今日大阪ドームで行われた都市対抗野球大阪・和歌山第一代表決定戦は、
あまりにも劇的な幕切れとなった。

NTT西日本vs日本生命

N西 100 000 000=1 H8 E0
日生 000 000 002x=2x H4 E0

N西:笠木−幸本  日生:国安、土井、渡辺−鷲北、藤田
【本塁打】下野(日生・9回裏逆転サヨナラ2ラン)

試合終了の瞬間、私はしばらくネット裏から動けなかった。
くわしくは明日書くことにする。

This is baseball!!

2004年7月2日 野球
昨日の大阪ドーム。
NTT西日本(N西)と日本生命(日生)の阪和第一代表決定戦。
いつもの平日ならば18時の試合開始前に入ることはまず不可能なのだが、
どういうわけかスタメン発表直前に到着(汗)

ところが、スコアボードが一部故障しているとのことで、
選手と審判の名前が画面に出てこない。
スタメン発表に間に合って良かった、と思ったのも束の間。
場内アナウンスをいつも以上に集中して聞きながらペンを走らせる。
聞き慣れた名前の選手ばかりでまだマシだったけれど。
あー落ちつかねぇ。

予定通り18時試合開始。
N西の先頭打者・一色和也が日生の先発・国安則至から
いきなりセンターへ二塁打。
西川勝文の犠打で三塁へ進むと、3番主将の黒塚浩行の左犠飛で
効率良く1点を先制した。
その裏の日生、先頭の佐々木正詞がまずヒットで出塁。
石田拓郎の犠打で二塁へ進み、多井清人が四球で一、二塁。
5番大宅敦司の打席で佐々木正は単独スチールを決めたと思えば、
すかさず本塁をうかがう仕草を見せる。
N西先発の笠木伸二が、一塁へ牽制球を投げたその隙に、
佐々木正はホームスチールを敢行。一塁の西川が反応良く本塁へ返し、
あえなくタッチアウト。
一瞬何が起こったのかわからなかったが・・・。

国安はマウンドで落ち着いて間合いを取っているように見えたが、
それが長いとはあまり感じなかった。むしろ自分なりの良いテンポだったのかも。
特に外角いっぱいを突くコントロールが絶妙で、
N西の打者が2、3、4回と見逃し三振でチェンジに取られていた。
対する笠木は独特のフォームからの程よい荒れ球?がよく決まる。
2回、竹間容祐に安打を打たれて以降は7回まで安打を許さなかった。

6回から、好投の国安に替わってベテランの土井善和が登板。
2アウト後川崎博孝、西田朋生(二塁打)の連打でN西が追加点の好機も
前田敦が三塁フライに倒れる。

そして7回も2アウトながら安打の幸本竜浩を二塁、四球の一色を一塁に置き
再び追加点のチャンスを得た。
ここで西川がセンターへ弾き返す。
二塁から幸本が三塁を蹴って2点目のホームベースへ疾走する。
センター佐々木正は慌てるそぶりも見せず落ち着いて打球を処理し、
本塁を死守する鷲北剛のもとへダイレクトの返球。
バウンドも良く鷲北のミットに球が収まり、クロスプレーで幸本タッチアウト。
レベルの高い代表決定戦にふさわしい、鳥肌モノの好プレーだった。
このプレーが試合の流れを変えたとするならば、
(1回のホームスチール未遂も併せて)佐々木正が日生の陰の主役だった、
と言えるかも知れない。

9回表、日生3人目の渡辺亮から宮崎昌樹が今日2本目の二塁打で出るも
後続なく、1−0のまま最終回のマウンドに笠木が登る。

1アウトから、多井がストレートの四球を選んで出塁、代走に及川徹。
打席には4番・下野敦司。
今日はここまで無安打、前の打席では四球で出るも牽制に引っかかった。
下野に限らず、今日の日生は中軸にまったく当たりが出ていない。
ここまでの安打は佐々木正、竹間、佐々木勇喜の3本のシングルのみ。
それだけに、2番から始まる9回裏の攻撃が何か不気味な感じがした。
おまけにN西は得点圏に走者を何度も送りながら1点が遠いし。
下野が倒れても大宅が居るし、何かが起こるかも・・・という胸騒ぎが。

1エンド1からの笠木の3球目。
下野がそれをジャストミート。
当たった瞬間、その弾道がレフトスタンドへ飛び込んで行くのがわかった。
笠木がマウンドでしゃがみこんでいたであろうことも、
下野が本塁で手荒い祝福を浴びていたであろうことも、
私の眼はレフトスタンド方向に釘付けになっていたのでよく憶えていない。
ネット裏の片隅で固まってしまったかのように、呆然として動けなかった。
あまりにもドラマチックな結末。
これが野球の怖さ、そしてこれが野球の面白さ。
今シーズンの忘れられないゲームのひとつになったことは、間違いない。

試合後、一塁側でN西の応援をしていた友人とドームの外で会う。
「しゃぁないわ。」
と、むしろサバサバした表情だったがやっぱり悔しいはず。
「今日負けたからと言うて東京ドームに行かれへんわけじゃないから。」
そうそう。
今日の負けを引きずることなく、次の試合に臨めばええんやから。
選手にもファンにも同じことが言えるんやで。

第二代表決定戦は5日、NTT西日本と松下電器で争われる。
都市対抗野球の兵庫二次予選を観に、ヤフーBBスタジアムへ。
ブルーウエーブの試合が行われているときのこの球場は、
飲食関係が非常に充実していて迷うほどなのだが、
今日のようなアマチュアの試合の場合はどうも行ってみないとわからないので、
事前に2試合フル観戦に耐えうるだけの食糧を調達してきた。
そのために余裕を持って自宅を出て、時間の計算がしやすいように
わざわざ地下鉄を1つ前の名谷で下車し、須磨パティオのダイエーでお買い物。
まるで“ダンドリくん(泉昌之・作)”である(笑)

