帰還。

2004年6月14日
2週間の入院生活を終えて、無事自宅へ帰ってきた。
入院した時点ではまぁ1週間程度で帰れるだろうと思っていて、
主治医の先生からもそんな感じで説明を受けていたのだが。
どういうわけか延びてしまった。

前回の入院はあまりにも突発的だったものだから、
病院での生活を送る態勢が当然のごとく整っていなかった。
入ってからあれが要る、これが要ると片っ端から自宅へ連絡を入れていたもの。
でも今回は前回の続きのようなもので同じ病院に入院するのだから、
物心ともに準備万端で臨むことができた。

暇つぶし用として、活字の多そうな単行本2冊とレポート用紙。
レポート用紙は日記帳代わりだが、落書きなどを含めて
退院する頃には厚みが半分になるぐらい書きつぶした。
日記と言っても、あまりにもプライベートに過ぎる内容なので
到底WEB上に載せられるようなものではない。
(が、機会があれば書ける範囲で書いてみたい気もする)

何しろ退院直後なもので、ちょっとバテが来ている。
本格的な復活はもう少し落ち着いてから、ということで・・・。

入院日記(抄)。

2004年6月15日
私の入院中の基本的な生活リズムパターン。

*05:45 起床 散歩
病院の前に公園があって、その遊歩道を歩くだけでも良い気分転換になる。
雨でも降らない限り1〜2時間に1回のペースで歩いていた。
端まで歩くと大阪ドームが見える。

*06:45 ABCテレビ『おはよう朝日です』を見る
自宅ではまだ寝ている時間。
朝っぱらからほんまにテンション高いなぁ、宮根誠司は。

*07:30 病棟に出入りしている新聞屋さんからスポニチを買う
オッちゃんが「おはようございまーす」と低い声でこっそり入ってくる。
私の顔を見るだけで否応無しにスポニチを出してくれるようになっていた。

*08:00 MBSラジオ『ありがとう浜村淳です』を聴きながら朝食
私の朝食はパンである。
ついつい聞きこんでしまうので、歯磨きに行くタイミングが難しい。

*09:00 検温、脈拍、血圧測定など
日勤の看護婦さんがやって来る。
若くて気さくな看護婦さんが多いので話をするのも楽しい。
前回からの顔なじみの人にはついタメグチで会話してしまう。

*10:00 抗生剤の点滴
手術後4日間は2回点滴があった。
私は血管が見つけにくい性質なので、看護婦泣かせの患者だったに違いない。

*12:00 昼食
病院食というカテゴリーの中では、ここの病院の食事はかなりレベルが高いと思う。
毎日あったかいご飯が食べられる。それだけで幸せ。

*16:00 抗生剤の点滴
これも手術後4日間。そろそろ夜勤の看護婦さんがやって来る。
ここまでの間にも、散歩したり、モノ書きをしたり、携帯のメールをチェックしたり。
2日に1回はシャワーを浴びたり。
あまり昼寝はしなかった。夜眠れないのが厭だから。

*17:00 MBSテレビ『ちちんぷいぷい』を見る
番組は15:00から始まっていて、
「私は角淳一です。あなたはどなたですか」
というオープニングを見ることもあるが、お目当ては『血液型ぷいぷい占い』。
あのアニメーションがなんとなく好き。

*18:00 夕食
だいたいラジオのナイトゲーム中継を聴きながら。
パ・リーグの中継が少ないなぁ。

*19:00 NHKテレビ『ニュース7』を見る
あなたは半井小絵と荒嶋恵里子のどちらが好みですか?(笑)
気が向けば夕暮れの公園を散歩。

*21:00 消灯
様子を見に来るのがお気に入りの看護婦さんだとちょっと嬉しい。
ベッドの灯りは点けたままで、ラジオを聞きながらレポート用紙に向かう。
日記を書くのは夜に限るな。うん。

*22:00 就寝
早寝早起き。
入院中だからこそ送れる健康的な生活(笑)

