スタート。

2004年1月1日
【はじめに】
2004年の幕開け。
だからでもないですが、今日から日記を書くことにしました。
元来ズボラな性格なので、いつまで続くかわかりませんが・・・。
タイトルの由来は、いずれ追々と紹介することに。


おだやかな元日。
今年は春日大社へ初詣に行く。
奈良は学生時代を過ごした街であり、卒業してからも年に何度か訪れているが、
春日大社へ行くのは何年ぶりか、である。
元日ゆえに混雑はしているが、スムーズに歩けるのでそれほど苦にはならない。
参拝を終え、近鉄奈良駅の方向へ歩いていると、
右手の向こうに東大寺大仏殿の屋根が見える。
初春のうららかな陽射しに照らされた鴟尾(しび)がとても美しい。
登大路の地下道をくぐるのは余り好きではないので、
国立博物館から興福寺五重塔の横を抜けて歩く。
余裕があるときは南円堂から石段を下りて三条通り〜東向通りを散歩するのだが、
今日は素直に?そのまま近鉄奈良駅まで直行。

帰りの難波行きを東花園で下車し、花園ラグビー場(第一グラウンド)でのんびりと高校ラグビーを2試合観戦。
それにしても東海大仰星、余裕の圧勝やなぁ。
明後日は準々決勝。朝から花園へ行くことになるだろう。

中途半端やなぁ。

2004年1月2日
昨年までなら、1月2日は国立競技場でラグビーの大学選手権準決勝なのだが、
今年は花園と秩父宮で2試合ずつが行われている(勿論準決勝ではない)。
毎年この日は親族が我が家に集まって飲み食いするので、観に行けないにしても何か勝手が違う。
成人の日もいつの間にか1月15日とは決まらなくなってしまい、こうやって日本の伝統が崩れて行くのか、
というのは大袈裟な話だろうか。

同じく1月2日は、お芝居の初日である。
大阪道頓堀の松竹座でも、今日から初春大歌舞伎が始まる。
NHK教育TVで19時から松竹座と歌舞伎座の舞台中継をやっていたので、しばらく鑑賞するつもりでいたら、
どうも中途半端なのである。
松竹座夜の部の『人間万事金世間』は途中から始まってこれからどうなるか、という場面で切られてしまうし、
歌舞伎座の『二人道成寺』も途中の「山づくし」から。せめて「鐘にうらみは〜」から見せてくれ、と言いたい気分。
(でも玉三郎も菊之助も綺麗・・・)
さらに松竹座昼の部の『封印切』(録画)は大きな見せ場二場面のみでまるでダイジェスト。
『封印切』は以前に松竹座で観たこともあるので粗筋はわかるが、鴈治郎の忠兵衛・我當の八右衛門はバリバリの上方言葉での掛け合いが聞ける組み合わせ。
あのダイジェストではあんまり伝わらんやろなぁ。
歌舞伎座の『十六夜清心』も途中からの追っかけ生中継。
清心を演ずるは新之助。世話物はちょっとどうかな・・・と思いながら観ていたが、
クライマックスでの豹変ぶりはなかなか見事なもので、面白かった。
どうせなら今日は大阪、明日は東京と2〜3日に分けて、最初から最後まで中継してくれれば良いのに。
劇場まで観に行け、ということか・・・。
思えば今日の4本は、どれも“カネ”がキーワードになっている(^^;

昨年、歌舞伎を観に行ったのは初春大歌舞伎、しかも『娘道成寺』(中村魁春襲名披露)の幕見のみ。
今年は果たして、観に行けるんかいな?
高校ラグビー準々決勝。
観戦仲間のうち何人かとは必ず花園でその年最初の顔あわせをすることになっている日である。
各人の守備範囲が異なるので、野球を趣味にしている同士でありながらラグビー場で会うことのほうが多い人も居たりする。
昨年は正月早々熱を出して寝込んでいたので、1月3日の花園は2年ぶりである。

