9年の歳月。
2004年1月16日その日、自宅の二階に寝ていた私は、
大きな揺れを感じて飛び起きた。
何分か経って、兄から「無事か?」と電話があった。
トイレの壁がバラバラと崩れていた以外、
たいした被害はなかった。
電車のダイヤは乱れていたが、定時出勤できた。
そして、神戸が大変なことになっていることを知った。
親戚は大丈夫だろうか。
友人は無事だろうか。
その日は連絡が付かず、翌日安否が確認できて胸を撫で下ろした。
阪神間を結ぶ三本の鉄道が全て途中で分断された。
高速道路が崩れ落ちた。
TV画面に映し出される、おびただしい煙、そして炎。
1ヶ月ぐらい経って、当時神戸在住の友人に会いに行った。
阪急電車と代行バスと地下鉄を乗り継いで
どのぐらいかかっただろうか。
たいした見舞いもできなかったが、
「来てくれただけでも嬉しいわ」
という言葉に救われた。
今までは味わえなかった神戸までの“距離”を感じながら、
3月にはグリーンスタジアム神戸へオープン戦を観に行った。
一時はどうなるかと思っていたが、
また神戸で野球が観られることの喜びが、
まだ肌寒いスタンドを包んでいたように思えた。
1995年1月17日。
断片的な記憶であるが、あれから9年の歳月が経ったとは思えないほど鮮明によみがえる場面がある。
それは決して風化することはないだろう。
大きな揺れを感じて飛び起きた。
何分か経って、兄から「無事か?」と電話があった。
トイレの壁がバラバラと崩れていた以外、
たいした被害はなかった。
電車のダイヤは乱れていたが、定時出勤できた。
そして、神戸が大変なことになっていることを知った。
親戚は大丈夫だろうか。
友人は無事だろうか。
その日は連絡が付かず、翌日安否が確認できて胸を撫で下ろした。
阪神間を結ぶ三本の鉄道が全て途中で分断された。
高速道路が崩れ落ちた。
TV画面に映し出される、おびただしい煙、そして炎。
1ヶ月ぐらい経って、当時神戸在住の友人に会いに行った。
阪急電車と代行バスと地下鉄を乗り継いで
どのぐらいかかっただろうか。
たいした見舞いもできなかったが、
「来てくれただけでも嬉しいわ」
という言葉に救われた。
今までは味わえなかった神戸までの“距離”を感じながら、
3月にはグリーンスタジアム神戸へオープン戦を観に行った。
一時はどうなるかと思っていたが、
また神戸で野球が観られることの喜びが、
まだ肌寒いスタンドを包んでいたように思えた。
1995年1月17日。
断片的な記憶であるが、あれから9年の歳月が経ったとは思えないほど鮮明によみがえる場面がある。
それは決して風化することはないだろう。