こうして書くと結構楽しそうに思うかも知れないが、
昨年の入院中は、家へ帰れない寂しさ、野球を観に行けないことの辛さの余り
消灯後誰にもわからないように何度か泣いたこともある。
気持ちが沈んでばかりだと、治るはずの病も癒えることはない。
でも、それを救ってくれたのは親しい友人だけでなく、
看護婦さんなど病院で出会った人々との何気ない会話などであったりする。
或る看護婦さんにはおもちゃにされてるな、とわかっていても悪い気はしなかったし、
それだけ親しみを持って接してくれていると思えばむしろ嬉しかった。
(その看護婦さんがもう居なかったのはちょっと残念だったが)

できる限り楽しみを見つけることでもしないと、入院生活などやっていけない。

まさか・・・。

2004年6月16日
バファローズとブルーウエーブの合併のニュースは、まさに寝耳に水だった。
退院を翌日に控えた日曜日の朝7時。
NHKのニュース『おはよう日本』でその第一報を知った。
朝いつも買うスポニチにはまだそのニュースは載っていない。
翌日は駅やコンビニで売っているスポーツ紙の臨時版以外は休刊日で
まさかそれを狙っていたわけではないだろうが。
当日の活字媒体では、日経がいち早く載せていたような気がする(13日付1面)。
病院向かいのコンビニまで、散歩ついでに買いに行った。

この“事件”についてあれこれ思いを廻らせてはいたが、
私の頭の中では今でもどうもうまく整理できない。
あまりにも考えるべき要素が多すぎるのである。
じっくり考えられるだけのコンディションではないこともあるが。

近畿日本鉄道はもう野球なんてどうでもいいと思っている

としか私には思えない。巻き返し、って何やねん。

それから、もう一方のブルーウエーブ。
今年、ヤフーBBスタジアムではグラウンド整備の間に、
クールファイブの『そして神戸』を流すことがあるらしい。
ここでは紹介しないが、その歌詞は現在の状況を暗示しているような気がしてならない。
私の気のせいだろうか。

あ〜ほんま。

2004年6月17日
近頃、某どらやきのCMソングが耳に付いて離れない。
よく聞く名前なのだが、まだ食べたことはない。
身体が甘いモノを欲しているのだろうか。
しかし、あの紫色の髪はなんとかならんのか(笑)

このどらやきは四天王寺の名物らしいが、
私が思う四天王寺の名物は釣鐘まんじゅうである。
広島名物もみじまんじゅうの形を変えただけ、
と言ってしまえば身も蓋もないけれど我が家では昔からこれ。
『じゃりン子チエ』では、花井拳骨先生の奥様の実家がここらしい。

私は決して釣鐘まんじゅうの回し者ではない。
茜丸(あ、言ってもた)もどこかで見つけたら食べてみよう。
ありがたいことに、茜が人生を応援してくれているのだから(笑)

たちかわ〜!

2004年6月18日
マリーンズ・立川隆史とタイガース・平下晃司の交換トレード。

(出囃子『サンバ・デ・ジャネイロ』だと思って)
♪らーらーら、らーらららーらーら、
 らーらーらーらーらららーらーら、
 らーらーらーらーらららーらーら、
 らーらーらーらーらららーらーら〜

  たちかわ〜!

がもうできなくなるのが残念で仕方が無い。
あれがマリーンズ戦のひとつの楽しみだったのに。
千葉マリンスタジアム(内野席からでもいいから)で一度叫んでみたかったなぁ・・・。

台風6号が接近している。
その影響で、明日開幕予定だった全国高校野球選手権沖縄大会が
早々と順延することが決まった。
関西では明日から都市対抗野球京滋奈二次予選の代表決定リーグ。
天気予報では土・日とも雨模様らしい。
明日は1試合だけでもやって欲しいんだけど。
今年から再び京都・滋賀・奈良の枠に戻った二次予選。
代表決定戦リーグの第一日を観戦してきた。