第一試合に啓光学園、第二試合に東海大仰星と地元大阪の強豪が早くから登場するので、10時過ぎに着いた東花園駅のホームはかなり混雑していた。
入場券売場もそれぞれ長蛇の列。
バックスタンド上の方に場所を確保し、第一試合途中には今日来るはずのメンバーが全員集合。
あーだこーだ言いながら最後まで観ていた。

今日のちょっとした感想。
・ラグビージャージのスタイルが変わりつつあるのか、以前のような襟が目立たなくなっているものが増えてきた。啓光学園のロイヤルブルーのジャージもそうだが、白の襟がなくなっていて一瞬戸惑う。仙台育英学園は前後半とも終了間際の粘りを見せた。3回戦で伏見工業に勝ったのもよくわかる。
・東海大仰星−東福岡はなぜか両方ともセカンドジャージ。ファーストジャージどうしでも別にややこしくないはずなのだが。大学選手権の早稲田−関西学院なんてTVで観た限りややこしそうだったような。
・正智深谷−清真学園の関東対決、私の周りは圧倒的に清真を応援していた模様。拍手の数が全然違う。もっと点差が開くかと思ったが、清真学園の健闘に終了後さらに大きな拍手が響いた。
・大分舞鶴−佐賀工業の九州対決、前半20分頃まで両校とも無得点という接戦だったが、最後は大分舞鶴が20−0。その得点差よりも、佐賀工業がボールを思うように支配できず完封負けしたのは少々意外だった。

明後日の準々決勝は抽選で大阪対決、というか“枚方ダービー”となった。その日から仕事が始まるので、VTRに録って観ようっと。

終わってからは鶴橋でささやかに新年会。
やはり野球(特にパ・リーグ)の話に終始した。
あらゆる日程がボチボチ判明している。春が待ち遠しい。

バーゲン。

2004年1月4日
昼過ぎから心斎橋まで買い物に出た。
ちなみに文具の類である。地元にはあまり揃っていない。

この時期はそこいらでバーゲンをやっている。
心斎橋筋を歩いているだけで、いかにも、という感じの大きな袋を持っている女性が多い。
日の丸の旗が飾られたアーケードの下は、いつになく人通りが多く、そのうえ華やいでいる。

お買い物は嫌いではないが、正月早々のバーゲンとか福袋にはあまり興味が無い。
お年玉という臨時収入があれば話は別だが。
私の場合は行くとすれば(少ないながらも)ボーナスの出る夏のバーゲン。
と言っても買うのはアウトレットのTシャツだけだったりするので、そんなもんじゃバーゲンに行ったうちには入らないんやろな。
そもそも、ブランドやらデザインやらの前に、「自分に合うサイズの服を探す」という大前提があるようでは・・・。

正月休みも今日で終わり、明日は仕事始め。
もうちょっと休みたいけど、頑張らねば。

壊れた・・・。

2004年1月5日
今日は仕事始め。
終わってから同期の新年会。
仕事始めの日が最も集まりやすいということで、何年か前からこの日と決まっている。
いつの間にか所帯持ちの数が過半数を占めてしまい、子供の話などされると独り身の私は相づちを打つしかない。
「O(本名)ちゃんはまだなんか?」
と問われると、
「まだやー」
としか答えようがないではないか。
話題はそれだけではなかったので、まぁ楽しかったのだが。

家に帰ってきたら、TVが壊れていた。
母によれば、お昼頃突然画面が消えてしまい、スイッチをいじってもウンともスンとも言わなくなったとのこと。
よって今日留守録していた高校ラグビーの準決勝も見られず。某サイトで結果を知った次第。
しばらくはTVの無い生活になるのだろうか・・・。
おまけに、近頃ネットのつながりが良くない。
どないなってんねん。

応急処置。

2004年1月6日
昨日、TV(ビデオ付き)が壊れた。その後の話。

我が家にはもう一台TVがある。
今あるTVを購入する前に使っていたものだが、
画面は生きていても音がほとんど出ない。
全く出ないのではなく、点けていればたまに出たりするのだから始末が悪い。
でも何故か捨てられずに、別室の片隅に鎮座している。