球場に着いたのは開始の約1時間前。
スロープの上から友人が
「入場券売り場はどないなってんねん!」
と言いながら降りてきた。あれ?上にあらへんの?
そうこうしているうちに、BW戦では内野席券売り場になるあたりで
今日の入場券を販売する準備をし始めた。
この期に及んで入場券の種類や金額を確認しているなんて。
呑気なもんやねぇ(嫌味で言ってるんですけど)。

ネット裏、陽の当たる部分には誰も観客が居ない中で守備練習が行われている。
第一試合は14時開始。暑い盛りである。

《第一試合》敗者復活戦  

アスピア学園
100 100 000=2 H12 E2
200 020 00X=4 H8 E0
全播磨硬式野球団

アスピア:買、笹岡−林(偉)  全播磨:春藤−山崎、三宅

全播磨に戻ってきた春藤健介が、初回から立て続けに内野安打を打たれ、
おまけに犠打野選で無死満塁のピンチ。
アスピア4番の楊聖凱が併殺の間に三塁走者の林古謙が生還して1点先制。
ここまででわかるとおり、アスピアには台湾からの留学生が何人か出場している。
先発投手は買嘉儀。背中には「MAI」とある。
コントロールはそれほどでも無いが、時折「おっ!」と思う威力のある球を投げる。
全播磨は1回裏1死満塁から幸智之の犠飛、国分義史の適時打で逆転。

アスピアは春藤から毎回のように安打で出塁していたが、
なかなか得点に結びつかない。
全播磨も5回に高木亮の適時二塁打で2点を追加したものの、
それまで何度もあった得点のチャンスを生かすことができなかった。
ともに攻撃に雑なところが見られたのが惜しい。
春藤は12安打を打たれながらも完投勝ち。

第一試合が終わるや否や、お客さんが一度に増えたような気がする。
スタンドに応援団が入って来て、代表決定戦の雰囲気が段々出来上がる。

《第二試合》兵庫代表決定戦

新日本製鐵広畑
000 000 000=0 H3 E2
002 160 10X=10 H11 E0
三菱重工神戸

広畑:管家、宮井、森田泰、和田−小畠、筧  神船:木林、大西−高墳

この続きは、明日(4日)の日記にて。
昨日の続き。

 
都市対抗野球兵庫二次予選 5日目第2試合
《代表決定戦》 三菱重工神戸10−0新日本製鐵広畑

スコアボードの略称では“三菱”となっていたが、
ここでは“神船”と略させていただく(神戸造船所の略)。

第一試合が終わって、友人らと第二試合の先発予想をしていた。
広畑はまぁ管家修一だろうと(予想通り)。
神船は渡辺辰徳か、松田克也か、はたまた大西雅之か・・・
フタを開けてみたら、木林敏郎だった。

いや、別に木林の先発を望んでいなかったわけではなくて。
何年か前までは神船のゲームと言えば木林が投げているような感じが
していたものだが、今や木林もコーチ兼任。
そうそう先発で出て来ることはないだろう、と思っていたのである。
さすがにベテラン、味のあるピッチングを見せてくれる。
3回表、広畑が2アウト三塁と先制のチャンスを得たが、
藤野一弘を見逃しの三振に切ったところなどは木林の真骨頂を見た気がする。

その裏の神船、四球の光武徳起を一塁に置いて、
今日第一打席でも安打を打っている義積司がセンター頭上を越す三塁打。
続く宮田和真もライトへ適時打を放って2点を先制した。
ここからは神船のペースでずっと試合が進む。

4回裏は光武の適時二塁打で1点追加。
5回裏は簡単に2アウトを取られてから、
盛田祥次の打球が相手の失策を誘って出塁。
大川広誉(これもコーチ兼任なんやなぁ・・・)の二塁打では還れなかったが、
高墳幸司の中前適時打で二者生還、本塁への中継の間に高墳も二塁へ。
管家は粘り強く投げていたが、ここでマウンドを降りることになった。

しかし二番手宮井努が制球定まらず、4連続四球で森田泰明に交替。
宮田に今日2本目の適時打を浴びてこの回だけで広畑は6点を失い、
中盤で9点のリードを許す苦しい展開になってしまった。
大量点差で形勢がほぼ決したにも関わらず、
7回にスクイズで1点を取りに行ったように(しかも4番の宮田で)
1点にこだわる姿勢を崩すことはなかった。

木林は広畑打線を6回まで散発3安打無四球の好投を見せ、
7回からは(友人いわく)今季の神船のエース・大西が登板。
3イニングを奪三振5の“完全”で締め、東京ドームへの切符を手にした。

1997年の都市対抗で、神船がTDK(仁賀保町)に8−3で勝った試合を
私は東京ドームの一塁側・神船応援席で観ていた。
兵庫代表はそれ以来都市対抗では勝てていない。
今年こそ、の奮起を期待したい。

一塁側には広畑、三塁側には神船の応援団が陣取っていた。
スタンドの入りは三塁側のほうが多かったように思う。
私が初めて球場で見た社会人野球の応援はこの球場での広畑の応援で、
今でも演奏される応援歌
「♪鐵の花がひらく〜、ひらく、ひらく、ひーらーく〜」(『新日鐵応援歌』)や、
応援曲の『ヒットコール』などは私の社会人野球体験の原点である。
ネット裏から双眼鏡で確認しただけだが、ともに楽団の年齢層が高く、
他で見られる大学生メンバー主体の演奏とは音の質が微妙に違うのが面白い。
神船の応援の中で私が個人的に名物だと思っているのが、
男子リーダーが「イチ!ニー!サン!シッ!」と掛け声付きで演じる
『錨を上げて』なのだが、生演奏ではなかったのがかなり残念。
チアリーダーも居なかったし(広畑には居た)。