《第一試合》

日本新薬
021 030 003=9 H12 E0
010 010 001=3 H11 E3
ニチダイ

新薬:木村、田中−松下
ニチダイ:松本、阿久津、平山、矢野、高尾、高田−松尾、川邊、福田

2回表、新薬は奥隆彰の二塁打と横山誠の犠打野選で無死一・三塁とすると、
ニチダイ松本修の一塁牽制悪送球で難なく先制点。
1アウト後松下和行の適時打でさらに1点を追加した。
3回表は1アウト一塁から藤谷大樹の二塁打で1点、
5回表は奥の2点適時二塁打と相手失策で3点とリードを広げ、
9回表にも2アウト満塁から横山の走者一掃三塁打でダメ押し。
ニチダイも安打数では差はなかったが、
2回、5回の1点は三塁走者が内野ゴロの間に生還、
9回の1点も新薬の中継の隙をついたもので適時打での得点ではない。
走者を置いた場面での生かし方で差が開いたような気がする。

新薬の応援席はお馴染みの同志社大学のメンバー。
チャンスに流れる“チャイナ”では子どもたちも巻き込んで
スタンドを右へ左へと盛り上がっていた。
ニチダイは楽団が6人と少人数だったが、いい音が出ていた。
あの音と曲目とドラムの叩き方からして、龍谷大学のメンバーかも知れない。

《第二試合》

ミキハウス
000 000 002=2 H8 E0
000 000 000=0 H4 E1
大和高田クラブ

ミキ:内山、南−中野滋
高田:寺澤勝−武田

この途中から雨が降り出した。
ミキハウス先発の内山博昭は序盤は特にストライクが先行し、
好調な投球を見せていた。
終わってみれば大和高田に三塁を踏ませなかった。
大和高田の寺澤勝義は毎回のように走者を出しながらも
粘りのピッチングで強打のミキハウスを無得点に抑えていた。
だんだん雨が強くなり、屋根のヒサシから水が滴り落ちるのが見え出した9回表。
先頭の柏野浩二が安打で出塁、代走の林正和を中野宏昭が犠打で進め、
打席にはヘルマン・メサ。
敬遠もありか?と思われたが寺澤は勝負に出た。
メサは寺澤の3球目をレフトへ弾き返し、フェンス直撃の二塁打で均衡を破る。
次打者の濱田政宣もライトへの三塁打で1点を追加。
その裏からミキハウスは南大介がマウンドに立ち、
三者連続空振りの三振で完璧なクローザー役を務めた。

大和高田応援席は走者が二塁に進むと
「ヤーヤドォ〜、ヤーヤドォ〜」
とまるでお祭り騒ぎのようになるのが楽しい。
(あれは元々“弘前ねぷた”の囃子なんだけど)
安打が出たときのファンファーレがかつてのIBM野洲を思い出させた。
ミキハウスは鳴り物が太鼓1ヶだけと少し寂しかったが、
少年野球の子どもたちの声援がよく目立っていた。
最新の天気予報を確認せぬまま、昨日の雨がまだ残るだろうと踏んで
今日は出掛けるつもりはなかった。
ところが、朝起きたら・・・お陽ぃさんが差してるやんかいさ。
夕方は家に居なければならない用があるのだが、
西京極の第一試合だけはなんとか観られそうなので行くことに。
その前に昨日の観戦記を執筆してから家を出た。

日本新薬
300 101 002=7 H9 E1
000 020 001=3 H6 E5
ミキハウス

新薬:橋本−松下
ミキ:天沼、近藤、南−中野滋

ミキハウスの先発、天沼秀樹が立ち上がりから苦しい投球。
1回表いきなり四球と犠打失策で2、3塁に走者を置くと、
3番芝拓也のレフトファウルフライで新薬がまず1点。
4番藤谷大樹がレフトへ適時打、四球と安打で満塁になって
保田裕久が押し出し四球を選んで早くも3点差に。
その後辛くも併殺で止めたが、序盤から大量点の恐れもあった。
4回表は小林世拓(二塁打)、6回表は岸辺直人、
そして9回表は藤谷が今日二本目の適時打となる三塁打。
その藤谷も犠飛で生還して試合を決定付けた。

ミキハウスは新薬の橋本健太郎からなかなか集中打が奪えず。
5回裏は1アウトから満塁の好機を得て、大江伸宏の2点適時打で
反撃したがそのあとが続かない。
9回裏、やっと連打が出たが内野ゴロの間の生還のみで、
攻守ともに少々雑な面が出てしまったような感じがする。