私が仕事に出ている間、近所の電気屋さんが来てくれたという。
結局新しいTVを買うことになったのだが、
それまでの応急処置として、音がほとんど出ない先代のTVを引っ張り出し、
音についてはTV音声の入るFMラジオで代用。
UHFを除く地上波はなんとか視聴可能になった。
ただし、ケーブルTVは音無し、ビデオは使えないという状態はまだ当分続くのである。
ふぅ。
昨年末に大阪へ遊びに来た関東の友人が持って来てくれたお土産を、今頃になって開けてみた。
その袋には、よく知った洋菓子店の名前が書いてあるが、私の頭の中にあるその店とはロゴが全然違う。
包み紙を開けてみれば、
「えっ?これって・・・」
私が昔から知っている某店とは違うパッケージではあるが、ほとんど同じ商品。
というか、同じ商品名である。当然、味も同じ。

私が知っているのは“神戸”の店。
友人が持って来たのは“上野広小路”の店。
そのお菓子、私はずーっと神戸のものだと思っていた。
ネットであれこれ検索してみると、その洋菓子店は、
発祥は大阪だが江戸へ移って現在に至り、神戸の店はそののれん分けでできたものらしい。
意外や意外、独り感心することしきり。
まぁ私が知らなかった、ただそれだけの話なのだが。
友人が持ってこなければ全く気が付かなかっただろう新たな発見だった。

高校ラグビーは啓光学園の3連覇で終わった。
勢いに乗る大分舞鶴に15−0の完封勝ち。
TVのニュースで見ただけだが、今日の試合は白のセカンドジャージを着用していたようだ。
でも表彰式ではいつものロイヤルブルーだったとか。
表彰式のあとで“HAKA”はやったのかな?

似合わない。

2004年1月8日
夕方、家に帰ってみればTVで今宮戎神社が映っていた。
明日から“えべっさん”である。
“えべっさん”と言えば“福娘”というわけか、
その“福娘”が“えべっさん”の裏舞台を紹介するようなレポートだった。

マニュアル通りと言うか、感情のこもっていないイベントコンパニオンのようなしゃべり。
続いて出てきた“福娘”もまことに流暢な共通語アクセントでしゃべっていた。
ふたりの“福娘”の話し方には、大阪らしさが全く感じられない。

大阪やで。
浪速区やで。
今宮戎神社やで。
新世界の近所やで。

大阪弁ってそんなにイメージ悪いんか?
お笑いだけの言葉とちゃうで。
大阪の祭りやのに、なぜはんなりとした美しい大阪弁で紹介しようという試みが見られないのか。
なんぼ別嬪さんか知らんけど、正直幻滅したなぁ。

南海ホークス。

2004年1月9日 野球
今日夕方放送されたABCテレビの『歴史街道』で、
なんばパークス7階にある『南海ホークスメモリアルギャラリー』が紹介されていた。
オープン以来何度か足を運んだことがあるが、
このギャラリーは今の状態でどれだけ続けて行くつもりだろうか、と心配もしたりする。

70年近いプロ野球の歴史の中で、数々のチームが産まれては消えていった。
“身売り”によって親会社が代わり、本拠地が移転したホークスのような例はまぁあるにしても、
このギャラリーのように、企業としては過去の遺物であるはずの球団を顕彰する施設をわざわざ設けることは、私は今まで耳にしたことはなかった。
阪急ブレーブスしかり。
西鉄ライオンズしかり。
東映フライヤーズしかり。
その点は評価して良いように思う。

ホークスが福岡へ移って今年で17年。
それでも、大阪や神戸で試合がある時は未だにスタンドで『南海ホークスの歌』を歌うことがある。
緑のユニフォームを着た人も何人か見かける。
大阪の地でひとつの時代を築いた南海ホークスの歴史は、南海電鉄という企業の手を離れた今でも脈々と受け継がれているのだ。

なんばパークスの敷地内には、ピッチャーズプレートとホームベースをかたどったモニュメントもある。
かつての大阪球場のそれと同じ位置なのだそうだ。
実際その位置に立っても、そこに見えるのは球場を思い起こさせるものではなく、なんばパークスというハイカラなスペース。
しかし、大阪球場の姿は私の瞼の奥にずっと焼きついている。