この球場が“グリーンスタジアム神戸”だった頃の都市対抗予選、
ナイトゲームで行われる代表決定戦は夢のような空間だった。
曲のレパートリーも多く、華やかな神戸製鋼の応援が好きだった一方、
キーボードと太鼓だけで独特の盛り上がりがあった小西酒造も面白かった。
昔は良かった、などと言うつもりはないが、
兵庫で大規模な応援ができるチームが2つにまでなってしまったことは
以前のことを思えば寂しい限りである。

昼間の暑さに耐えかねて、第一試合の合間には売店で“フローズン”を買った挙句、
第二試合の開始直前にはビールを買いに行く始末。
照明が点灯されてからのほうが良かったのだが、売り子が見当たらないし、
第一試合とはケタ違いの売店の列に並んでイニング開始に間に合わないのもちょっと・・・。
どういうわけか8回裏になって売り子がメロンパンを売りに来たので、
友人と話のタネに1個ずつ買い求めた。
1個150円、まだほんのりと温かかった。
今日は大阪ドームで、都市対抗阪和第二代表決定戦。
2回表途中にドーム入りした。

NTT西日本
002 000 000=2 H10 E2
000 231 00X=6 H12 E0
松下電器

N西:前田克、粟野、山本、齊藤−幸本、大原  松下:久保−岡崎

その2回表に入るや否や、N西の黒塚浩行がライトへ二塁打。
続く前田敦の打球はレフトの頭上を越すような当たりだったが小坂将商が好捕、
黒塚は二塁に帰れずチェンジになった。
その裏、四球の井上大が田原隆三郎の犠打で二塁に進むと、
岡崎太一の強い当たりは三塁の西田朋生のグラブに吸い込まれ井上帰れず。
同じような展開の2回の表裏だった。

3回表は、1アウトから宮崎昌樹が内野安打で出塁。
一色和也が今度は正真正銘のレフトオーバーの三塁打でN西が1点を先制。
さらに西川勝文が投手強襲安打で一色を還し、3連打で1点を追加した。
西田が死球でN西のチャンスがまだ続くかに思われたが、
松下先発の久保康友が踏ん張りを見せて後続を断ち切る。

N西はベテランの前田克也が先発。
4回裏、先頭の甲斐俊治の打球が二塁とライトの間に飛んだ。
野手が3人お見合いをするような形で安打になり、甲斐はその間に二塁へ進む。
井上の適時打で甲斐が還り、松下はまず1点差に。
田原の犠打、岡崎の安打で一・三塁の場面で箕野豪がスクイズを決めて同点。

5回裏、前田克に疲れが出だしたのか、この回先頭の3番堀啓樹に二塁打、
小坂にも連打を浴びて一・三塁。
甲斐の打席の時に暴投で松下が難なく均衡を破ってしまった。
甲斐を四球で出したところで前田克から粟野智雄にスイッチ。
1アウトは取ったが田原に2点適時二塁打を打たれ、松下のリードが広がった。
6回裏にも堀の適時打でダメを押す。

同点に追いついてから落ち着きを取り戻したのか、
中盤以降は久保本来のクレバーな投球がいいところで見られた。
N西が簡単に打って行ったとは言え、
打てそうな球を投げて打ち取っていたようにも見える。
8回表、西田、川崎博孝に連打を許したが、
遊撃手・田原のファインプレーに助けられて4回以降無失点。
久保は最終回も球の勢いがあり、完投勝利で第二代表の切符を勝ち取った。

N西にはツキもなかったが、記録には表れないようなミスが多かった気がする。
2日の日生戦では何度か好機を掴みながらあと1点が取れなかったが、
今日の試合ではどうだったかと言えば・・・まぁこれ以上は言うまい。

明後日7日は第三代表決定戦、NTT西日本vs大阪ガス。
今日の試合を観たうえで極論を言わせてもらえれば・・・。
第三で負けても舞洲の近畿代表決定戦には出られるわけだが、
この試合を逃せば本大会には出られない、という危機感を持たねば、
仮に近畿代表で東京ドームに行ったとしてもまず勝てないだろうと思う。
下手すれば大阪から4チームが東京ドームに行ける、というのは
今の状況ではあまりにも恵まれすぎ。
そんな環境に安住していてはいけないはずなのだが。

行かねばならぬ。

2004年7月6日
昨年の七夕。
私は左足を折る大怪我をしてしまい、
その日から7週間にもわたる入院生活を送ることになった。
あれから1年。
埋められていたプレート類は6月に除去できたが、
時たま、「足が重いなぁ」という感覚に襲われることがある。

昨年と同じ日に、同じ場所の土を踏むことになる。
もうあんなことはないだろう、と思っていても少し気がかり。
いつまでも痛い思い出を引きずってばかりもいられないけれど。
心配性の自分が顔を出す。

それでも明日は行かねばならぬ。行かねばならんのだ。

・・・三波春夫『大利根無情』の平手造酒のセリフみたいやなぁ。
第75回都市対抗野球の阪和二次予選も、とうとう最終日の第三代表決定戦。
応援合戦で言えば、非常に私好みの対戦になった。
勝てば東京ドーム、負ければ舞洲。

大阪ガス
000 100 000=1 H6 E0
100 101 02X=5 H7 E1
NTT西日本

大ガス:山田幸、建山、能見−小野  N西:笠木、徳留−大原
【本塁打】一色(N西・1回ソロ)

今日も大阪ドームに入ったのは2回表。
ドームへのアプローチを歩く人の数が、一昨日よりもやけに多く感じる。
1回の裏、N西に早くも1点が入っていた。
友人に尋ねたところ、一色和也の先頭打者本塁打だとか。

4回表、大ガス先頭の岩本達也がセンターに二塁打。
ところが送球が悪く、岩本は三塁へ進んだ。
1アウト後、野夫井誠のライトへの犠牲フライで同点に追いついた。
その裏のN西は、1アウトで死球の西田朋生を三塁、安打の前田敦を一塁に置き
山崎隆広がショートへ難しいゴロ。
ショート岩本はなんとか二塁へ送球してアウトを1つ取ったが、
この間に西田が還り再びN西がリードする。