これで新薬は代表決定リーグ2勝目をあげ、
4年連続の都市対抗出場まであと一歩と迫った。
第二試合はニチダイが3−1で大和高田クラブに勝利。
明日(21日)のミキハウスvsニチダイでとりあえず2位が確定し、
新薬は大和高田に勝てば全国の代表一番乗り。
仮に敗れても2勝1敗どうしでの決定戦に持ち込まれることになる。
台風の行方が非常に気になる。

今日の西京極のスコアボード。
ミキハウスのスタメンで、6番レフトでリーゴ宮本が入っていた。
その選手名表記が、縦書きで

“R宮本”

となっていた。
女子ソフトボールの試合でひらがなが入ることがあるとは聞くが、
(昔の後楽園ではカープの高橋慶彦が“高橋ょ”だったこともある)
アルファベット+漢字の表記は初めて見た。
“R”と書かれるとまるで代走みたいやなぁ。

昨日は太鼓ひとつだったミキハウスの応援席、今日は楽団付き。
あれはやっぱり神戸大学のメンバーに間違いない。
ソフトボール部の選手たち?も赤いユニフォームで応援していた。
新薬は昨日と同様。チャイナは9回のみだった。
チアのユニフォームは3種類あるが、その中でも男子リーダーの服と
同じデザインのワンピースが一番カワイイと私は思う(^^;

虹。

2004年6月21日
今日の朝日新聞(大阪本社版)夕刊2面。
浜村淳が甲子園で始球式をした記事が出ていた。
同じサウスポーの野球解説者・遠山奨志(T→M)から、
「球筋が虹を描くように」
というアドバイスを受けたそうだ。
遠山がこの日記の読者やったとしたらオモロイなぁ(笑)

私の日記のタイトルは、以前にも書いたと思うが、
『南海ホークスの歌』の2番の歌詞「白球飛んで虹となり」から頂いたもの。
自慢ではないが、この歌だけは何も見ずにフルコーラス歌える。
格調高い日本語でありながら『阪神タイガースの歌』ほど難しい表現も無い。
(「鉄腕強打幾千度」「闘志溌剌起つや今」・・・子供にゃ難しいって)
その3番の歌詞にある「世紀の野球華咲かす」というフレーズは、
1999年の日本シリーズ・ナゴヤドームで日本一になった瞬間、
外野の応援団の手によって横断幕の中に甦った。
こんなにピッタリなフレーズだったんや・・・と思わず涙が出そうになった。

それはさておき。
「球」「虹」を自分で用いたのはこの日記が最初ではない。
現在は閉鎖されてしまったが、私の同僚が作っていた地域情報系のサイトで、
「コラム書いてみいへんか?中身は何でもいいから」
と言われて主に野球ネタの駄文を何度か発表したことがある。
そのコラムのタイトルは『球は虹のごとく』。
出典はもちろん同じである。

今日は朝から台風の来襲に備えて、家の雨戸を全部閉めて回った。
夕方に雨戸を開けると、夕暮れの空にうっすらと虹が出ていた。
今年になってまともに虹を見たのはたぶんこれが最初だと思う。
最近“荒嶋恵里子”というキーワードでこちらを訪れる方が多いようだ。
荒嶋さんは、NHK『ニュース7』で土・日の気象情報を担当されている
気象予報士なのだが、どこを探してもプロフィールらしきものが無いので
その素性は私もよくわからない。
気になっている人、多いんやねぇ。
ただ、彼女の語りはどことなくキャビンアテンダントの機内放送っぽいな、と思う。

それはさておき。
今日の大阪ドームは“大阪府民デー”とやらで、
大阪府在住であれば自由席が無料になる日である。
友人と共同で『自由席サポーターズチケット』を買っている身では
あまりその恩恵は意味を成さない。
マリーンズは高卒ルーキーの内竜也が予告先発だったので
観に行っても良かったのだが、混むやろなぁ、と思って行かなかった。
(スカイAの中継を見たら・・・上段が結構空いていた。う〜ん。)
かと言って西京極にも行っていないのではあるが。
日本新薬都市対抗代表一番乗り、おめでとうございます。

そして。
荒金久雄、延長10回逆転サヨナラタイムリー!
ようやった!