ちなみにこの私の日記のタイトルは、『南海ホークスの歌』からインスピレーションを得ている。
詳しくはまた後日。
1月10日は“えべっさん”の日である。
それに合わせたかのように、神戸ウイングスタジアムではアメリカンフットボールの『えびすボウル』が行われた。
第49回となっているが、『えびすボウル』という名称で開催されるのは今回が初めて。
回数そのものは、一昨年まで行われていたオールスターゲーム『西宮ボウル』を継承しているらしい。
関西学生オールスターとXリーグ西地区オールスターの対戦だが、これは『西宮ボウル』よりも(チャリティーゲームの)『グッドウィルボウル』の対戦カードである。
バックスタンドの中ほどで友人2人と観戦。

赤のユニフォームの学生、白のユニフォーム(立命館の白ユニみたい)のX。
背番号の上には“えびすボウル”の文字があるのがなんともユニーク。
第2クオーターにXがタッチダウンとトライフォーポイントで7点を挙げたのがこのゲーム唯一の得点となった。
わりと淡々とした内容ではあったが、いったい何回のターンオーバーがあったんだ?と思うほど多かった気がする。
昨年、XリーグはDiv.2のファイニーズの試合以外は全く観ておらず、チャレンジャーズの中村多聞が現役復帰して今日のメンバーに名を連ねていることすら、観戦するまで気が付かなかった。

X側の応援は、1Qマーヴィーズ→2Qブラックイーグルス→3Qサイドワインダーズ→4Qインパルスと各クオーター毎にチアリーダーが入れ替わっていた。私のお気に入り・ファイニーズはハーフタイムショウで3人が出演。
学生側は同志社・立命館・近畿・甲南の混成チームで最初から最後まで通した。演奏は両側ともテープだった。
かつての西宮ボウルでは関西学生は生演奏の応援で、それをバックに演技を披露する各大学から勢ぞろいしたチアリーダーはまさに壮観だったものだが、それを思えば寂しい限りである。

今日のウイングスタジアムは屋根が閉じられていた。
無風状態ではあるが、それでも少し寒かった。
しかしまぁ、あの芝生の荒れたフィールドはなんとかならんのか。

帰りに乗った阪神電車でも、地下鉄でも縁起物の笹を持った人を多く見かけた。
西宮戎、野田戎、堀川戎、そして今宮戎。
ついでに言えば、今日の『えびすボウル』でコイントスをやったのは、大阪プロレスの“えべっさん”だった。

来たぁ!

2004年1月11日
先代のTV(ビデオ一体型)が壊れたのは先週月曜日。
次の日来てくれた電気屋さんは、
「新しいのは15日くらいに来ますわー」
と言っていたので、しばらくはまだ視聴可能な先々代のTVで我慢していた。
チョコチョコと触っているうちに音もまともになってきたので、まぁええか、と思っていたら。

新しいTVが今日やって来た。
28型。さすがにデカイ!
ビデオ一体型のTVは最近ないらしく、ちょっと安めのデッキも併せて来た。
これまたなんと、DVD付き。
今までの我が家のA&V事情から思えば、飛躍的な変貌を遂げたことになる。
留守録の方法など、取扱説明書と首っ引きで半日あれこれとやっていた。
リモコンの扱いにまだ戸惑ってはいるが、そのうち慣れるだろう。

持って来てくれた電気屋さんは、祖父の代から我が家に出入りしているのだが、
最近は細々とした家電の買い物は近所の量販店で済ませることが多いので少し疎遠になっていた。
こんな時しかお呼びがかからないにもかかわらず、「まいどー」と愛想良く駆けつけてくれる。
さすが地元の電気屋さん、有難いことである。

