のリードを許す苦しい展開になってしまった。
大量点差で形勢がほぼ決したにも関わらず、
7回にスクイズで1点を取りに行ったように(しかも4番の宮田で)
1点にこだわる姿勢を崩すことはなかった。
木林は広畑打線を6回まで散発3安打無四球の好投を見せ、
7回からは(友人いわく)今季の神船のエース・大西が登板。
3イニングを奪三振5の“完全”で締め、東京ドームへの切符を手にした。
1997年の都市対抗で、神船がTDK(仁賀保町)に8−3で勝った試合を
私は東京ドームの一塁側・神船応援席で観ていた。
兵庫代表はそれ以来都市対抗では勝てていない。
今年こそ、の奮起を期待したい。
一塁側には広畑、三塁側には神船の応援団が陣取っていた。
スタンドの入りは三塁側のほうが多かったように思う。
私が初めて球場で見た社会人野球の応援はこの球場での広畑の応援で、
今でも演奏される応援歌
「♪鐵の花がひらく〜、ひらく、ひらく、ひーらーく〜」(『新日鐵応援歌』)や、
応援曲の『ヒットコール』などは私の社会人野球体験の原点である。
ネット裏から双眼鏡で確認しただけだが、ともに楽団の年齢層が高く、
他で見られる大学生メンバー主体の演奏とは音の質が微妙に違うのが面白い。
神船の応援の中で私が個人的に名物だと思っているのが、
男子リーダーが「イチ!ニー!サン!シッ!」と掛け声付きで演じる
『錨を上げて』なのだが、生演奏ではなかったのがかなり残念。
チアリーダーも居なかったし(広畑には居た)。
この球場が“グリーンスタジアム神戸”だった頃の都市対抗予選、
ナイトゲームで行われる代表決定戦は夢のような空間だった。
曲のレパートリーも多く、華やかな神戸製鋼の応援が好きだった一方、
キーボードと太鼓だけで独特の盛り上がりがあった小西酒造も面白かった。
昔は良かった、などと言うつもりはないが、
兵庫で大規模な応援ができるチームが2つにまでなってしまったことは
以前のことを思えば寂しい限りである。
昼間の暑さに耐えかねて、第一試合の合間には売店で“フローズン”を買った挙句、
第二試合の開始直前にはビールを買いに行く始末。
照明が点灯されてからのほうが良かったのだが、売り子が見当たらないし、
第一試合とはケタ違いの売店の列に並んでイニング開始に間に合わないのもちょっと・・・。
どういうわけか8回裏になって売り子がメロンパンを売りに来たので、
友人と話のタネに1個ずつ買い求めた。
1個150円、まだほんのりと温かかった。
都市対抗野球兵庫二次予選 5日目第2試合
《代表決定戦》 三菱重工神戸10−0新日本製鐵広畑
スコアボードの略称では“三菱”となっていたが、
ここでは“神船”と略させていただく(神戸造船所の略)。
第一試合が終わって、友人らと第二試合の先発予想をしていた。
広畑はまぁ管家修一だろうと(予想通り)。
神船は渡辺辰徳か、松田克也か、はたまた大西雅之か・・・
フタを開けてみたら、木林敏郎だった。
いや、別に木林の先発を望んでいなかったわけではなくて。
何年か前までは神船のゲームと言えば木林が投げているような感じが
していたものだが、今や木林もコーチ兼任。
そうそう先発で出て来ることはないだろう、と思っていたのである。
さすがにベテラン、味のあるピッチングを見せてくれる。
3回表、広畑が2アウト三塁と先制のチャンスを得たが、
藤野一弘を見逃しの三振に切ったところなどは木林の真骨頂を見た気がする。
その裏の神船、四球の光武徳起を一塁に置いて、
今日第一打席でも安打を打っている義積司がセンター頭上を越す三塁打。
続く宮田和真もライトへ適時打を放って2点を先制した。
ここからは神船のペースでずっと試合が進む。
4回裏は光武の適時二塁打で1点追加。
5回裏は簡単に2アウトを取られてから、
盛田祥次の打球が相手の失策を誘って出塁。
大川広誉(これもコーチ兼任なんやなぁ・・・)の二塁打では還れなかったが、
高墳幸司の中前適時打で二者生還、本塁への中継の間に高墳も二塁へ。
管家は粘り強く投げていたが、ここでマウンドを降りることになった。
しかし二番手宮井努が制球定まらず、4連続四球で森田泰明に交替。
宮田に今日2本目の適時打を浴びてこの回だけで広畑は6点を失い、
中盤で9点のリードを許す苦しい展開になってしまった。
大量点差で形勢がほぼ決したにも関わらず、
7回にスクイズで1点を取りに行ったように(しかも4番の宮田で)
1点にこだわる姿勢を崩すことはなかった。
木林は広畑打線を6回まで散発3安打無四球の好投を見せ、
7回からは(友人いわく)今季の神船のエース・大西が登板。
3イニングを奪三振5の“完全”で締め、東京ドームへの切符を手にした。
1997年の都市対抗で、神船がTDK(仁賀保町)に8−3で勝った試合を
私は東京ドームの一塁側・神船応援席で観ていた。
兵庫代表はそれ以来都市対抗では勝てていない。
今年こそ、の奮起を期待したい。
一塁側には広畑、三塁側には神船の応援団が陣取っていた。
スタンドの入りは三塁側のほうが多かったように思う。
私が初めて球場で見た社会人野球の応援はこの球場での広畑の応援で、
今でも演奏される応援歌
「♪鐵の花がひらく〜、ひらく、ひらく、ひーらーく〜」(『新日鐵応援歌』)や、
応援曲の『ヒットコール』などは私の社会人野球体験の原点である。
ネット裏から双眼鏡で確認しただけだが、ともに楽団の年齢層が高く、
他で見られる大学生メンバー主体の演奏とは音の質が微妙に違うのが面白い。
神船の応援の中で私が個人的に名物だと思っているのが、
男子リーダーが「イチ!ニー!サン!シッ!」と掛け声付きで演じる
『錨を上げて』なのだが、生演奏ではなかったのがかなり残念。
チアリーダーも居なかったし(広畑には居た)。
この球場が“グリーンスタジアム神戸”だった頃の都市対抗予選、
ナイトゲームで行われる代表決定戦は夢のような空間だった。
曲のレパートリーも多く、華やかな神戸製鋼の応援が好きだった一方、
キーボードと太鼓だけで独特の盛り上がりがあった小西酒造も面白かった。
昔は良かった、などと言うつもりはないが、
兵庫で大規模な応援ができるチームが2つにまでなってしまったことは
以前のことを思えば寂しい限りである。
昼間の暑さに耐えかねて、第一試合の合間には売店で“フローズン”を買った挙句、
第二試合の開始直前にはビールを買いに行く始末。
照明が点灯されてからのほうが良かったのだが、売り子が見当たらないし、
第一試合とはケタ違いの売店の列に並んでイニング開始に間に合わないのもちょっと・・・。
どういうわけか8回裏になって売り子がメロンパンを売りに来たので、
友人と話のタネに1個ずつ買い求めた。
1個150円、まだほんのりと温かかった。
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