お祭り(その3)。
2004年7月11日「7月10日と11日は祭りやから家におらなあかんで」
と以前から言われていた。
私の地元は小さいながらも昔から続く町である。
その町会の中に10ヶぐらいの班があって、
ウチの班では10何年に1回は班長の当番が回ってくる。
今年はその当番の年になってしまった。
前の当番の年は兄貴に任せていたが、今回はそうもいかない。
班長の仕事と言っても、町会費を集めに回るのと、市の広報誌を配るのと、
回覧板を回すのと、たまにある班長会議に出るぐらい。
しかし、町会の一大イベントがある。それは“夏祭り”。
ウチの町会は“だんじり”でも“神輿”でもなく“ふとん太鼓”である。
上部に座布団のような飾りをつけた太鼓台に子どもを乗せて、
「よいやさぁーよい!」と囃しながら町内を練り歩く。
これを“お渡り”と呼び、土曜日は夜1回、日曜日は昼・夜の2回。
ハッピを着てそれに付き合うわけだが、これが結構しんどい。
とは言いながら楽しんでいるのである。
どちらかと言えば大人よりも子どもの祭りなので、
私などは中学校に上がる頃にはその場へ出なくなってしまった。
近所との関わりが鬱陶しいと思う年頃だったこともあるし、
地元に居た年代の近い男子もほとんど離れてしまったし。
それ以降、あの掛け声につられて出て行くことはあまりなかったが、
今回、20数年ぶりで地元の祭りに大きく関わったことになる。
10日は朝5時半起きで6時から太鼓台の組み立て。
そんなときに大雨が降ったりする前途多難なスタートだったが、
終わってみれば
「今年はええ祭りやったなぁ」
と言いながらみんなで拍手の大団円。
こんな様子を見ていたら、班長でなくても出てもええよなぁ、と
思ってしまう。こうやって地元に染まっていくわけだ。
でも昼の“お渡り”はもういい(^^;
ついて歩くだけでもバテバテやもん。
まだ小学校低学年の女の子が、立派に太鼓の叩き方をマスターしている。
物心つかないうちから自分の身体に刻み込まれたリズム。
それはウチの町会で産まれ育った人々に共通するものである。
しかし子どもの数が減ったなぁ。いつまで町会の祭りができるんやろ?
というわけで、オールスターゲームの中継はほとんど見ていない。
(昨日の松中信彦の同点アーチは見たけど。)
SHINJOのホームスチール、見たかったなぁ。
と以前から言われていた。
私の地元は小さいながらも昔から続く町である。
その町会の中に10ヶぐらいの班があって、
ウチの班では10何年に1回は班長の当番が回ってくる。
今年はその当番の年になってしまった。
前の当番の年は兄貴に任せていたが、今回はそうもいかない。
班長の仕事と言っても、町会費を集めに回るのと、市の広報誌を配るのと、
回覧板を回すのと、たまにある班長会議に出るぐらい。
しかし、町会の一大イベントがある。それは“夏祭り”。
ウチの町会は“だんじり”でも“神輿”でもなく“ふとん太鼓”である。
上部に座布団のような飾りをつけた太鼓台に子どもを乗せて、
「よいやさぁーよい!」と囃しながら町内を練り歩く。
これを“お渡り”と呼び、土曜日は夜1回、日曜日は昼・夜の2回。
ハッピを着てそれに付き合うわけだが、これが結構しんどい。
とは言いながら楽しんでいるのである。
どちらかと言えば大人よりも子どもの祭りなので、
私などは中学校に上がる頃にはその場へ出なくなってしまった。
近所との関わりが鬱陶しいと思う年頃だったこともあるし、
地元に居た年代の近い男子もほとんど離れてしまったし。
それ以降、あの掛け声につられて出て行くことはあまりなかったが、
今回、20数年ぶりで地元の祭りに大きく関わったことになる。
10日は朝5時半起きで6時から太鼓台の組み立て。
そんなときに大雨が降ったりする前途多難なスタートだったが、
終わってみれば
「今年はええ祭りやったなぁ」
と言いながらみんなで拍手の大団円。
こんな様子を見ていたら、班長でなくても出てもええよなぁ、と
思ってしまう。こうやって地元に染まっていくわけだ。
でも昼の“お渡り”はもういい(^^;
ついて歩くだけでもバテバテやもん。
まだ小学校低学年の女の子が、立派に太鼓の叩き方をマスターしている。
物心つかないうちから自分の身体に刻み込まれたリズム。
それはウチの町会で産まれ育った人々に共通するものである。
しかし子どもの数が減ったなぁ。いつまで町会の祭りができるんやろ?
というわけで、オールスターゲームの中継はほとんど見ていない。
(昨日の松中信彦の同点アーチは見たけど。)
SHINJOのホームスチール、見たかったなぁ。