変わらないもの。

2004年6月23日
『報知高校野球』の7月号が発売された。
中西清起が高知商業でセンバツ優勝した頃からほぼ毎号買っている。
ひと頃ずっと、春季・秋季の地区大会のカラーグラビアは
決まって関東か東京からスタートしていたのでそれだけは面白く無かったが、
それでも貴重なデータベースとして重宝している。
7月号はいつもどこかの地方大会が1つか2つスタートしてから
おもむろに店頭に並ぶようになっていたが、今年は沖縄の開幕延期のおかげで
どうにか間に合ったようなものだ。

各地方大会の展望も楽しみだが、地区大会絡みのグラビアがまた楽しみ。
ユニフォームのデザインが非常に気になる。
「この高校のユニフォームってこんなんやったんや」とか。
「え?しばらく見ない間にえらい変わってしまったやん」とか。

例えば、甲子園に出場が決まってデザインを一新する高校もあれば、
昔からの伝統のデザインをそのまま継承している高校もある。
アタマが古いからかも知れないが、私は後者に好感を持つ。
客観的に見て非常にノーマルなデザインのユニフォームであっても、
“強豪”と呼ばれるチームには、そのユニフォームを着ているだけで
相手に威圧感を与えるような何かが存在する気がする。

さらに言えば、文字やマークは胸だけで、袖には何も入っていない
ユニフォーム(例:平安、松山商業、広島商業、東邦など)には、
それだけで充分という潔さと、それだけで全てを語れる誇りが
込められているような気がするのである。
私の母校はとても強豪とは呼べないが、少なくともここ20年ぐらいは
非常に潔いデザインのままである。
今年創立120年記念でデザイン変えたら承知せんぞ(笑)

まだ見てない方の為に詳しくは紹介しないが、グラビアの中で、
甲子園から長く遠ざかっている高校のユニフォームが3つ並んだページがある。
きっとこの3校はずっとこのデザインだったんだろうな、と容易に想像できる。
それがまたいいんだなぁ。

なぜだ。

2004年6月24日
職場に復帰して数日たって思うこと。

入院中は平気で朝6時前にキッチリ眼が覚めたのに、
仕事に行くようになると7時になってようやく起き出すのか。

ただ単に夜が遅くなっただけ、という話もあるが(笑)

明日は先月のうちから休むことを宣言していたので、
仕事のことは気にせずお天気だけを気にして居れば良い。

しかし、外は雨・・・。

餃子が食いたい。

2004年6月25日
朝から雨にたたられて、藤井寺にも舞洲にも行けず。
折角休み取ってたのになぁ。

その腹いせでもないが、大阪ドームへ試合開始の1時間前から入った。
来年はこの球場で『白いボールのファンタジー』は聴けるのだろうか・・・
と思うと、ドームビジョンに映る歌詞が何とも切なく見えてきた。
“スターとファンのハーモニー”とは無関係のところで事態が動きつつある、
そのもどかしさ。どう表現すれば良いのかわからない。

ホークスは2回、城島健司がレフト上段席の奥のほうまで届く大ホームラン。
(2本目も上段席へ飛び込んだ。圧巻そのもの。)
おまけに和田毅が3回までパーフェクト。
スタンドで知り合いと
「ノーヒットノーラン行けるんちゃうか?」
と冗談半分で言えるほどの余裕があった。
礒部公一、北川博敏にソロホームランを打たれたのはちと余計だったが、
堂々の完投勝利。

大阪ドームのナイトゲームはいつも長引きそうな気がするのだが、
今日は21時10分頃にはドームを出ることができた、
いつもこのぐらいに終わってくれれば余裕で帰れるのに。

おかげで『もっと恋セヨ乙女』(NHK)の最終回オンエアに間に合った(笑)
真中瞳に関しては別にこれまで何とも思ってなかった。
でも、このドラマを何回か見て、
「おっ、ちょっとええやん」
と思うようになった。
天野家の餃子が食べてみたい。
みんなオイラが悪いのさ。
尾藤イサオの『悲しき願い』を絶唱したい気分。