そうこうしている間に秩父宮では、神戸製鋼が後半終了間際で東芝府中に逆転負けをくらっていた。
昨日の大学選手権準決勝・同志社早稲田戦も(特に後半は)壮絶な試合だったらしいが・・・。
今シーズンは早稲田、神鋼ともに、ジャージの肩に三本線が入っている。おまけにあのサッカーみたいな書体の背番号。
あれはどうも好きになれんなぁ。
難波の大阪府立体育会館へバレーボールVリーグ(男子)を観に行った。
別に熱心に観ているわけではないが、なぜか男子・女子とも1シーズンに1試合は観に行かないと気が済まなくなっている。
第1試合が堺ブレイザーズとJTサンダース、
第2試合が松下電器パナソニック・パンサーズとサントリー・サンバーズの対戦。
チーム名だけ見れば、大阪色の濃い顔ぶれである。
観客もよく入り、熱気が満ちていた。

松下サントリー戦はフルセットに持ち込まれる大熱戦。
第3セット25−23で松下、
第4セット28−26でサントリー。
最初のうちは、
「ジルソン(サントリー)のスパイクだけはまともに受けたないなぁ〜、あれはケガするでぇ〜」
などと思いながら悠々と観ていたのだが、
だんだん前のめりになり、自然と手に汗を握るような展開だった。
それぞれの応援団は勿論のこと、対面のスタンドに座っている私の周囲もワーキャーと異様にテンションが高くなっている。
最終セットも追いつ追われつで15−12、最後は松下が勝利。
松下の山本ってえらい人気やなぁ。ベテラン真鍋も頑張ってるけど。

堺JT戦は3−1で堺。
どのセットもかなりの競り合いで、第2セットを除けば落とした方も20点以上取っていた。
堺の応援が面白い。万歳三唱の時にゴジラの鳴き声みたいな効果音が入ったり、引っ越しのサカイみたいな応援歌があったり。
でも、ただウケ狙いに走るのではなく、応援としてもとても良い雰囲気でまとまっているように見えた。
子どものチアも居て(これがまたちゃんとしてるんだ)、応援席以外からも温かい拍手が送られる。
あの雰囲気は会社の応援団では出ないだろうなぁ。

最後のローメン。

2004年1月13日
昨日のことである。
府立体育会館へ行く前に今年初めて『なんばパークス』に寄った。
7階『浪花麺だらけ』のどこかでお昼にしよう、と思ったのだが、
伊那名物“ローメン”の『シャトレ』が12日で最後、という貼り紙があったのでちょっと行列に並んでみた。

昼時だからかも知れないが、人気店の『ゆすら』『くじら軒』はオープンから3ヶ月経った今でも1時間待ちの大人気。
その一方でわずか5分待ちの店もある(どことは言わないが)。
『シャトレ』は私が並んだ時は15分待ちだった。
あまり相席を勧めないせいか、並んでいると4席はあるような1テーブルにひとりだけ座っている光景が。
一応食べるための行列ができているのだから、『大阪麺通団』みたいにどんどん相席を勧めれば良いのに。
私は、よほど狭くなければ相席OKである。

行列の衆目に晒されながら相席にて“ソースローメン”を食す。
(こう言う場で食った後もテーブルに長々と居座り続けられるような神経は私にはない)
ソース焼きそばのようだがちょっと違う。
極端な言い方をすれば、焼きそばと冷やし中華の間のような不思議な食感。
うん、まぁまぁいけるな。
今日(12日)でラスト、ということは期間限定だったのかも知れないが、
今度“ローメン”を食すとなると、伊那まで行かねばならんのかな?うーん・・・。

『浪花麺だらけ』に行く度『大阪麺通団』には取り憑かれたかのように寄っていたが、
今回は時間の都合でパス。
今のところ3店舗でしか食していない。
博多ラーメンの『しばらく』とカレーうどんの『でら打ち』はできるだけ早めに行っておきたいのだが。
よほどのことでもない限り、1時間も行列に並ぶのはちょっと・・・なので、『ゆすら』と『くじら軒』はまだまだ行くことはないだろう。