6回裏から大ガスは3人目の能見篤史が登板。今日先発か、と思っていたが。
先頭の西川勝文がセンター前安打、西田が犠打で送って得点圏に。
ここで川崎博孝がライトへ三塁打を放ち、4番打者の仕事を果たす。

N西の先発・笠木伸二は4・5・6回と安打で走者を出すも
動じるそぶりも見せずその後をきっちりと打ち取っていた。
8回表、1アウト二塁で溝下進崇から空振り三振を奪ったところで、
マウンドを徳留慶に譲る。
ベンチへ戻る笠木を、三塁側の応援席が大きな拍手で迎える。
第一代表決定戦はサヨナラ本塁打で敗れはしたが、
二試合続けての好投を見せてくれたことへの賞賛が
その拍手には充分感じられた。
徳留は岩本に強い当たりを打たれるが、二塁の宮崎昌樹がガッチリ。
なぜか私はこの時、N西の勝利を確信してしまった。

8回裏、西川二塁打、西田投前犠打野選、川崎死球で満塁。
代打黒塚浩行が四球を選んで押し出しで1点追加。
2アウト後、大原周作がとどめのレフト前適時打。
今日は調子が良くなかったように見えたが、能見から3点を取ったのは大きい。
大ガス9回表の攻撃も徳留が3人で片付けて、
N西が“三度目の正直”で東京ドーム行きを決めた。

先の二度の代表決定戦では、走者を何度も置きながらなかなか得点できず
効率の悪い攻めが目立っていたN西だったが、
今日は内野ゴロの間や押し出し四球による得点はあったものの、
先頭打者が出塁しなおかつ走者を得点圏に進めたイニングすべてで
点を取ることができた。
その意味では、価値のある勝利だと思う。

大ガスは近畿代表決定戦へ出場が決まり、
また舞洲へ逆戻りすることになった。
これまでの実力から言えば、このまま終わってしまうチームではない。
昨年の選手権決勝、日産に延長の末サヨナラで敗れた悔しさがあるなら、
必ず這い上がってきて本大会で大暴れすることができるはず。
近畿代表決定戦は観に行けそうにないけど、期待している。

今週は1日おきに大阪ドームに通っていることになるが、
明後日のフレッシュオールスターゲームのチケットを確保しているので
今日で一区切り、というわけではないのである。
まぁ、9日はのんびり観ることにしよう。

眠れない七夕。

2004年7月8日
昨日まで行われていた都市対抗の阪和二次予選。
結局大阪ドームの代表決定戦3試合しか観戦することができなかった。
デュプロも、箕島球友会も観たかったんだけど・・・。

試合と同時に応援の様子を楽しむ身としては、
大阪ガスの応援を一度しか見られなかったのが残念。
大ガスの楽団は音がキレイで、しかも迫力がある。
大太鼓の使い方もタイミングをよく心得ていて、
マイクのリーダーもお客さんを乗せるのが上手い。
大阪のチームの中では最も好きな応援である。
曲のつなぎに入るコールが、選手名から
「大***、阪***、ガ***、ス***、
大*、阪*、ガ*、ス*、大阪ガスGO!GO!GO!」
になった、というか戻った。
私としては、こちらのほうが元々馴染みのあるコールだ。

その替わりでもないが、NTT西日本は3回も楽しめた。
今年から新曲が3曲ほど増えたような気がするが、
そのうちの1曲は『ウルトラ警備隊の歌』のメロディー。
高校野球ではPL学園が使っていたことがある。
オリジナルかも知れないが、新しいチャンステーマも良い。
本格的な“三三七拍子”も健在。

松下電器は得点時に『河内音頭』のような曲を演奏するのでお馴染み。
“ような”と敢えて付けたのは、
河内の人間としてはあまり認めたくないアレンジなので(汗)
あの楽団は、松下以外の試合でも耳にしたことのある音だが、
一応「応援団は全員社員」であることになっているらしいので・・・。

日本生命はどちらかと言えばオーソドックスな選曲だが、
リーダーのステージ上での気合が他とはひと味違う。
しかも交替が非常にキビキビとしている。

東海予選では応援団コンクールも行われているが、
それを実施するに相応しい応援体制を取れるチームが多い。
予選の会場である岡崎市民球場にはこれまで2回行ったことがあるが、
これを見てハマる人も居る、というのも頷けるほどだった。

昨日、ドームから帰宅して日記を書いたりしているうちに
床に就くのが遅くなってしまった。
次の日に書いたほうが少しぐらいは冷静な文章が書ける気がするのだが、
その日のうちに書いてしまおうと思ったので。
(そんなことやから翌日に選手名が間違っていたことに気付くんや)
考えるのも馬鹿らしいプロ野球のオーナー会議のニュースを見て
これからの行く末をあれやこれや考えてみたり、
その他、7日までの出来事について
「○○についてはこのままでええんか?」などと諸々思いをめぐらせたり。
そんなこんなで気が付けば今日の夜明けを迎えていた。
昨年に続いて、眠れない七夕の夜だった。

眠気覚ましにドリンク剤を1本空けて出勤。
眠かったことには違いはないが、適当に疲れているほうが
仕事がはかどったりすることもあるのであった。

お祭り?