何を言っても恨み言しか出てこない日、というのはあるもので。

【本日の行程(一部編集済)】前略→友人から「舞洲やるらしいよ」とのメールがあり舞洲へ行ったが雨で中止で蜻蛉返り→バスの車内でマスカットの中国予選が13時からあることを知る(正しくは「13時に開催か否かを決定」私の勘違いでした)が到底無理だし往復1万ナンボの電車賃かけて結局中止になった場合のリスクを考えて断念し阪神の地下で昼飯→大阪ドームで太田市商の野球部を見つけて群馬の友人にメールを送るがメーラーデーモンで届かず(自分の携帯の管理ぐらいちゃんとせえよ)→マスカットが15時開始になったことを知り「行けたやん!」と後悔→さらに藤井寺の5リーグ対抗が行われていることを知り「行けたやん!!」ともひとつ後悔→チャンス潰しまくりでホークス1−3で負け→地下鉄あと一歩のところで1本逃す→以下略

よって、今日語るべきことは何もありません。

明日が明るい日でありますように。もう寝ます。
今朝、起きたときには雨が降っていなかったので、
今日は藤井寺も舞洲もあるぞ、と確信した。
都市対抗の阪和予選は大阪ドームの代表決定戦があるし、
関西地区5リーグ対抗は今日しか観られないから藤井寺を選択。
念のため、傘は折り畳みでないほうを持っていくことにした。

《第一試合》準決勝(2) 京滋大学野球連盟vs関西六大学野球連盟

関六 003 100 000=4 H8 E1
京滋 103 010 00X=5 H10 E0

関六:平野(京産大)、増田(大経大)、向江(龍谷大)、黒沢(大商大)、金村(大商大)
京滋:日高(京園大)、苗村(花園大)、板谷(滋賀大)、藤井(佛教大)、横地(佛教大)、梅原(京園大)

関西六大学は、統一ユニフォームを着用(ヘルメットは各校のもの)。
上半身ブルーで、胸に“K6BL”。帽子は白で、前頭部分のみブルー。
練習用か?と思えるようなそのデザインはともかく、
いわばオールスターゲームなのだから、
別に6種類のユニフォームそのままでも良いような気はするのだが。

京滋先発の日高勇介は1回いきなり四球を連発したが、
2イニングを無安打無失点に抑える。
関六先発は京産大のエース・平野佳寿。
立ち上がりを攻められ、4番倉田大祐(佛教大)の適時打で先制を許す。
3イニングを投げたが、被安打8・失点4と調子の出ないまま降板した。

1点を追う関六の3回表、京滋2人目の苗村亮介から川原功久(龍谷大)が
ライトポール際へ同点ソロアーチ。
その後も金子和豊(大商大)、山本信宏(大商大)の連続適時打で一度は逆転したが、
京滋もすかさず市川靖久(京教大)の適時打などで再逆転。
その後は大きな動きはなく進んでいった感があったが、
京滋の藤井悠司→横地孝之→梅原伸亮の豪華リレーに、
関六の黒沢優→金村大裕の大商大コンビの力投は観ていて楽しかった。

お目当てのひとり、板谷圭人は4回から登板。
最も雨が激しかったときではあったが、2/3イニング被安打1。

《第二試合》決勝 京滋大学野球連盟vs近畿学生野球連盟

京滋 010 200 000=3 H7 E0
近畿 000 301 00X=4 H10 E1

京滋:梅原(京園大)、日高(京園大)、苗村(花園大)、藤井(佛教大)、横地(佛教大)
近畿:松尾(大教大)、濱田大(奈産大)、岡野(阪南大)、浜田恭(奈産大)、谷垣(阪南大)、大島(奈産大)

25日の試合が雨で中止にならなければ、敗者復活戦と3位決定戦があったはずだが、
日程の都合で行われず、京滋には気の毒な変則ダブルヘッダーでの最終戦。
第二試合になると雨も止み、陽が差して暑くなってきた。