歌会始。

2004年1月14日
宮中の新春行事“歌会始の儀”の様子がニュースで紹介されていた。
今年の題は「幸」。

大学時代、古代歌謡に親しんだ者としてはちょっと興味がある。
夕刊に載っていた各首を改めて読みかえしてみたりした。
かなよみすればたったの三十一文字だが、
その三十一文字から想像できるのは無限大。
一首の歌からその背景はおろか作者の人生までも想像できてしまう。

彼と手をつなげることが幸せで
いつも私が先に手のばす

という歌がその中にあった。
歌会始に選ばれるような歌とは思えない平易な表現で、まことに解りやすい。
そこで思い出したのが、俵万智の『サラダ記念日』。
大学に入った当時の文学の時間で、ある教授が酷評していたことを覚えている。
作品の良し悪しはともかく、新しい三十一文字の世界を示した大きな例であり、
これによって短歌に興味を持った人も多いのではないだろうか。
来年の題は「歩み」だそうだ。
試しに出してみようかな、などと思っていると些細な疑問が。

選ばれて歌会始に出席することになったら、
・皇居までの旅費は宮内庁が出してくれて、宮内庁発行の領収書が貰えるのだろうか?
・以前“旅行貯金”ついでに飛び込みで宮内庁内の郵便局に行こうとしたら、丁重に門前払いを受けたことがあるが、こういう場合は頼めば行くことができるのだろうか?
などなど。

その前に歌を作れっちゅうねん(笑)

大雪。

2004年1月15日
ここ最近の大荒れの天気で、北海道は大変らしい。
新千歳空港も閉鎖になっていたという。
台風並みの冬の嵐。とても想像できない。

昨年12月、職場の親睦旅行があり、行先は札幌だった。
もちろん往復飛行機、しかも土日使って1泊2日。
私はその5ヶ月前に左足を骨折。
雪道やアイスバーンの上を歩ける状態ではとてもなかったので早々とキャンセルしたが、
たまたまそんな時に今日のような大雪で帰りの飛行機が飛ばなかったら、
果たして休み明けの仕事はどうなっていただろう?

北海道で言うところの“平年並み”の積雪量であっても、
それが大阪に降ればたちまち大混乱に陥る。
その北海道が混乱している様子なのだから・・・。

9年の歳月。

2004年1月16日
その日、自宅の二階に寝ていた私は、
大きな揺れを感じて飛び起きた。

何分か経って、兄から「無事か?」と電話があった。
トイレの壁がバラバラと崩れていた以外、
たいした被害はなかった。

電車のダイヤは乱れていたが、定時出勤できた。

そして、神戸が大変なことになっていることを知った。

親戚は大丈夫だろうか。
友人は無事だろうか。
その日は連絡が付かず、翌日安否が確認できて胸を撫で下ろした。

阪神間を結ぶ三本の鉄道が全て途中で分断された。
高速道路が崩れ落ちた。
TV画面に映し出される、おびただしい煙、そして炎。

1ヶ月ぐらい経って、当時神戸在住の友人に会いに行った。
阪急電車と代行バスと地下鉄を乗り継いで
どのぐらいかかっただろうか。
たいした見舞いもできなかったが、
「来てくれただけでも嬉しいわ」
という言葉に救われた。

今までは味わえなかった神戸までの“距離”を感じながら、
3月にはグリーンスタジアム神戸へオープン戦を観に行った。
一時はどうなるかと思っていたが、
また神戸で野球が観られることの喜びが、
まだ肌寒いスタンドを包んでいたように思えた。

1995年1月17日。
断片的な記憶であるが、あれから9年の歳月が経ったとは思えないほど鮮明によみがえる場面がある。
それは決して風化することはないだろう。

雪の朝、酒の夜。

2004年1月17日
朝からチラチラと雪が舞っていた。
積もるほどでもなく、雨混じりの雪。
TVで見る奈良公園は、うっすらと雪化粧していた。
今日みたいな天気の日には、例えば雪の金閣を見に朝から京都へ行きたいと思ったものだが、
近頃は足の具合もあって少々億劫になっている。
寒さの厳しい朝はけっこう辛いのである。