2004年7月9日 野球
フレッシュオールスターゲームは、
オールイースタンが10−0でオールウエスタンに勝利。
ま、今日はお祭りみたいなものだから。

それにしても、大阪ドームでやるからには
ウエスタンがホームチームになると思っていたのだが、
ベンチは一塁側でもユニフォームはビジターでしかも先攻。
札幌ドームや鳴尾浜じゃないんだし。

今日は通院のため休みを取っていたので、
16時20分ごろにドームに着くことができた。
(その前に寄っていた場所もあるが、それは明日にでも)
その頃はまだまだ空席が目立っていたが
試合が近づくにつれてだんだん増え、
土・日のホークス戦並み?になった。
いつもこのぐらい入っていればねぇ・・・。

明日は朝かなり早起きしなければいけないので(遠征ではない)
今日のところはこれまで。

お祭り(その2)。

2004年7月10日
昨日のフレッシュオールスターゲームの終了後、
ライトスタンドでは22時頃まで“二次会”が行われていた。
ホークスの外野席によく出入りしていた頃は、
勝ったあとの球場外での応援団の二次会に参加していたものだが、
近頃は参加せずに帰るか、その様子を遠くから眺めているほうが多い。

試合中はレフトスタンドに居たはずのファンや応援団もライトに終結。
いかにもオールスターらしい二次会になっていたので、
ちょっとライト方向まで足をのばしてみた。
さすがにその密集の中にまで踏み入れることはなかったが、
各球団の応援歌や球団歌を、それぞれの応援団が入り乱れて
トランペットで奏で、そのリードでスタンドはお祭り騒ぎになっていた。
こういう場を本当に楽しめていたのは、
ほとんどがパ・リーグのファンだったような気がする。
セの中でも、ドラゴンズの応援団などはよくやってるなぁ、と思うが、
私の近くに居たタイガースファンなんてジャイアンツをネタにしたときに
口汚くヤジるか、タイガースの曲のときだけしか反応していなかった。
全てのタイガースファンがそうであるとは毛頭言うつもりはないが、
パ・リーグには全く興味を示さない御仁が多いように思う。

翌朝は早く起きねばならないので、そろそろ帰るつもりでいたら、
『いざゆけ若鷹軍団』が聞こえてきたので出口に近いゲート附近で
もうちょっとだけとどまることに。
そして、やっぱり、というか『南海ホークスの歌』。
通路下でバファローズの応援団らしき方までもが演奏していたのに
ちょっと感激。
当然のごとく『近鉄バファローズの歌』も歌い、
締めくくりはパ・リーグ連盟歌『白いボールのファンタジー』。
スタンドでこれだけ大勢で歌ったのはあまり記憶になかったので、
それだけでも、もう何とも言えなかった。

応援団の中には色んな意味で“おちゃらけ”をよくやるところもあり、
昨日もそんな感じが出ていたりはしていたのだが、
昨日の二次会は昨今のプロ野球(特にパ・リーグ)を巡る不穏な動きに対する
ファンの心情を強烈に表現したパフォーマンスになったように思う。
機構のお偉いさん方は表彰式が終わって逃げるように帰っただろうから
わからないだろうが。
ま、あの人たちはそんなことは眼中に全くないわな。
TVのニュース等で見ただけで実際のところはどうだったかわからないが、
先日の堀江何某のスタンドプレー然とした行動に比べれば
まだこちらのほうが心を動かされるものがあった。

お祭り(その3)。

2004年7月11日
「7月10日と11日は祭りやから家におらなあかんで」
と以前から言われていた。

私の地元は小さいながらも昔から続く町である。
その町会の中に10ヶぐらいの班があって、
ウチの班では10何年に1回は班長の当番が回ってくる。
今年はその当番の年になってしまった。
前の当番の年は兄貴に任せていたが、今回はそうもいかない。

班長の仕事と言っても、町会費を集めに回るのと、市の広報誌を配るのと、
回覧板を回すのと、たまにある班長会議に出るぐらい。
しかし、町会の一大イベントがある。それは“夏祭り”。

ウチの町会は“だんじり”でも“神輿”でもなく“ふとん太鼓”である。
上部に座布団のような飾りをつけた太鼓台に子どもを乗せて、
「よいやさぁーよい!」と囃しながら町内を練り歩く。
これを“お渡り”と呼び、土曜日は夜1回、日曜日は昼・夜の2回。
ハッピを着てそれに付き合うわけだが、これが結構しんどい。
とは言いながら楽しんでいるのである。

どちらかと言えば大人よりも子どもの祭りなので、
私などは中学校に上がる頃にはその場へ出なくなってしまった。
近所との関わりが鬱陶しいと思う年頃だったこともあるし、
地元に居た年代の近い男子もほとんど離れてしまったし。
それ以降、あの掛け声につられて出て行くことはあまりなかったが、
今回、20数年ぶりで地元の祭りに大きく関わったことになる。

10日は朝5時半起きで6時から太鼓台の組み立て。
そんなときに大雨が降ったりする前途多難なスタートだったが、
終わってみれば
「今年はええ祭りやったなぁ」
と言いながらみんなで拍手の大団円。
こんな様子を見ていたら、班長でなくても出てもええよなぁ、と
思ってしまう。こうやって地元に染まっていくわけだ。
でも昼の“お渡り”はもういい(^^;
ついて歩くだけでもバテバテやもん。

まだ小学校低学年の女の子が、立派に太鼓の叩き方をマスターしている。
物心つかないうちから自分の身体に刻み込まれたリズム。
それはウチの町会で産まれ育った人々に共通するものである。
しかし子どもの数が減ったなぁ。いつまで町会の祭りができるんやろ?

というわけで、オールスターゲームの中継はほとんど見ていない。
(昨日の松中信彦の同点アーチは見たけど。)
SHINJOのホームスチール、見たかったなぁ。

タイムスリップ。

2004年7月12日
オールスターも終わり、ちょっとの間は野球中継がないのでつまんねぇなぁ、
と思いつつケーブルTVのチャンネルをいじっていた。
そしたら、スカイAで1977年夏の甲子園決勝、
東洋大姫路vs東邦の試合の様子が放送されていた。

私がおそらく初めて夏の甲子園を観に行ったのはこの年の大会。
大阪代表・大鉄(現・阪南大学高校)の試合で、
前田友行投手が完封勝ちした酒田工業戦である。
山口哲治投手の智辯学園も好きだったなぁ。

東洋大姫路は後に阪急ブレーブスに進む左腕の松本正志、
東邦は“バンビ”と呼ばれた1年生・坂本佳一の両エースの投手戦。
延長10回、東洋大姫路が安井主将のサヨナラ本塁打で
深紅の大優勝旗を手にした決勝戦だが、
この試合は近所の友人の家で観ていたと思う。当時9歳(笑)