近畿リーグはヘルメットだけ統一。
近畿の先発・松尾晃雅は、4月25日の奈教大戦で17奪三振の1安打完封を
見たときの印象が強く残っている。
球の重そうな投手だが、2回表、倉田に思いっきりレフトスタンドへ運ばれた。
4回にも倉田に適時打を打たれて降板。
しかし、その持ち味は発揮できていたように見えた。

京滋の梅原は第一試合の続きのごとく先発のマウンドに立つ。
3イニングで60球を越える多い球数も、無失点。
走者を出してからのピッチングは見応えあり。
4回からは日高が登板するも、広川宗広、土井昭大、池内大輔(いずれも阪南大)の
3本の適時打で3−3の同点に追いつかれた。

決勝点は6回裏、友次悠平(奈産大)のレフトへの適時打。
4点目の本塁を踏んだのも奈産大の廻寿志だった。
8回表から登板した大島一也が叫びに叫んですべて空振りの奪三振4。
近畿学生が逃げ切って2度目の優勝に輝いた。

優秀選手賞は池内大輔(阪南大)。
昨日の初戦は見ていないが、今日は4回にきっちり4番の仕事。
敢闘賞は倉田大祐(佛教大)。
今日一日だけでその爽快な走りっぷりを充分堪能できたと思う。

各リーグの注目に値する選手が一度に見られる。
そしてリーグによってはなかなか御目にかかれないユニフォームが見られる。
関西の大学野球ファンにとっては非常に楽しい大会なのではあるが、
もっとおおっぴらに宣伝しても良いように思う。
そして、この時期はただでさえ天候に悩まされるのだから、
後援や協賛の企業の力で大阪ドームを使うなどできないものだろうか。
(大阪ドームでは大学野球が行われたことは今まで無いと思う)
雰囲気としては屋外の球場のほうがもちろん良いのだけれど。
NHKBS1でヤフーのホークス戦をTV観戦。
(月〜水のヤフーへ仕事終わってから行く元気はありましぇん)

先発の倉野信次が6回までノーヒットピッチング。
7回途中で降板したが、山田秋親→三瀬幸司の必勝リレーもあって
今季3勝目を挙げることができた。

大阪ドームとは違って、ヤフーではビジターチームのヒーローインタビューも
流される。
倉野のインタビュー、8年目なのにどこか初々しい(笑)
インタビューを終えてスタンドからの声援に応える姿もあまり場慣れしていないし。

倉野はユニフォームをちゃんと着てインタビューを受け、ファンに応えている。
これが当たり前の姿だと思う。

どこのチームとは言わないが、
マウンドから降りた後の自分の身体のケアのためなのだろうか、
上半身裸に近い格好で、さらに大きなタオルを巻いたままで
インタビューを受ける投手が居る。
次回の登板に備えるためにしなければならないことがあるのはわかる。
でもそれはファンの前に立つ時の格好じゃないやろ?と思う。
「ファンの夢を壊すな」なんてことを言うつもりはないが、
人にカッコいいところを見られてナンボ、の商売だろ?プロ野球って。

金髪やヒゲに過剰な反応を示す球団のエースがこれだから。
結構いい加減なものだ。
そんな球団のやることなすこと全てがまかり通ってたまるもんか。

予選真っ盛り。

2004年6月29日 野球
今日は都市対抗阪和予選の準決勝の日。
雨による順延がなければ日曜日に行われていたはずで、
そのつもりで予定を組んでいたりしたのだが、今日は仕事。
お昼休み、その対戦しているチームのオフィシャルサイトで経過を確認。
第一試合ではNTT西日本がまず代表決定戦へ進出を決めた。
第二試合はどちらもオフィシャルサイトを持たないチームなので
確認しようがないので仕事に集中できた(ほんまかいな?)
その実体はなぜかハングルと格闘していたのだが(汗)

結果、阪和第一代表決定戦は昨年と同じカード

NTT西日本vs日本生命

になった。
できれば開始前から観たいなぁ。ちょっと訳ありのカードやし(謎)
東京のNTT東日本は今日第二代表決定戦でひと足先に本大会進出。
N西は昨年に続いて第一代表で勝ち抜けできるか。
はたまたニッセイが昨年のお返しをするか。