で、結局はTVでラグビー大学選手権の決勝を見てしまうのであった。
前半は早稲田がボールを支配していたように見えたが、
関東学院のディフェンスが堅く、0−0のままハーフタイムを迎えた。
後半が始まってみれば、それまで辛抱していた関東学院が一気に5つのトライを決めて圧倒。
早稲田は終了近くにやっと1トライを挙げただけ。
TVで見る限りだが、今日の国立霞ヶ丘競技場は空席が目立ち、大学選手権の決勝という感じがしなかった。

今日は夜から観戦仲間との新年会。
仕事で大阪出張中である遠来の友人を交え、
梅田の片隅で呑む。
最初は以前行ったことがある某居酒屋へ行くつもりだったが、
あるはずの場所に見つからない。
おっかしいなぁ、と思っていたらリニューアル中のため一時休業との張り紙が。
そう言えば今世紀に入ってから行ってなかったんや・・・(汗)
というわけで予定を変更して別の店へ。
私含め5人で、野球話は勿論のこと市町村合併の話題まで、幅広くしかもマニアックな楽しい宴となった。
しかし、呑めなくなったなぁ・・・。

大丈夫か?

2004年1月18日
なんだこの暖かさは。
昨日とは全然違うやんか。
日によって気候がこうコロコロ変わられては体調の維持が難しい。
コートを着て歩くとちょっと暑いぐらい。
でも日曜日はウララカなほうが良いに決まっている(『ウララカ』by大瀧詠一)。

昼過ぎに家を出て、ラグビートップリーグを観戦に花園へ行った。
第一試合・クボタ近鉄戦の後半15分あたりにバックスタンドに入ると、
今日の穏やかな日和のせいか、第二試合の神戸製鋼目当てかまぁまぁの入りである。
神鋼はリコーとの対戦。
ジャージの色で言えば“赤黒対決”。
失礼な言い方になるが、強かった頃の神鋼はいったいどこへ?と思うような内容だった。
前半はおろか、後半も残り10分過ぎまでリコーにリードを許していた。
ラインアウトが取れない。
選手の離合集散がスムーズでない。
パスがどうもつながらない。
神鋼を応援している人の「神戸〜!」という叫びが悲鳴にも聞こえるぐらいで、
「神戸なにやってんねん!」と怒鳴る人も。
フランカー斉藤祐也のトライなどで逆転勝ちはしたが、危なっかしい試合だった。
リコーと言えば、信野や月田はどうしたんやろ?
今日のメンバー表のリザーブにも入ってなかったのだが。

今日は愛知方面から友人が奥さんともども花園へ来ていて、およそ1年ぶりの再会となった。
帰りの近鉄電車がラグビー談義の場となったことは言うまでもない。
『青春18きっぷ』で在来線を乗り継いで名古屋まで帰るらしい。たいしたもんだ。

ううっ。

2004年1月19日
昨晩から何かおかしい、と思っていたが。
咽喉をやられてしまったようで声が出ない。
熱もあったし、思い切って仕事を休んだ。

風邪気味の時にいつもお世話になっている医院へ、
およそ1年ぶりに行った。
昨年は風邪引きかけの時も、突発的に熱が出た時も
正月に貰った薬が残っていたからそれで何とかなったが、
もうなくなってしまったので行くことにした。

朝のうちは会社へ電話する時も声を出すのに一苦労だったが、
午後になると持ち直してきた。
一応飯は食えるからさほど重症ではないようだが、
こじらせてもいけないので、今日は大人しくしていよう。

今週末には数年来毎月定期的に通っている某病院へ行く予定がある。
しかし、いったい今何人のお医者さんに世話になっているんだろう?
仲良くなっておけばいろいろ便利なことには違いないが・・・。

どうする?

2004年1月20日
声はなんとか出る。
しかし起き上がるのがやっとの状態。
1日寝ておけばなんとかなると思っていたが。
風邪で2日以上連続して休むのは何年ぶりだろうか・・・?
情けないったらありゃしない。

布団の中で聴いていたラジオで、
佐々木主浩がマリナーズを退団したことを知る。
日本球界に復帰するらしいが、どこへ行くのだろう?

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