バックネットカメラ中心の映像。
5万8000人の大観衆。
通路まで埋まっていて120円のかちわりを売りに歩けない、
というレポートも。
応援の音が非常にシンプル。
東邦の阪口慶三監督がさすがに若い!
おまけにアルプス席でインタビューしているのが、
この年が実況デビューだったという太田元治アナウンサー。
若い!おまけにスマート!(笑)
太田アナの温かみのある実況、好きだったんですよ。
映像からうかがえる27年前の夏の様子。
ちょっとしたタイムスリップ気分だった。
しかし、27年の歳月を経ても決勝を戦った両校のユニのデザインは、
今もほとんど変わっていない。

おかげさまで、今日10000カウントを突破しました。
とりとめの無い日記にも関わらず、ご愛読に感謝致します。
アテネオリンピック・野球日本代表の、キューバ代表との壮行試合が
東京ドームで行われていて、TBSがその中継をしている。
“長嶋ジャパン”というフレーズの乱発、なんとかならんのか。

そりゃ、本当なら長嶋茂雄が日本代表の監督としてベンチに居るわけだが、
試合の指揮を執るのは監督であっても、実際プレーするのは選手。
監督の名前で試合をしているのじゃないだろう。
素直に“日本代表”となぜ言えないのか。
ユニフォームに“NAGASHIMA JAPAN”と書いているわけじゃあるまいし。

現役時代をリアルタイムであまり知らない世代の私でも、
長嶋茂雄の存在の大きさはある程度わかる。
一度だけ実際に間近で見て、オーラを感じたこともあるし。
しかし、ここまで長嶋茂雄への思い入れを放送内に込める必要があるのか。
中継が始まってから試合開始までに、もうお腹いっぱいである。

今回の壮行試合には、社会人から4人の投手が参加している。
2人めの投手として坂本保が登板。
テロップには“本田技研熊本”とあった。
現在のチーム名は“ホンダ熊本”として登録されている。
社会人野球の総元締めの新聞社に関連の深い放送局にしては、
不勉強が過ぎないか。
『ZONE』など良質のドキュメンタリーを放送しているわりには・・・。

言っておくが、私は“アンチ長嶋”ではない(“長嶋信者”でもない)。
必要以上にしつこく“長嶋ジャパン”を強調する放送の構成が厭なだけである。
BSの中継のように、副音声で球場音声のみの放送があればなぁ。

今日は8チャン。

2004年7月14日
キューバ代表のグリエルは“リナレス二世”と呼ばれているらしい。
一時期社会人野球のいすゞ自動車に居たグリエルとは何か関係があるのだろうか。
まさか親子じゃあるまいな。
今日の壮行試合で、三浦大輔からライトスタンドへ放り込んだ本塁打。
右打者でしかもスイングが泳ぎ気味だったにも関わらず、
あそこまで運んでしまうとは。恐るべきハタチである。

城島健司、谷佳知、中村紀洋とパ・リーグの面々が活躍しているのも嬉しいが、
(村松有人はやっぱり“23”が似合うな、とも思ったり)
久保康友が日本代表のユニフォームを着てマウンドに立っているのを見ると、
何とも言えないほど嬉しかった。
点は失ったけど、そんなことはどうでも良いくらい。
久保の先輩にあたる友人が「涙出てくるわ」というメールを送ってきた。

今日の放送はフジテレビ(こちらでは関西テレビ)。
ゲストがやたら多い気がしたが、昨日に比べたらまだマシな実況だった。
それだけ昨日の実況が過剰だった、ということ。
フジテレビのプロ野球中継、と言えば。
吉田拓郎の『ホームランブギ』はCD化されないのだろうか。
笠置シヅ子のなら持っているのだが。

笠置バージョンでは、

「8つチームのホームランブギ、虎に巨人にロビンス、阪急、
鷹に東急、中日、スターズ・・・」

という歌詞があるが、拓郎バージョンではどうなっているのか
とても気になるのである。

6年経っても。

2004年7月15日
昨日の日記で、キューバ代表のグリエルと元いすゞのグリエルは
親子じゃあるまいな、と書いたところ。
その日の夜のうちに関東の友人から「親子だそうです」とメールが来た。
なんでも、私が酷評していた13日の放送で言っていたらしい。
(ということは聞き逃していたわけか)
こんな時に頼りになるネットワークがあるのは、有難いことである。

日記の文章を考えつつ、スカイAで第80回全国高校野球準々決勝、
「PL学園vs横浜」を見ていた。
延長17回の結末がどうなるのかわかっていても、つい見てしまう。
高校野球の延長戦の規定が15回になった今では、
これ以上の延長戦はもう無いことになる。
その意味では伝説の試合である。
「この選手はどこの大学へ行って、今○○に居るなぁ」
などと思いながら見る、という楽しみもあれから6年経てばこそ。

あの日は確か木曜日。
私は休暇を取って朝から甲子園に居て、この試合はライトスタンドで観ていた。
第二試合に一塁側のアルプススタンドへ行くまでの“入り待ち”状態。
開始予定時刻に間に合えば良かったのかも知れないが、
第一試合が高校野球屈指の強豪同士の対戦となれば観ないわけには。
両雄相譲らぬ好ゲームも、第二試合を目的で甲子園に居た身としては、
延長に入ると「はよ終わらんかなぁ・・・」と思っていたものだ。
それが延長が進むにつれて、球場全体が異様なムードに包まれる。
いつしか満員の外野席で“根(コン)を詰めて”観ている自分が居た。
偶然の産物だったとは言え、伝説と称される試合に立ち会ったことになるわけだが、
試合が終わった直後にはそんな思いはまだ無かった。

第二試合で関大一高が明徳義塾に敗れた時点で球場をあとにし、
私の夏の甲子園は終わった。
今にして思えば第三試合で浜田高校時代の和田毅を観られたわけだが・・・。
準決勝の横浜vs明徳義塾は仕事中だったし、
決勝の横浜vs京都成章は土曜日で観に行けたけど、
神戸サブのウエスタンリーグに行ってしまったし。

