今日夕方放送されたABCテレビの『歴史街道』で、
なんばパークス7階にある『南海ホークスメモリアルギャラリー』が紹介されていた。
オープン以来何度か足を運んだことがあるが、
このギャラリーは今の状態でどれだけ続けて行くつもりだろうか、と心配もしたりする。
70年近いプロ野球の歴史の中で、数々のチームが産まれては消えていった。
“身売り”によって親会社が代わり、本拠地が移転したホークスのような例はまぁあるにしても、
このギャラリーのように、企業としては過去の遺物であるはずの球団を顕彰する施設をわざわざ設けることは、私は今まで耳にしたことはなかった。
阪急ブレーブスしかり。
西鉄ライオンズしかり。
東映フライヤーズしかり。
その点は評価して良いように思う。
ホークスが福岡へ移って今年で17年。
それでも、大阪や神戸で試合がある時は未だにスタンドで『南海ホークスの歌』を歌うことがある。
緑のユニフォームを着た人も何人か見かける。
大阪の地でひとつの時代を築いた南海ホークスの歴史は、南海電鉄という企業の手を離れた今でも脈々と受け継がれているのだ。
なんばパークスの敷地内には、ピッチャーズプレートとホームベースをかたどったモニュメントもある。
かつての大阪球場のそれと同じ位置なのだそうだ。
実際その位置に立っても、そこに見えるのは球場を思い起こさせるものではなく、なんばパークスというハイカラなスペース。
しかし、大阪球場の姿は私の瞼の奥にずっと焼きついている。
ちなみにこの私の日記のタイトルは、『南海ホークスの歌』からインスピレーションを得ている。
詳しくはまた後日。
なんばパークス7階にある『南海ホークスメモリアルギャラリー』が紹介されていた。
オープン以来何度か足を運んだことがあるが、
このギャラリーは今の状態でどれだけ続けて行くつもりだろうか、と心配もしたりする。
70年近いプロ野球の歴史の中で、数々のチームが産まれては消えていった。
“身売り”によって親会社が代わり、本拠地が移転したホークスのような例はまぁあるにしても、
このギャラリーのように、企業としては過去の遺物であるはずの球団を顕彰する施設をわざわざ設けることは、私は今まで耳にしたことはなかった。
阪急ブレーブスしかり。
西鉄ライオンズしかり。
東映フライヤーズしかり。
その点は評価して良いように思う。
ホークスが福岡へ移って今年で17年。
それでも、大阪や神戸で試合がある時は未だにスタンドで『南海ホークスの歌』を歌うことがある。
緑のユニフォームを着た人も何人か見かける。
大阪の地でひとつの時代を築いた南海ホークスの歴史は、南海電鉄という企業の手を離れた今でも脈々と受け継がれているのだ。
なんばパークスの敷地内には、ピッチャーズプレートとホームベースをかたどったモニュメントもある。
かつての大阪球場のそれと同じ位置なのだそうだ。
実際その位置に立っても、そこに見えるのは球場を思い起こさせるものではなく、なんばパークスというハイカラなスペース。
しかし、大阪球場の姿は私の瞼の奥にずっと焼きついている。
ちなみにこの私の日記のタイトルは、『南海ホークスの歌』からインスピレーションを得ている。
詳しくはまた後日。
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