ここ数日、都市対抗野球の代表決定戦ラッシュで、
まだ自分なりの整理ができていない。

中国第一が三菱自動車水島クラブ(倉敷市)、第二がリースキン(広島市)。
本社からの支援を受けている岡崎チームが予選にも出場できなくなる一方で、
支援を打ち切られクラブチームになった水島チームが本大会出場を決めた。
ベテランの岡政裕、田頭欣士がコーチ兼任でまだまだ頑張っているのが嬉しい。
リースキンは初出場。私がまだ一度も観たことのないチームである。
今年の中国予選はマスカットだったのでまだ行きやすかったのだが、
結局行けずじまいに終わってしまったのは残念。

四国は四国銀行(高知市)。本大会での連敗記録にストップはかけられるのか?

九州第一はJR九州(北九州市)、第二が日産自動車九州(苅田町)と
福岡のチームが揃い踏み。
最近の九州勢は都市対抗で必ず何かをやらかしてくれているので楽しみである。
“長船”こと三菱重工長崎の姿がないのは寂しいが。

北関東は日立製作所(日立市)、富士重工業(太田市)で確定。
東京都はシダックス(調布市)NTT東日本(東京都)、
神奈川は東芝(川崎市)日産自動車(横須賀市)、
南関東は日本通運(さいたま市)ホンダ(狭山市)、で今のところとりあえず。

日本通運と言えば。
最近、洗い物をしているとなぜか日通の応援曲を鼻歌で歌っていたりする。
別にファンでもないのだが。

危機感。

2004年6月30日 野球
バファローズを買ってくれる、という企業があるらしい。
失礼ながら、そんなプロバイダもあったっけ、という程度しか知らないが。
球団が1つ消滅し、そしてパシフィックリーグが無くなってしまうという
絶望的な話に比べればまだ救われるニュースではある。

何十億にもわたる赤字の垂れ流しはもう嫌だ、と言うのだから、
球団経営からスッパリ手を引いたほうが会社のためなのだろうけど、
合併という形を取ったあとも球団に関わろうとするなんてどういう神経なのか。

一度“合併”で同意をした、と発表した手前、
それを簡単に覆すわけには行かないだろう。
しかし、ネーミングライツの問題ではいとも簡単に引き下がってるやんか。
丸潰れになるような面目なんてとっくの昔に無くなってると思うけどなぁ。
合併したところで大きな赤字が出ることには変わらないのに
気付かなかったらしいというお粗末さ。
なのにそこまで合併にこだわるなんて、何か裏があるとしか思えない。

1つのプロ球団が無くなる、ということは、
野球でメシを食おうとする選手の働き口が確実にひとつ減ることである。
社会人野球の世界でもそうだが、野球部に限らず企業のスポーツ部は
単なる広告塔という扱いをされがちで、広告塔としての役割を終えた、
などと適当な理由をつけて廃部になった例も一つや二つどころではない。
社会人の選手にとって最も大きな国際舞台であったオリンピックも、
いまやプロ野球選手の手に渡っている。
学校を卒業してからも野球を続けて行こうとしても、
その受け皿が減り続けていてはどうしようもない。
ましてや日本野球の最高峰にあるはずのカテゴリーに属するチームが
減ろうとしているのだ。
現場がどれだけの影響力を持っているかを見ようともせず、
目先の営利だけを追求して長期的な展望を持つことができない親会社。
このままだと、日本の野球は確実に滅びてしまう。

今回買収に名乗りを挙げた企業を信頼していないわけではないが、
これから何十年と続けてそのチームを運営して行けるだけの覚悟はあるのか、
という懸念がどうしても出てくる。
球団を買いました、(その数年後)経営が苦しくなったのでもうやめます、
売却先が見つからないので他のチームのどこかと合併しようと思います、
なんてまた言われたらたまったものではないが。
そうならないためにも、コミッショナー始め機構当局はもっと真剣に考えるべきではないのか。

アメリカの球場に趣味の悪い広告を堂々と出すような、
金を使いたくて仕方が無いどこかのマスコミの手下のチームだけが
プロ野球ではない。
しかし、すべてはそのマスコミの思うがままに進もうとしている。

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