延長17回を投げぬいた翌日もリリーフに立ち、
さらには決勝戦でノーヒットノーランの記録を打ち立てた松坂大輔。
高校野球で燃え尽きることなく、ライオンズのエースとして活躍を続ける。
甲子園で優勝した投手はプロで大成しない、と言われたこともあるが、
それを覆すまでにはまだまだかかるかも知れない。
しかし、この延長17回のVTRを見れば、高校時代の松坂は
まさに“怪物”だった、と思うより他はない。

勝利の日まで。

2004年7月16日 野球
母校自慢で申し訳ないが。

私が卒業した高校には硬式野球部があり、発祥は詳らかではないが
創部から100年が経っているらしい。
現在の全国高校野球選手権の前身である全国中等学校優勝野球大会には
第2回大会から参加、夏に関しては準皆勤である。
全国大会は豊中、鳴尾、甲子園(西宮)と開催球場が移ったが、
それぞれの会場まであとひとつまで迫ったこともある。
つまりは地方大会で準優勝3回の実績を持つ。

ただし、最も新しい準優勝は45年以上前のこと。
1968年のベスト8を最後に4回戦より上に進めなくなったどころか、
最近は初戦突破も難しくなってきた。
大阪府で高野連に加盟している高校の硬式野球部の中には、
部員不足で他の部からも助っ人を得て試合に臨むようなところもあるが、
母校についてはそんな話とは無縁である。
そこそこの人数はいつも居て、今年は50人も居るらしい。
でも、負け続けている。

1993年の夏には4回戦まで進んだ。
それ以来、夏はずーっと負け続けていて昨年まで10連敗。
春・秋の府大会も含めれば、1997年春から2001年秋まで勝てなかった時期がある。
そして今年の夏を迎え、今日(16日)が初戦。
私は仕事で見に行けず、携帯の速報で今年も負けたことを知った。

私の母校は卒業生のほとんどが大学へ進むのだが、
そこで硬式野球を続ける者は非常に少ないと思われる。
それだけに、大学野球のリーグ戦パンフに母校の名を見つけると
なおのこと嬉しく思うのだが。
ただ、私の記憶にある夏の勝利を経験した投手はすべて
大学でも硬式野球を続け、公式戦にも登板している。
それぐらいの実力を持つ投手が居たから勝てたのかも知れないが。
今のところ、夏に勝った最後の投手は後に地方の国立大学に進み、
野球部ではリーグ戦でも表彰される投手になった。
そして卒業後は母校に帰り、現在硬式野球部の監督をしている。

今は雌伏の時。いつか報われる日が来ると信じている。
来年はひとつでも勝てますように。

伝統の一戦。

2004年7月17日 野球
今日の京都は祇園祭の山鉾巡行の日で、
阪急烏丸〜地下鉄四条の通路がラッシュ時並みの混雑。
祇園祭そのものは大学のとき宵山に行ったことはあるが、
今日は祭りには眼もくれず、地下鉄と市バスを使って
京都大学の吉田グラウンドを目指した。
14時から、京都大学と東京大学の硬式野球定期戦が行われる。
この日のために、東大野球部をこよなく愛する友人が
東京からわざわざ新幹線で駆けつけていた。
(私にとっては“師匠”とも呼ぶにしかるべき人物である)
ただでさえ蒸し暑い京の夏だが、風があった分まだ救われたか。

東大 000 000 100=1 H8
京大 000 200 00X=2 H9

東大:高橋、近藤、鈴木、大西、山口、松岡−升岡、渡辺
京大:濱田、土屋−岡田

4回裏、京大はこの回から登板した近藤秀正(4・都立武蔵)を攻め、
1アウトから岩崎慎治(3・膳所)、河原林哲(3・膳所)が連打。
2アウト後に松岡諭史(4・旭丘)の適時打で1点を先制し、
相手の失策で2点リードとなった。
6回まで濱田晋介(3・茨木)を攻めあぐねていた東大だが、
7回表先頭の前原大志(3・開成)がレフトへの二塁打、
1アウト後代打の黒江卓郎(2・筑波大附駒場)の死球、
有馬聡一(4・ラ・サール)の内野安打で満塁になったところで
濱田から土屋真司(3・西城陽)にスイッチ。
その替わり端、代打野村勇太(3・私立武蔵)がライト前適時打で
1点を返したが、土屋は落ち着いて後続を断った。

旧制の一高、三高の定期戦の流れを汲む伝統の一戦だけに、
表彰式も用意されている。
しかも、優勝杯は旧制の全国高校野球大会で使用されていたものらしい。
最優秀選手は京大先発投手の濱田晋介、
優秀選手には東大先発投手の高橋晋也(3・仙台一)が選ばれた。

この定期戦を観戦するのは初めてだったが、
吉田グラウンドで行われるのは2年ぶり。来年は東大が会場になる。
今年こそは松家卓弘(4・高松)を京都で見ることができるか、
と思っていたが不参加だったのが非常に残念。
秋の神宮へ観に行く機会があればなぁ・・・。

しゃあない!

2004年7月18日 野球
今日は13時から大阪ドームでバファローズvsホークス。
いつもの?三塁側内野席で観戦。
行かなかった昨日で2万2000人と発表されていたが、
今日は3万人は入っていたかも知れない。

4時間を超える熱戦は、9回大西宏明のサヨナラホームランで終わった。
7−5で迎えた9回裏は中軸からの攻撃で、
「北川(博敏)あたりにサヨナラ打たれるんちゃうか・・・?」
という嫌な予感がしていた。三瀬幸司も調子が悪そうに見えたし。
中村紀洋に同点の2ランを浴びてますますヤバい雰囲気になっていたが、
最後に決めるのが大西で、しかもホームランとは思ってもみなかった。
荒金久雄のプロ入り初ホームランは勝ちには結びつかず。
それにしても両チーム合わせて32安打(H18、Bu14)って・・・。
今季に限っても、私はこの球場でホークスのサヨナラ負けを3度観たことになる。
少々荒れ気味でドームを出た。しゃあないなぁ、もう。

ところで、高校野球の地方大会は今が真っ盛りなわけだが、
今のところはまだ1試合をフルに観ていない状態。
他に目的とするものがあるのでどうしてもそうなってしまう。
つまみ食いのような感じで一応3試合は観ている。
今日も大阪ドームに行く前に寄った球場はあるが、
観戦記を書けるほど集中して観ていたわけではないので。
明日は3連休の3日目。
折角だから気持ちを切り替えて“高校野球観戦”を目的に
出かけることにしよう。
野球を観戦する目的も人それぞれ、である。
特定のチームや選手であったり、その対戦カードであったり。
私の場合は、毎年“未観戦球場の開拓”をひとつのテーマにしていて、
高校野球の地方大会はまさに開拓のチャンス。
とは言え、行ける日と地域は限られてくるのだが。
できるだけ近畿地方から離れて・・・、などとあれこれ考えていた。

その結果。
とりあえず、まだ一度も行っていない三重大会へ行くことにした。
伊勢市倉田山球場は社会人伊勢大会で行ったことがあるので、
開催球場の中でもっとも行き易そうな津市営球場を選ぶ。
津駅から三重交通バスが主なルートのようだったが、
最寄り駅としてはひとつ隣の津新町駅のほうが近い。

市営球場のある公園は“津球場公園”。
球場入口の上には“津球場公園内野球場”と看板が上がっている。
名前からして、公園よりも球場が先にできたような感じだが
ちょっと変わったネーミングである。
今日は4試合が組まれていて、到着したときには第二試合、
久居高校と上野農業高校の対戦が始まったばかりだった。
コンクリートむき出しのスタンド、選手名の入っていないスコアボード。
あるかと思っていた大会のパンフレットも無く、いささか拍子抜け。
試合のほうは、久居が2回に一挙5点、3回にも3点を入れて
コールドゲームが濃厚な展開になった。
久居の北村(とアナウンスで聞こえた)投手がなかなかの本格派。
気合を込めて打者を三振に取り、ベンチへ帰ろうとするも
まだ2アウトで慌ててマウンドへ戻る、という場面もあった。
4回を終わって9−0。まだ正午前ではあったが、
試合展開とパンフが無いのと座りづらいのとで退出することに。
津駅前行きのバスを待つ間、ふと思った。
「もう1箇所ぐらい行けそうやな・・・」
このあと、予定にはなかった展開が!(笑)

明日の日記に続きます。
昨日(19日)の日記の続き。

津から近鉄特急に乗れば名古屋まで1時間以内、としたら。
愛知大会を観に行けるかも知れない。
津駅の売店でスポーツ紙を買って今日の試合予定をチェック。
名古屋駅から最も近そうなのは熱田球場だが、
一度行ったことがあるのでパス。
同じ名古屋市内の瑞穂球場では9時30分から3試合行われ、
第三試合は14時30分の予定。
「よっしゃ、これや!」
で、近鉄特急で一路名古屋を目指すことになった。

名古屋駅から地下鉄桜通線で瑞穂運動場駅へ。
駅にあった周辺の地図をアタマに叩き込み、
クソ暑い中を10分ほど歩くと瑞穂球場が見えてきた。
「やったー!屋根があるぞー!」
愛知大会のパンフレットは500円。
大阪も同額だが、その充実度は愛知のほうが勝っている。
第二試合終了直後で、勝った名東高校が校歌を歌っていた。

瑞穂は屋根もでかいが、グラウンドも中堅122m、両翼99.1mと広い。
人工芝なのはちょっと残念。
三塁後方には陸上競技場、外野席の向こうにはラグビー場が見える。

第三試合は、中部大学第一高校と名南工業高校の対戦。

名南工 000 000 000=0 H8
中部一 000 000 03X=3 H6

名南:吉岡−林(大)  中部:冨田−久島

名南・吉岡朋也、中部大一・冨田逸生がともに丁寧な投球で、
三塁まで走者を進めてもあと1本を許さなかった。
8回裏、中部大一は1アウトから連続四球、さらに暴投で二、三塁。
3番・小川将良のライトへの適時打でようやく2点をあげた。
小川は安打と内野ゴロで三塁に進むと、6番久島健太の打席で
吉岡が牽制球を投げようとして止まり、これがボークに。
三塁から小川が生還。マウンド上でボールを叩きつけて悔しがる吉岡。
この3点で勝負が決まった。
冨田は背番号9で、少し変則気味のスリークオーター右腕。
球速よりも制球で勝負するタイプのような気がした。
9イニングで与えた四死球は2(1つは死球)である。

中部大一で気になったのが、ライトを守っていた背番号7の朱大ヱ。
1年生に見られがちなひ弱さは全く感じられない。
パンフには「140km/hのストレートを武器に打者を打ち取る」とあり、
おまけに長打力もあるらしい。
今日の打席では余計な力が入っているように見え、
無安打に終わったが盗塁をひとつ決めている。
自宅に戻って調べてみると、中国・上海出身。
小学6年で来日してから少年野球で野球を知ったとのことで、
いわゆる“野球留学”ではない。
予備知識無しに、偶然観に行った試合でこんな選手を見つけるとは、
我ながら運が良かった、と思う。
将来が楽しみだ。

ネット裏のやや一塁側に座っていたからか、
中部大一の父兄の方から飲み物の配布を受けたりと
少しだけオイシイ思いもさせていただいた。
瑞穂まで行った甲斐があった、というものだ。

おまけに、この日は名古屋のみなと祭の日でもあったらしく、
帰りの地下鉄では浴衣の女の子たちを多く見かけた。
それもまた良し(^^;

あ、来週また名古屋へ行くことになるんだった・・・。

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